裏切り者には罰を ー2024/7/15 Mon 19:00
大和との会話は不明瞭ながら、実感を帯びていた。言葉としてハッキリ話せないこともあるだろう。いつもと変わらない談笑をしながらノートに書き込まれた事柄を整理するとこうだった。
――大和は誠也を家に送るように命じられている。逃せば誠也の身柄は保証しない。
脅しである。それは誠也にとってもそう。誠也が逃げれば大和の安全も保証されない。夢の中に侵入ができる以上、なにをされるのか知れたものではない。
「着いたよ」
俺はここの場所を知らない。土曜日に目が覚めた時にはすでに榊の家にいたし、そこから出ることなく二日を過ごした。宅配や食事の配達は届いていたらしいが、監禁されているのでドアの様子を見ることもできない。
大学から歩いて駅前にある高層マンション。大和は慣れた様子でエレベーターの階数を選んだ。ここに何度か来たことがあるんだろうか。
いいや、そんなわけはないはずだけど。
「じゃあ、な」
「大和!」
「……誠也。きっと必ず」
大和の表情が明るく輝く。だがそれは一瞬だけ。すぐに影を落とし強ばった。大和が口を開きかけたその時、ドアが勢いよく開いたからだ。
「誠也、くーんっ、おっかえりぃー!」
「うわっちょっ」
榊は俺の身体に抱きつくように飛び込んでくる。ギュッと抱きぐるみのように腕を巻かれる。今日の榊はふわふわとした部屋着を着ていて肌に柔らかい。うさぎの耳がついた薄桃色のそれに身を包み、お尻にあるポンポンを揺らしながら抱きついてくる。細く露出した脚が、棒立ちになったジーンズの脚にからみつく。
「大和くんありがとー。お仕事ご苦労さん」
「榊さん。よかったぁ、元気そうで。体調悪いって聞いてたから心配してたんだよ。レジュメもらってきたから、ほら」
「ありがと。ううん、誠也くんの顔見たら元気出た」
「……それは良かった。……良かった」
榊には見えていないが、大和の目は鋭い。口だけは明るく、榊に悟らせないようにしているがその殺気じみた視線は隠しきれない。
「榊さん。誠也にもしなにかしたら、許さないからね」
「大丈夫だよぉ。たっぷり可愛がってあげるから」
「……そう、それは」
榊は大和の様子に気づくことはない。すっかり俺に夢中で背後にいる大和のことなど視界にすら入っていないのだ。
「良かった」
大和のあんな視線を見たことはない。
「さ、榊さん」
「優菜って呼んで?」
「あ、……ゆうな。あの、もう離れて恥ずかしい……」
というか、大和の前でもいちゃつかれるのか。こんな見せつけるように引っ付いてこなくてもいいのに。
胸が、脚が、顔が近くて顔が熱くなる。
「えぇー、土日ずっとこうしてたよね? 誠也くんがいなくて寂しかったんだよ?」
耳元で息を吹きかけられ背筋がゾクゾクする。
「早く早くご飯食べよ?」
なんか榊の様子もなんか変だ。キャラ違くない? こんなにベッタリだったっけ。というか、学校に行けと言ったのは榊じゃない? そこもなんかチグハグで奇妙だ。
「ねぇ、誠也くん」
榊の視界には俺しかいない。
「じゃあ、誠也。俺は帰るよ」
大和の姿など、どこにもない。
「誠也くん、早くぅ」
大和が小さく舌打ちをした気がした。
「誠也も、俺の頼み事ちゃぁんと聞けよ?」
「……うん。大和、明日。学校で会おう」
顔の目の前でドアは閉まる。俺は連行されるように榊の部屋に引き摺り込まれる。手をギュッと痛いくらいに握られてあの部屋に。奥にある監禁部屋に入ると、背後から細い腕が伸びてきて、素早くそれは取り付けられる。まるでそれが当然の如く、シュルリと巻かれたそれは首の中心にある。躾の悪い猫を叱るように。そうでなければならないと。暗に伝えるかのように。
「やっぱ、似合うなぁ」
恍惚としたその顔をこちらに見せ、榊は笑う。
「ゆうな、あの。ご飯食べられないよ?」
「私が食べさせてあげるからいいの」
彼女の献身は病的である。動くことのない手足は彼女の献身がなければなにもできない。逃げようとするのを阻止するためだけではなく、おそらく俺になにもしてほしくない、自分の世話を抵抗せずに受け入れるためにこうしているのだ。
「はい、あーん」
口に放り込まれる食事は美味しい。が、それはこんな状況でなければもっと楽しめるだろう。どうして俺をこんな目に合わせてまで、俺に世話をしようとするのだろうか。
「美味しい?」
ここは高層マンションの高層階でありベランダからの逃走は難しい。確実に落ちて死ぬだろう。
「あのさ、ゆうなはいつから俺のことが好きなの?」
「ええー、恥ずかしいなぁ」
彼女の異常な同棲から逃れるため。そのために情報を集める。榊にこの質問を投げたのは一度や二度ではない。いつもこうしてはぐらかされる。けれど榊が俺と付き合いたいと言っていた。それをどうしてと問う。変な質問ではないはずだ。
「気になるからさ。俺もゆうなのこと好きだし」
榊優菜のことは前々から気にかけていた。純粋に可愛い同級生として好きだった。
だから嘘ではないはずだ。こんな狂気じみたことを俺にする必要なんてない。
