第十八話『観月の鍾愛』

 義昭に降伏を勧告するため、信長は『京の復興に』と朝廷へ黄金を贈り、正親町おおぎまち天皇勅命の講和を得る。

しかし義昭はたった三ヶ月で講和を破棄し、炎天の盛夏に槇島まきしま城で(京都宇治)再挙兵――。

残念ながら彼は、頼みの綱の信玄が春に病死した事を知らなかった……。


 一方信長は、義昭の再挙兵を見越し動いていた。

『義昭が再び挙兵した際には瀬田の辺りで(琵琶湖南端と川との境界)道を塞がれるだろう』と予想。

大軍で湖上移動する為、佐和山さわやま(湖東)過去に例を見ぬ程の巨船を建造していたのだ。

美濃みのから(岐阜)佐和山に駆け付け、船で一気に琵琶湖を渡り京入りする信長軍に、義昭の兵は度肝を抜かれる――。


「折角建ててやった城は、破却とする!!」

信長軍は二条城を占拠し、義昭が籠る槇島城も七万の軍勢で取り囲んだ。

当てにしていた信玄が病死し、武田軍がうに撤退していた事を今更知った義昭は、慌てて赦しを請うも時既に遅し――。


 敗軍の将として眼前に引き据えられた義昭に、信長は怒声を浴びせる。


「天皇が政治を執る朝廷。将軍が政務を執る幕府。共に世の中を治めるべきだと思おてきたが、腐り切った幕府など不要じゃ――!!」


 信長は義昭の命までは取らぬ代わりに、京から追放した――。 


 ◇


「義昭のたわけた討伐令に応じ、此の信長との講和を反故ほごにした浅井・朝倉を徹底的に潰す! 何度も何度も裏切りおって……! 目にものを見せてくれるわ――。

朝倉軍は早々と撤退する癖がついておる。

“雪が” “疲れが”と勝手に戦線を離脱し、前戦では在世の信玄に酷く咎められたようじゃ。

臆病者の目にはいつも、敵が大軍に見える! 此度こたびも必ずや逃げるであろう。そして逃げた所を追撃する! これは殲滅戦せんめつせんじゃ――!」


 信長は雄叫びをあげる三万の兵を率いて、義弟 長政の居城 小谷おだに城を包囲。

長政は五千の兵と籠城するも離反が続いた。

援軍要請された朝倉側も、与国からの救援拒否が相次ぎ二万を下る兵しか用意できず、戦線に立って直ぐ夜陰に紛れ密かに越前へ撤退しようとする。


 しかし、必ず逃げると踏んでいた信長軍の追討に遭い、刀禰󠄀坂とねざかで大敗……。

手勢のみを率い一乗谷いちじょうだに城へ帰還した義景にはわずか五百の兵しか残らず、残花の散り時を悟りて自刃――。


 完全勝利を収めた信長軍が、小谷城へ引き返し総攻撃を開始すると、長政は降伏を勧める使者として遣って来た秀吉に、妻 お市と娘達を預け自害した。


 ◇


「佐久間、何故なにゆえ遅れた! 必ず逃げるゆえ追撃しろというわしの言葉を疑ったか――!!」

信長は先陣の佐久間に朝倉軍の追撃を厳命していたが、彼は信長本陣よりも遅れを取る大失態を犯した。

勝家・丹羽にわ・秀吉ら諸将が陳謝する中、佐久間だけは席を蹴って立ち上がり、涙を流して弁明した。

「お言葉ですが、我々のように優秀な家臣は他におりますまい!」


「おのれ、外道が――!!」

火に油を注いだ事は言うまでもなく、激昂した信長は愚臣を殴打。慌てて勝家らが引き離したが、佐久間への怒りが収まる事は無かった。


 ◇


 小谷城での戦いに於いて大功を上げた秀吉は、浅井の旧領を拝領し新たな城を築く。

完成した城で信長と其の近臣が集まり宴を開いた。


「信長様より頂いた湖北の地を“長浜”とし、築いた城を“長浜城”と名付けたいと思おておるのですが」

信長の“長”の字をお受けしたいと願い出る秀吉のあざとさに、皆苦笑いを浮かべる。


「琵琶湖のほとりは信長の浜――“長浜”か。流石と言うべきか、……お前らしい。良いではないか、“長”の字を使え。

秀吉、お主には才がある。与えられた目標を達成するという事に於いて遺憾無く発揮する能力、天性の指揮官の資質にも恵まれておる。己に確固たる自信があるのも良い事だ。

だが、才ある者は自惚れ、鍛錬を怠る――。

どうか慢心する事なく、“絶対は、絶対にない”のだと覚えておけ」


 ◇


 宴の後、岐阜城へ帰る信長に随伴した光秀は、立ち寄った関ケ原の寺で、輝く月を愛でながら二人きりの酒を酌み交わした。


「芒に月、菊に盃ですな……」と、和らいだ表情で酌をする光秀に、信長の心の糸もほどけていく。


「南蛮の文化にも精通しておるのか。汲めども尽きぬ知恵の泉じゃな。

のう光秀、……わしは千年の歪みに揺れる天下を平らかに――と思おて走って来た。

弟を殺し、義理の弟も殺し。悪が住まう山を、町を、焼き払い――。

将軍を追放、裏切る大名家は滅亡に。平手や可成よしなりを失い、鳳蝶あげはを犠牲にし……。

わしのやって来た事は、間違まちごうておったかの。

幾つの屍を越えようとも、行く道の先には山となるむくろが立ちはだかるのじゃ。

いつになれば、泰平の世を迎えられるのかと、麒麟の尻尾すらも拝めずに、ただ、人を斬っておる……」


 夜空を見上げる信長の瞳から、一雫の光が流れ落ちる。

第六天魔王となるには余りに優しすぎる――と、光秀の心は痛んだ。『まだ道の途中ですよ』との応えが頭に浮かんだが、溢れ来る想いを乗せるには悲しくなるほど空々しい言の葉。


 刹那の後先、光秀の深い腕の中に、閑麗なる信長がいた……。





“本能寺の変”には『黒幕』がいた――。

この作品は史実を基にしたフィクションであり、作者の妄想が多分に含まれます。何卒ご容赦頂けますと幸いです。

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