第43話 宣美の決意

 内閣総理大臣との会談を明日に控えた宣美は前日から東京に来ていた、最後の別れを言いたい人間が一人だけいる、妹の麗娜だ。彼女は宣美が地元の赤羽まで行くと伝えると、仕事を早く切り上げてやってきた。


「オンニー、会いたかったよお」


「よしよし」


 ますます女に磨きが掛かった麗娜の頭を撫でる、しくしくと泣き始めるのも慣れた、たまに会っただけでこの調子では自分がいなくなったらどうなってしまうのだろうか、それだけが不安だった。


「ほらほら、感動の再開はそれくらいにして、さっさと行くよ」


 典子が呆れたように言うと、先を促した。地元の焼肉屋を予約してあるようだ。


「なんで典子ちゃんもいるの?」


 麗娜が質問する。


「なんでって、わたしは宣美のボディガードだからよ、この人は総理大臣と会談するような大物なのよ、一人でプラプラ出歩けるわけないでしょうが」    


 そうだったのか、初めて知った。単に久しぶりに東京に来たいだけだと思っていたが。まあ、典子の本音は分からないが。


 実際に宣美の顔を知っている人間などいない、まさか自分がワイドショーを賑わすネオコリアンを作った奴だとは思いもしないだろう。


 まだ時間が早いのか焼肉屋は空席が目立った、個室の席に通されると三人とも生ビールを頼む、最後の晩餐か、と悲しい気持ちにでもなるかと思ったがそうでもなかった。むしろ晴れやかな気持ちで今日を迎えた。 


「ねえねえ、オンニ、彼氏できた?」  


「えー、できないよお」


「典子ちゃんは?」  


「興味ないわね」


 普通の女子がするようなガールズトークをしていると本当に自分も普通の女の子のように思えてくる。


 それにしても典子はまったく柳の気持ちに気がついていないようだ、これからの彼の苦労を考えると気の毒になった、しかし、とてもお似合いの二人だと思う。


「麗娜はどうなのよ、あんたモテるでしょ?」


 典子がキムチを掴んだ箸で麗娜を指すと、もじもじしながら答えた、どうやら自分が話したかったようだ。


「うん、ちょっと気になってる人がいてさ、先輩なんだけど」 


 先輩ってことは、美容師ということか、同じ職場の先輩は仕事を覚えたての麗娜にとって憧れの存在だろう、それを恋心と勘違いしてしまうのも若い女の子あるあるかな、って誰が偉そうに。と心の中で自分にツッコミを入れた。 


「へー、石川孝介が聞いたら卒倒しそうね」


 興味がなさそうに肉を焼いている典子はサンチュに青唐辛子やにんにく、ナムルを乗せてスタンバっている。


「こうちゃんかあ、なんだか子供っぽくてね、かわいいけど」


 ふふふ、将来の総理大臣候補も麗娜にかかれば子供扱いか、でもどうしてだろう、あの男はある意味で誠実、まっすぐ麗娜を見てくれるので姉としては安心するところもある。


「ねえねえ、オンニいつまで手袋してるの、取れば?」


「ね、暑苦しいわよね、しかも右手だけ」


 典子が賛同するが、外すわけにはいかない。起爆装置が誤作動しないよう絶縁体の役割をする電磁波が流れていると金田から説明を受けた。焼肉を食べている途中にドーンと爆発なんてまったく笑えないだろう。


「うん、ちょっと手の甲を怪我してて、サポーターみたいな物なの」


「へー」


 二人は興味を失ったようで次の話しに移った、それから二時間ほど飲んで、程よく酔ってきた所で急に典子が「石川孝介を呼ぼう、麗娜よろしく」と言って持っていた携帯電話を渡した。