「お願い。教えて」
「……うん、仕方ないなぁ」
今日の榊はなんだか素直だ。やはりいつもとちょっとキャラが違うからなのだろうか。分かりやすく照れているし、いつもの小悪魔じみた雰囲気も影を潜めている。――可愛い。なんか今日の榊可愛いな。
「お願い」
榊の太ももに手を置いて懇願するように目を見つめた。榊は俺の目が好きだと言っていた。透き通る宝石のようだと誉めたその目で見つめられる。これにきっと弱いはずだから。
「誠也くん……」
「ダメ?」
――あと一押し。
「俺のこと好きなんでしょ」
ふわりとボア生地が手に触れる。少し首が締まって苦しいが榊をベッドの床に押し倒してもう一度聞く。
「教えてよ」
榊はこくりと頷いた。ふう、やっと話が聞ける。榊はコソコソと俺の下から抜け出してベッドのそばに置いていた段ボールからなにかを取り出す。
「話す。話すから」
それを俺の前に置く。
「じゃあ、代わりにこれ着てみて?」
そう渡されたのは黒いぬいぐるみパジャマ。
「耳! 猫ちゃんの耳がついてるんだよ! あと尻尾。これなら誠也くんも嫌じゃないでしょ」
あ、今朝のフラグが回収されてしまった。
「通販で頼んでたんだ。きっと似合うと思って。着てみて? 早く早く!」
だから、うさぎを自分で着ていたのか。俺は猫か。なんとなく感じていたが、俺のイメージは黒猫なのか。頭の位置にはくってりとした猫耳。お尻のところには長い尻尾。
「ゆうな、あのこれを着たら話してくれるの?」
「話す話す! 早く着てみて?」
いやもうどうでもいいか……。
「あ。そっか、お手手、拘束してたんだった。着させてあげなきゃね」
榊はそういうと誠也が着ていたワイシャツのボタンを外し始める。
「えっ、あの」
「動かないで」
確かにそうだけども。榊が手錠を外せばいいだけじゃないか。シャツを捲り上げて手錠の方へ。これで手錠を外さないと服を完全に脱がすことはできない。これはチャンスかも?
「ゆうな、手錠を外さないとダメだよ」
「……ん」
榊はシャツが脱がされ露出した下腹部をさする。途端に背筋にぞくっと悪寒が走る。
「ゆうなってば、あのっ」
しばらく榊は考え込み、ワイシャツをギュッと縛り、両手首がバンザイになる位置で固定した。
――あ、まずい。襲われる。
「誠也くんってお腹弱い?」
「……し、知らないけど」
榊はふわもこパジャマの裾を引っ張り、俺の脇腹をすっと撫でた。神経を撫でられるよう。ビリビリと脳に電気が走るような感覚に、思わず声が震える。
「あっ、やだ、やっめ」
「弱いんだ?」
「やっ、……ぞくぞくするっ、あっ」
まずい。彼女のペースになってしまう。
「……やだっ、やめてっ」
目の前がチカチカと眩しい。なんかまずい。一気に蒸気した身体は鋭敏に感じとる。
「おねがいっ、だから」
「可愛い」
「やめッ」
「そうだなぁ。可愛い誠也くんに免じて今日はやめてあげるね。さっきはあんなにかっこよかったのに。うるうるお目目もとっても可愛い。今日はねぇ、私、ご機嫌いいの。誠也くんが私のこと好きって言ってくれたから」
「……はぁ、はぁ……ほんと?」
上体を軽く持ち上げる。息が絶え絶えになっていて、なんとか落ち着けさせようとする。なにも身につけていない肌が熱い。内側から炙られるような体温を少しでも冷却する時間が欲しい。
「うん。その代わりにゲームしよう? 誠也くんが勝ったら私に質問をする権利をあげる。なんでも答えてあげるよ」
――その代わりと榊は微笑む。
「私、思ったの。誠也くんの身体は手に入れられたけど魂は手に入れられてない。だから心も身体も。全部手に入れてやっと私のものになってくれるんだって」
「十分、だよ。俺、榊のこと好きだよ」
榊の妖艶な笑みに顔が引き攣る。
「ふふっ、だーめ。嘘でしょ?」
――なにをするつもりなんだ。
「誠也くんは恐怖で従わせるよりも、可愛がってあげるほうがずっと楽しいって気づいたの」
誠也は自分が声を発せなくなっていることに気がつく。口を開いても代わりに出てくるのは乾いた空気の音。恐怖なのだろうか、喉から声が出ないのだ。代わりに聞こえるのはカヒュカヒュと鳥の囀りのような鳴き声。
カヒュカヒュ、カヒュカヒュ。
「こしょこしょするのは逃げた時の罰にしようと思ってた。くすぐり刑って遊女が遊郭から逃げた罰をするための拷問だから。私から逃げた誠也くんにぴったりじゃない?」
その場に縫い留められたように身体も動かなくなっている。逃げたい、なのに。
自分の瞳は榊を捉えその一点から外れない。
「くすぐるだけだから顔を傷つけない。顔が商品価値でもある遊女にピッタリの刑罰。誠也くんの顔が傷物になっちゃうのかわいそう。せっかく可愛い顔をしてるのに。私も嫌。誠也くんも嫌でしょ?」
榊は誠也のほおに手を当てて撫でる。冷たいその感触を感じながら、榊のどんよりと翳る瞳を覗く。君を手に入れるために、と榊は呟く。
「もっといい方法を思いついちゃった」
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