第39話 一緒に不幸になろう


「私ね、女優さんになろうと思うの。それで千鶴とね、二人で暮らすの」

「お姉ちゃんと二人なら、もういたくない?」


 私は目を潤ませながら、姉さんに問いかける。すると姉さんは屈託のない笑みを浮かべた。でも頬には涙の筋が流れていた。


「大丈夫。大丈夫だからね。私が絶対に千鶴を救ってみせるから!」

「……お姉ちゃん」


 私はわんわんと泣いて、痣だらけの体で姉さんを抱きしめた。


 その日の夜、私はお父さんとお母さんに熱湯をかけられた。姉さんは見たことがないほど怒りをあらわにしていて、無謀だって分かってるくせにその小さな体でお父さんとお母さんに殴り掛かっていた。


「だめ……!」


 このままだと姉さんまで傷付けられてしまう。姉さんは女優になるのが夢なのだ。


 目についたのが、テーブルの上のお皿だった。私は震える体でそれを手に取り、二人に投げつけた。ぱりんと大きな音が響く。その瞬間、二人の注意が私に向く。


 その視線は怒りや憎しみ、この世の嫌な感情の全てを詰め込んだようだった。怒鳴り声が部屋に響き渡る。乱暴に頭を掴まれたかと思うと、そのままお母さんとお父さんに引きずられていった。


「……千鶴!」


 姉さんは涙を流しながら、私を追いかけて来る。でもそんなことしたって、意味がないのだ。だから私は震える体を押さえて、恐怖を乗り越えて、精一杯の笑顔を浮かべた。


「お姉ちゃん。いつか私を助けてね」


〇 〇 〇 〇


 それはずっと忘れていた記憶だった。なのになんで、こんな、死の間際に思い出してしまうのだろう? なんで今さら死にたくない、なんて思ってしまうのだろう?


「やだ。死にたくない。死にたくないよ。姉さんと話せなくなんて、なりたくないっ……」


 目を開くと、涙が空に落ちていった。


 月も星もない空は真っ暗で、絶望の色をしていた。私はこのまま死んでしまうのだ。そして魔法少女になる。この世界から消えてしまうのだ。姉さんはきっと悲しむだろう。私のせいで。私が死んでしまったせいで。


 そんなの、嫌だっ……!


 そう思った瞬間、桜の花びらがはらりと落ちてきた。


 暗闇に桜色の光が閃く。


「千鶴さん!」


 キラキラした桜の花びらが、雪のように夜空を舞う。幻覚なのだろう。桜さんは家で寝ているはずだ。でもその桜色の光はますます強さを増して、声だって大きくなってくる。


「千鶴さんっ!」


 はっきりと見えた。桜さんが涙を流しながら、真っ暗な空から落ちてくる。魔法少女のステッキを手に、ひらひらしたドレスを風にはためかせて、私の名前を叫んでいる。


「桜さん……?」


 桜さんに手を伸ばす。不安定な空中では満足に桜さんの手を掴むこともできない。それでも何度も何度も手を伸ばす。そしてようやく、その小さな手を握り締める。


 桜さんは私の隣までやってくると、お姫様抱っこの姿勢で私を抱えてくれた。その瞬間、桜さんは桜の花弁の寄り集まってできた大きな翼を広げる。まるで天使のようだった。大きく翼をはためかせるたびに減速していき、ついにはふわりと空中を浮き上がっていく。


「なんでっ。桜さんっ」


 恐怖や後悔から解き放たれたせいか、涙がなおさら溢れ出してくる。


 私は桜さんの胸に顔をよせて、泣き声をあげた。


「……私のせい、なんですよね」


 桜さんも目元を涙で濡らしていた。雲がはれたのか、月光がほのかに私たちを照らす。白い光に照らされた桜さんは、悲しみに打ちひしがれているようだった。


「こんなこと、もう二度としないでくださいね? 千鶴さんの不幸の上に成り立つ幸福なんて、私は欲しくありません」

「桜さんっ。桜さん……」


 私はお姫様抱っこをされたまま、涙を流し続けた。


〇 〇 〇 〇


 私と桜さんは二人で手を繋いで夜の住宅街を歩いていた。


「……ねぇ桜さん。私と一緒に不幸になろうね」

 

 桜さんは不思議そうに首をかしげていた。


「私ね、桜さんが不幸なのに幸せになんてなれない。一緒に不幸なほうが、きっと幸せだと思う。心からそう思うんだ」

「……本当にそれでいいんですか?」


 心配そうに私を覗き込んでくる桜さん。私は笑顔で頷いた。


「桜さんが罪悪感を抱え続けるのなら、私だってそれに寄り添う。いつまでだって、そばにいるよ」


 神様は人に幸せを義務付けた。でも必ずしもそれに従う必要はない。大切な人と寄り添い歩けるのなら、不幸でもいいんじゃないかって私は思う。


「……でも、私、千鶴さんには幸せになってもらいたいんです」


 桜さんは私の手をぎゅっと握りしめた。


 桜さんの瞳は月光を白く反射して綺麗なのに、どうしてか濁っているようにみえた。後悔とか、自己嫌悪とか、そんな自分を責める感情で満ちているようにみえる。


 もしかすると間違えたのかもしれない。そう思ったときには、もう遅かった。


「だから千鶴さん。私、千鶴さんの前からいなくなります」


 必死で絞り出したかのようなか細い声で、桜さんはつげた。

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