「ちょっと、迷惑でしょ」


 宣美の忠告もまったく無視して麗娜まで「呼ぼう呼ぼう」と言って電話を耳に当てる。


 果たして、未来の総理大臣は麗娜の電話から三十分もしないでやってきた、政治家ってそんなに暇なのだろうか。


「麗娜、ありがとう呼んでくれて、げっ、長崎もいる」


「なーにが、げっ、よ。あたしが呼べばって言ってあげたのよ」 


 注文を取りに来た店員に石川がビールを頼むと、その顔に見覚えが会ったのだろう、握手を求めて去っていった。


「でさあ、あんたのパパ、なにが狙いなの?」


 そうか、典子が石川を呼んだ理由は明日の会談に向けて少しでも情報を引き出そうとしてくれたのだろう。


「あん、そんなの分からないよ、お気楽な総理だからな」


 この男の父親にして、内閣総理大臣の石川誠一郎は端正なルックス、外交で海外に行っても外人に引けを取らない身長、抜群の英語力で国民の支持率は過去最高だった。


 いつも笑顔の男に付いたあだ名は『スマイル総理』。その穏やかな雰囲気とは逆に剛腕を振るって様々な法案を通してきた、国民は皆この男に期待している。だからこそインパクトがある。


「家族なんだからなんか聞いてるでしょうが、言いなさいよ」  


 典子は諦めない。


「いや、だから」


「麗娜の秘密、知りたくないの?」


「え、麗娜の秘密って」


「あんたが情報をくれたら教えてあげるわ、とっても重要な麗娜の秘密をね」


 石川は目を見開いてわなわなと震えている、だめだ、この男は麗娜の事になると我を失う。


「ちょっとちょっと、典子ちゃん、私の秘密って」


「親父は――」   


 石川は一旦、運ばれてきたビールを一気に半分ほど煽ってから再び話し出す。


「親父は宣美を内閣に取り込もうとしてる、行政の一つとして在日朝鮮人を扱う部署を新設、そこのトップに宣美を据える」


 開いた口が塞がらなかった、いくらなんでも無謀すぎる。そんな法案が通るはずがない。

 

「せっかくの支持率が急落するわよ」


 いくらなんでも時期がわるい、日本人の反朝感情は戦後、最高潮に達している事だろう。


「あー、あの親父は支持率とか全然気にしてないんだよなあ、自分がやりたいようにやるっていうか、まあ周りは振り回されてるよ」 


「なんでそんなに在日よりなの? あんたは麗娜がいるから分かるけどさあ」


「さあね、でも宣美の事は話したよ、知ってる範囲で、あ、麗娜の話のついでにね」


「ねー」と言って顔を見合わせている麗娜と石川、本当に付き合っていないのだろうかこの二人は。別にいいけど。


「さあ、さあ、麗娜の秘密を教えてもらおうかい、さあ」


 ずすいと典子に先を促す石川に彼女は冷めた口調で言い放った。


「あー、麗娜ね、今好きな人がいるんだって、美容師の先輩、だからあんまりまとわり付かないでよね、邪魔だから」


 石川はそのまま固まって動かない、さあさあ、と差し出した手もそのまま固まっている。


「ちょっと典子ちゃん、好きなんて言ってないでしょ、ちょっと気になるだけだよ」


「麗娜、それを恋、いや愛と言うのよ、すみませーん、芋焼酎お湯割りくださーい」  

 

 石川は呆けたままブツブツと「愛」「恋」「先輩」「パイセン」などと呟いている、その光景がなんだか面白くて三人で大笑いした。動かない石川を典子が箸でツンツンと付いている。


「だめだこりゃ」 


 一通り笑い倒したあとに麗娜が石川に耳打ちした、するとあっという間に復活してビールを煽りだす、なんて言ったかは聞こえなかったし教えてもくれなかったけど、唇の動きが「こうちゃんも好きだよ」に見えた。 


「あのさ」


 いろいろあったけど、この二人に出会えて良かった、数少ない友人と呼んでも良いだろうか。嫌がらないかな、そんな人達じゃないか……。


「ありがとう」


 最後にそれだけ伝えたかった。

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