第2話 絶望の中で、最後の救い

 自分の死体の前で、俺は座り込んでいた。

 まだ気持ちは追いついてはいないが、理解はしている。


 俺の体は死んでいて、なぜか俺はモンスターになっている。

 こんなこと前代未聞だろう。


 これから先、一体何をすればいいのか。


 ――ピコンッ


 そんな事を思った矢先、離れたところに落ちていた小型タブレットが反応した。

 どうやらモンスターチェッカーが起動したようだ。


 けれどそれは俺の方を向いていない。


「グルルルルルゥ」


 血まみれの肉塊の向こうから狼型の魔物が姿を現す。

 大きさこそあの化け物と同じくらい巨大だが、それがなんであるのかを俺は知っていた。


 このダンジョンの下層に生息するモンスター、ヘル・ドッグ。

 モンスターチェッカーを見るまでもない。


 人間だったころの俺にとっては雑魚同然のモンスターだ。

 けれど今の俺にとってはそれがあの化け物と同じくらい恐ろしく映った。


(戦える……のか? こんな……子猫のような体で……)


 四つの足でなんとか立ち上がってみても、細い足は震えている。

 体もところどころが痛む。


 だが仮に万全の状態であっても今の俺がヘル・ドッグに勝てる未来が思い描けなかった。

 子猫が狼に、勝てるわけがない。


(逃げ……ないと……)


 こんな体になっても、俺は生きたいと思った。願った。

 だからこそ体に鞭を打って走り出した。


 振り返ることもなく、必死に逃げる為に体を動かした。

 ヘル・ドッグが追ってくる様子がないにもかかわらず、振り向くことを拒絶した。


 俺の死体を食い漁るヘル・ドッグの咀嚼音が、ずっと耳に届いていた。




 ×××




 モンスターになってしまうという最悪の結末だったが、それでもまだ俺は生きていた。

 体は無くなったものの、知識はまだある。


 このダンジョンをどう進めば中層に、上層に、そして出口に向かえるかは分かっている。

 少なくとも下層に居たらモンスターに食い殺される。


 だから上へ、上へとひたすらに進み続けた。


(なんで……なんで俺がこんな目に……)


 探索者を見かけた。

 けれど近づけなかった。


 モンスターを屠るような探索者の前に姿を現せば、殺されてしまうから。

 言葉を話せない今の俺は、彼らに助けを求められない。


(俺が……何をしたっていうんだ!)


 モンスターと遭遇した。

 傷を負いながらもなんとか逃げた。


 戦うことなど出来るはずもない。

 頭に響く、ヘル・ドッグの咀嚼音が消えない。


 魔物に叫んだこともあった。

 けれど言葉は通じないようで、返ってきたのは明確な殺意だった。


(なんで……なんで!)


 なんとか下層を抜けて人目を避けて中層に入ってからも、何も変わらなかった。

 出会うモンスターの全てが、あの化け物のようにしか映らない。


 中層に来たことで下層と比べて確実に敵のレベルは下がっているはずなのに、今の俺では勝てる未来を思い描くことすらできない。


(まだつかないのか……まだ中層なのか!)


 心の中がぐちゃぐちゃだ。

 さっきは庭のように気楽に探索できた中層が、まるで延々と続く地獄のようにすら思える。


 一体どれだけ中層を駆け抜けたのか、もう分らない。

 体は血と泥で汚れきり、痛みと絶望で溢れていた涙すら枯れた。


 ただ生きたいという思いだけで、俺は進み続けていた。


「皆、そろそろ戻る?」


 だからその声を聞いたときに、急に手足から力が抜けた。

 足取りが遅くなり、その場に止まってしまった。


 顔を上げれば、後ろ姿だが人影が見える。

 忘れるはずもない。黒く長い髪をしたその姿を、何度も液晶越しで見てきた。


(まだ……中層に居たのか……)


 てっきり配信が終わった段階でダンジョンを出たかと思っていた。

 けど、良かった。


(姫様なら……姫様なら俺を……)


 姫宮姫乃はモンスターテイマーという職業で、鷹型のモンスターをテイムしている。

 テイムモンスターに対する気遣いで人気となった配信者だ。


 彼女の慈愛はテイムモンスターのみならず、ダンジョンモンスターにも向かう。


『えー、可愛い! え?これ倒さないといけないの!?』


『さっきみたいな怖いライオンはともかく、この子も敵なの!?』


『出来ればテイムしたいなぁ……』


 その優しさもまた、彼女が姫様と呼ばれるようになった一端だ。

 モンスターに慈愛を向けてくれる彼女ならば、俺を助けてくれる。


 幸いなことに俺は今、子猫のようなモンスターだ。

 彼女がもっとも好むと言っていいだろう。


 テイマーは1体のモンスターしかテイムできないために彼女のテイムモンスターになることはできない。


 けれど丁重に保護してくれて、ひょっとしたら意思疎通もできるかもしれない。

 地獄に射した一筋の光に導かれるように、俺はゆっくりと彼女に近づいていく。


(姫様……姫様……助けて……)


