第三十話『冴え昇る月に掛かれる浮雲の』
譜代家臣 佐久間――筆頭家老にまで登り詰めた男の
彼は光秀や秀吉の献身の裏、天王寺砦の城番という立場にありながら本願寺に対し
ところが窮地に
『苦しい立場になって初めて連絡を寄越し尽力の素振りを見せるのは、
◇
光秀の苦しい胸の内を、
「確かに家臣団はあの一件で、
其の向かいでは
「佐久間殿の失態続きには信長様も看過しようが無かったのでしょう。やはり発端は三方ヶ原。
佐久間殿の軍は一人の戦死者も出ぬほど早々と撤退。片や、共に援軍に出向いた
是には伝五も、悲哀の表情で頷く。
「あの日……『人を大切に想えぬのが、
「ですな。やはり与えられた家臣を大切に召し抱えず勝手に
すると左馬助は、更に苦々しさを増す。
「
利三は呆れるが、伝五は慌てて落とし所を見出す。
「三方ヶ原の直後、朝倉戦でも佐久間殿は落ち度を認めず、席を蹴って立ち上がっては正当性ばかりを叫ばれた。信長様はそれをずっと根に持っておられましたから、最後には勝家殿ばかりか、光秀様や秀吉殿までも引き合いに出し、佐久間殿にとって大いなる屈辱の言葉を、敢えて投げられたのでしょう……」
しかし又も左馬助は、懲りずに横槍。
「いかん! 秀吉殿という“嫉妬狂い”を忘れてはなりませぬな! 光秀様を『新参者』『両属』と
彼にとって秀吉は相当不愉快な相手なのだが、さすがの伝五も虚空を見つめ黙った。
粛として彼らの談論を見守っていた光秀は、小気味悪く口の端で笑う。
「確かに秀吉殿は野心の塊じゃが、信長様を崇拝しておる。秀吉殿が元凶ならば私を
主君の
「我らは貴方様の家臣なのですぞ――。もう少し御自身を大切にして頂きたい……!」
武士としてあるまじき発言と自覚。光秀は信長に仕えているのだから。だが、彼は言わずにはいられなかった。
静まり返った空間に、伝五が火を灯す。
気付かぬ内に、陽が落ちていたのだ。
「敵対勢力や家臣ではなく、臣従する北条氏や家康殿という事は考えられませぬか? 家康殿の奥方と嫡男の首が、信長様に届けられたのは数年前の事……」
光秀は痛む額に手を当て、暫く天井に焦点の合わぬ目を向けた後、険しい顔つきで絞り出す。
「家康殿は一見穏やかに見えるが、心の内には強い
目標を定めては一心不乱に努力を重ね、達成に導く情熱を秘めておられる。
以前は口論される姿もあったが、最近は上手く交流を重ねる為に、人と合わせる事を意識して振る舞われておるような……。
見返りを求めぬきらいがあるが、決して人に尽くしたい訳ではない。伊賀忍と太い繋がりがあるのも油断できぬ。
恐らく、怒らせると一番厄介じゃ――」
光秀の話を聞きながらも、じっと何かを考えていた様子の
「
「おのれ!
「暴論が過ぎるぞ。
しかし
「だからなんじゃ? お市様や真理姫殿を疑わぬと? 二人こそ婚家にとっては裏切り者――。無論きちんと間諜の役割を果たされただけじゃが、男にとっては恐ろしい。夫の長政や木曾が、とんだ食わせ者じゃったのも訳合い。松姫殿や徳姫様とて
帰蝶の名に過剰に反応し、睨みつけてくる
ところがそんな左馬助も、お市には別の感情が働く。
「利三殿に同調する気はないが、勝家殿や秀吉殿はお市様に
「母とは、子の為なら人をも殺すという――。
養子とはいえ可愛がっていた万福丸を、
まして御恩ある身でありながら、帰蝶様を疑いたくはないが、幼い頃からどうも危ない道をあえて歩むような危険を孕んでおられるのも事実――。危ない香りに惹かれるというのかのう……。夢中になると脇目も振らず果敢に取り組まれるゆえ、道を踏み外されると怖ろしい。
……
光秀の吐露に、伝五の心は痛む。彼もまた、皆に打ち明けねばならぬ事があるのだ……。
“本能寺の変”には『黒幕』がいた――。
この作品は史実を基にしたフィクションであり、作者の妄想が多分に含まれます。何卒ご容赦頂けますと幸いです。
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