4.隣席、神凪麗音の正体

 神凪かなぎの家と聞いて。さっきの人間離れしたあり得ない運動神経とか、そのツンとした性格から連想されるのはどうしても、筋トレ用の器具だったりが並ぶ、彩りの欠片もない殺風景な部屋を想像してしまっていたのだが――。


「はい、ジュース。これしかなかったけどいいわね?」

「ああ、ありがとう神凪さん。……なんか、意外と普通だな」

「普通で悪かったわね。っていうか、逆にどんな家を想像してたのよアンタ」


 上鳴うわなきはコップに入ったオレンジジュースを一口頂きながら、改めて部屋を見回してみると。若干質素にも感じたが、一人暮らしと言われればこんな物なのだろうか。ごくごく普通のアパートの、ごくごく普通の部屋だった。


 タンスの上には可愛らしいぬいぐるみなんかも飾ってあって、思っていたよりも女の子らしい部屋だなと感じる。


 やはり、人は見かけで判断してはならないと再確認させられたところで、息をつく間もなく神凪はさっさと話を始めてしまう。


「……さて、御削みそぐ。まずは、今日見たり聞いて知った、アタシについての事は全部口外禁止。もしそれが破られた時は本当に、命の保証はないと思いなさい」


 開口一番、物騒なことを言うもんだ。……そんなんだから勝手な偏見で部屋の想像をしてしまうんだぞ、と口には出さずに心の中で言い訳しておく。


「誰にも言わないよ。約束する」

「そう。それなら良かった」


 わざわざ広めて周る必要もないし、大体、事実を言った所で、逆に彼の方が変人扱いされるのもまた事実なのだ。


『神凪さんって実は手足が赤い鱗に覆われていて、そこから黒い爪が伸びていて、背中からは大きな翼が生えているんだぜ――』なんて話をした所で、一体誰が信じるというのか。


 実際に彼女のその姿を見て、身を持って経験した上鳴でさえも、あまりに現実味のない光景にまだ頭の処理が追いついていないというのに。


「家まで来てもらったのは、御削。アンタの疑問をここで全て、解消しようかと思ってね」

「……というと?」

「どうせアタシに聞きたいこと、いっぱいあるんでしょ? それに答えてあげるって言ってんの。道端じゃ、万が一にでも誰かに聞かれたら面倒だし」


 ……だが、聞きたい事、と突然言われてもそれはそれで困るものだ。思い浮かばないのではなく、分からない事が多すぎるせいで一体何から質問すべきか、見当もつかない。


「それじゃ、神凪さんのスリーサイz


 ――ドゴオオオオッ!! 神凪が放った無言のグーが、彼の顔面に突き刺さる。


「じょ、ジョークだって! は、はははははははは……」

「……やっぱりあの時、手加減せずに殺しておくべきだったかしら」


 神凪がとにかく冷めた視線でこちらを見つめて来るのが心にグサリと来る。が、これは完全に自業自得なので、弁解の余地すら残されていないのだった。


 上鳴は改めて、真面目な雰囲気へと戻すように。彼はずっと気になっていた、とても単純で、しかし今日の疑問が全て解決する簡単な質問をする。


「それじゃ。神凪さんは一体――?」

「最初としては平凡で、特に意外性のない質問ね。まあいいわ」


 いちいちトゲのある言い方をしてくるヤツだ。噂通りではあるのだが……。


「アタシは神凪麗音かなぎ れおん。世界でたった一人、《竜の血脈ドラゴン・ブラッド》を継ぐもの。……つまり、『竜』と『人間』のハーフ、って所かしら」

「ふーん。そういう神凪さんだって、別に意外性のない回答じゃないか?」

「え? だって、竜よ? ド・ラ・ゴ・ン! それにしては反応薄くない?」


 彼としては、『ああ、なるほどなあ……』といった感想だった。確かに竜だとか何だとかが実在する、というのには驚きもある。


 だが、赤い手足に鋭い爪。背中から生える大きな翼。そんな彼女を見た際に感じた第一印象から、そこまで大きく逸脱したものでもなかったからだ。


「確かに、すげーとは思うけどさ。もしかしたら俺、驚き疲れてるのかもしれないな」

「はあ、そんなものかしら。何だかちょっと拍子抜けよ。大体、アタシのあの姿を見られたのだって初めてだったから、こう見えても緊張してたんだけど……なんだか損した気分」


 ここは、多少オーバーにでも驚くべき場面だったのだろうか。何だかこの場の空気がどんどん変な方向へと動いている気がするので、切り替えるように。上鳴は、そもそもの原因となった――別の質問を神凪へと投げる。


「そうだ。……そもそも、なんで教室であんな姿になっt


 ――ドゴオオオオオオオッッ!! 二度目のグーが、またもや彼の顔面にクリティカルヒットする。


「お、おい! さっきのはともかく、これはれっきとした質問だろうが!」


 最初の質問はともかく、これは全く意味が分からない。女心を熟知している訳でもないのだが、今の質問でここまで殴られる筋合いだってないのは流石に分かる。


 顔面へと走った痛みに悶絶する彼とは対照的に、神凪は何故か顔を赤らめながら、掠れた小さな声で。


「…………た、のよ」

「ん? 神凪さん、今なんて? もう少し大きな声で――」


 よく聞こえなかったので、彼が聞き返している途中に。神凪はすうーっ、と思いっきり息を吸い込むと、そこからまるで大砲のように。


「――かゆかったのよッ!! 翼が! 悪い!?」

「うおおっ!? 大きな声でとは言ったけど叫べとは言ってない! しかも、悪いなんて一言も言ってないだろ!」


 だが、一度こう爆発してしまうともう止まらない。


「翼がない人には分からないでしょうけどね、ずーっと中にしまっておくと、どうしても我慢できなくなっちゃう時があるのよ!」

「分からねえよ! ってか、別にそこまで怒る事でもないだろそれ!」


 むううーーーっ、と、赤髪の少女が唸るような声を上げたのちに。


「もういいわよっ! 質問に答えてあげよう、なんて考えたアタシがバカだった! アンタなんかさっさと出て行っちゃえええッ!」

「あ、危ねえ!? こりゃもうダメだ、俺にはもう手が付けられん。お、お邪魔しましたああああッ!!」


 ボルテージが最高潮に達してしまった神凪は、ついにテーブル上のティッシュ箱とかリモコンとか、さらには折角用意してくれたオレンジジュースをコップごと、こちらに全速力で投げつけてくる。


 本当にどこかケガをする前に。上鳴は、逃げ帰るように彼女の家を後にした。



 

 不意に、理解しがたい『有翼人あるある』を披露されて、ついこちらもヒートアップしてしまったのも悪かったかもしれない。だが。


「……これ、俺が悪かったのか?」


 一方的に家に呼ばれて、また半強制的に追い出されたようなものだった。あまりに自分勝手で、危なっかしい奴だ。そんな感想を抱くのも当然なのだが……不思議と、話していて悪い気がしないのは何故なのだろうか?

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