 俺の思いが伝わったのか、姫様がゆっくりと振り返る。

 端末越しに見ていた茶色い瞳が俺を捉え。


 さっきまでの笑顔がまるで能面のようにすっと抜け落ちた。


「なにこいつ? きったな。しかも小さくて経験値の足しにもならなさそうじゃん」


(……え?)


 姿も声も、姫様のものだ。

 けれど彼女の目はまるで道端のごみでも見るようで。


 俺の知っている慈愛に満ちた姫様とは、似ても似つかなかった。


「フレス、ウィンドバースト」


 彼女の右肩に乗っていた鷹型のモンスターが飛び上がり、強く羽ばたく。

 突風に体を浮かされ吹き飛ばされる。


 中層でも渡り合える彼女のテイムモンスターの攻撃を耐えられるはずがない。

 無様に地面を転がった俺は、うつぶせの状態で顔を上げるしかできない。


(そんな……嘘だろ……?)


 配信で見ているときには気づかなかったが、鷹型のモンスターの目には光がない。


「は? 牽制用の攻撃でこれなの? 一応データ見とくかなぁ」


 心底ダルそうに頭を掻いて舌打ちをした彼女はポケットからモンスターチェッカーを取り出す。

 その姿に、脳内の姫様が割れた鏡のように消えた。


 俺が推していたのは、幻影だった。

 俺が好んでいたのは、彼女の創り出した偽の姿だった。


 俺を救ってくれる姫様など、どこにも居はしなかった。


(なんだよそれ……くそっ!)


 黒い獣に襲われたことやモンスターになってしまったことなどショックなことが多かった。

 けれどそのどれよりも、姫様の真の姿を見たことがショックだった。


「姫宮さん! モンスターです! ちょっと多いです!」


「ちっ、フレス!」


 パーティメンバーの声を聞いて走り去っていく姫様。

 彼女の中に、俺はもう居ない。


 遠くなっていく足音を聞いて、俺はゆっくりと立ち上がる。

 まだ……生きている。


(ははっ……悪運だけは……強いんだな……)


 違う道を選んで、歩き出す。

 もう何のために進んでいるのかも、よく分かっていない。


 けれど止まるという選択肢は、なかった。




 ×××




 中層を抜けて上層に来ても状況は好転しない。

 相変わらずモンスターは強いし、探索者には声を掛けられない。


(っていうか……ダンジョンから出れなかったらどうすれば……)


 とぼとぼ歩きながら良くないことを考えてしまう。

 モンスターはダンジョンから出ることはできない。


 それならば今の俺だってダンジョンから出れないのではないか、そう思ってしまった。

 もしそうなら俺はこれから先ずっとこのダンジョンで生きていくことになる。


(そんなこと……耐えられない……)


 ここまで死ぬ気で進んできた。

 ここでも何度も死にかけた。意識も朦朧としている。


 こんな地獄に居続けるくらいなら、もういっそ……。


(あ……れ?)


 気づいたときには地面に伏せていた。

 立ち上がろうとしても手足に力が入らない。


 起き上がることはおろか、身じろぎも出来ない。

 ダンジョンの通路の真ん中で、いつか来る終わりを待っているだけになってしまった。


 ――コツンッ


(でも……もういいか)


 モンスターになってしまった。

 元の人間の体も、もうない。


 ――コツンッ


(もう……生きていたって……)


 体を失った。

 地位を失った。


 ――コツンッ


(もう……いい)


 力を失った。

 希望を失った。


 ――コツンッ


 だからもう、いいんだ。


「大丈夫?」


 幻聴を聞いて、俺は頭を上げた。

 視界いっぱいに映るのは、栗色の短い髪に、眼鏡をかけた少女。


 彼女の右手が伸びて、その腕にブレスレットが輝く。

 モンスターテイマーが持つ独自の装備に姫様を思い出した。


(あぁ……)


 探索者なのか、それとも俺を迎えに来てくれた天使なのかは分からない。

 でも、最期に見るにしては良い光景だ。


 ぼやけていく視界の中で、この姿になって俺は初めて笑った。

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