第42話

「柳くん、少し休んだら?」


 集会所の地下では柳がモニターをじっと見張っていた、いや、見張ると言うよりは観察していると言った方が良いかもしれない。


「大丈夫ですよ、二時間ほど寝ましたから、それより」


 モニターからまったく視線をそらさずに柳が話す。


「彼らは順応がはやいですね」


 日本人収容所に監禁された島民たちは、いたって普通の生活を送っていた。そのライブ映像は日本政府と共有している。


 人質とはいえ安全と無事が保証されているからこそ、ここまで時間を引き伸ばせているのだろう。


「与えられた環境に適応する能力は日本人の強みかもね、単純なのよ」


 宣美は柳の隣に座ってモニターを眺めた、自転車を漕ぐ男、洗濯物をする女、料理をする男女。それぞれの役割分担がすでにできているようだ、動きに無駄がない。


「柳くん」


「なんでしょう」


「みんなをよろしくね」


 モニターを凝視していた柳がゆっくりとコチラに顔を向けた。


「どうしたんですか?」


 おそらく心配してくれているのだろうが、表情は変わらない。


「柳くんは頼りになるからさ、みんなを護ってあげて」


 じっとコチラを見ている、先に宣美が目をそらした。


「僕は、宣美さんのお役に立てれば何でもしますよ」


「ありがとう、典子もきっと力になってくれるからさ、仲良くしてあげてね」 


「長崎氏ですか、えっと、そうですね、ええ、日本人にしてはまあ、なんでしょう、まあ、ええ」


 急に歯切れが悪くなる柳を見て宣美は微笑んだ、彼はきっと典子に恋心を抱いているのだろう。


「ふふ、好きなの?」


 いつもなら柳をからかうような発言は絶対にしないが今日はなんとなく意地悪したくなった。


「な、なにを、そんなわけないじゃないですか!」    


 ふふふ、顔を真っ赤にして焦っている、冷徹に見える柳にもこんな一面があるのだと思うと幸せな気持ちになった。


「いいのよ、人を好きになるのは素敵なことじゃない」


「でも、やつは日本人です……」


 俯いたまま呟く彼は中学生のようだった。


「愛に国境はないよ、なーんて、彼氏もできたことない人が言っても説得力ないか」


 シーンと静まり返るモニタールームで収容所の生活音だけが聞こえてくる。


「柳くん」


「はい?」


「こーゆー時は、そんな事ありませんよ、とか言うものよ」 


 宣美は立ち上がり「じゃあね」と言って柳に挨拶をすると扉を開いた所で後ろから声がかかる。


「宣美さん」


「ん?」


 振り返らずに返事した。 


「変なこと考えないでくださいね、我々にはあなたが必要です」


「なによ変なことって、柳くんは考えすぎよ、女の子にモテないよ、じゃあね」  


「宣――」


 扉を閉めて集会所を出る、雲一つない透明な青空の下で深呼吸をした。都会と違って綺麗な空気を肺に吸い込むと、自分が浄化されたような気がする、唇をギュッと結ぶと約束の場所へと車を走らせた。



 そこは、なんて事ない普通の日本家屋だった、木造平家のこの中で爆発物が製造されているとは誰も考えないだろう。


 唯一の配慮として半径百メートル以内に人が住む家はない。表札には金田の札が掛けてあった。


「こんにちはー」


 カラカラと引き戸を開ける、もちろん鍵なんて掛かっていない、するとバタバタと奥から初老の男が現れた、口と顎に蓄えた髭は真っ白で仙人のような佇まいだ。


「よく来たねえ宣美。ほら、上がりなさい」


「はい」


 広い三和土にスニーカーを揃えて金田に付いていった、漆黒の木の廊下が遥か遠くまで伸びている、その途中にある襖を開くと中は畳の部屋で二十畳はゆうにある。


 にも関わらずなぜか洋風のソファと応接セットがアンバランスに中央に置かれていた、そこにジーンズに白いシャツのラフな格好をした三十代くらいの男が座っている。この島、唯一の医師である木本だ。


「これは、これは宣美さん、ご無沙汰です」


 健康が取り柄の宣美は木本に会う機会は皆無だった。


「こんにちは、お忙しい中、申し訳ありません」


 深々と挨拶をすると木本は顔の前で手をヒラヒラさせた。


「とんでもない、この島の住民はみな健康体でねえ、出番なんか殆どありませんよ」


 確かにここに来てからは風邪も引かない、やはり自然が多い場所での生活の方が健康には良いのかもしれない。


「ちょいと座って待ってな、お茶入れてくるから」


「あ、お構いなくー」


 と言った時にはすでに姿は見えない。木本の前に腰かけた、思ってたより上等なソファで体がズブズブと沈んでいった。


「しかし、医者と爆弾魔の組み合わせとは妙ですね、人を壊す物を作る人間と治す人間、相反する仕事ですから」


 木本は珈琲カップに手を伸ばすと一口啜った、一瞬見えた頭頂部は薄くなっている、まだそんな年齢じゃないはずだが、本人が言うよりは苦労が多いのかも、と考えていると「はい、お待たせ」と金田が戻ってきた。


「ありがとう」 


 礼を言ってお茶に手を伸ばすが、熱くて持つ事もできない。あたしも珈琲が良かった、と思ったが口にはしなかった。


「で、どうしたんだい今日は? 爆弾魔になにか用かな」


 言いながら木本の横、宣美の正面に座った。どうやら、先程の会話は聞かれていたようだ、年寄りに見えるが耄碌もうろくしてはいないようで安心する。爆弾を作る人間がボケていたら怖くて仕方ない。


「ええ、担当直入に伺いますね、まず、金田さん」


「はいよ」


「爆発を一定の方角に限定する事は可能ですか」


「方角?」


「ええ、普通の爆弾は爆発物を中心として全方向に向けて炸裂しますよね? それを……例えば前方にいる人間だけに向ける、とか」


 金田は白い髭を右手でつまみながら天井を眺めている、おそらく彼が考える時の仕草なのだろう。


「それは、例えば私がこのテーブルに爆弾を置くとする」


 タバコの箱を爆弾に見立てて、宣美の前に置いてトントンと叩いた。


「三.二.一. ファイヤ」


 閉じていた掌を上に向けて開いた。


「普通の爆弾なら三人とも木っ端微塵だ、それを宣美だけ吹っ飛ばすように調整できないかって事だね?」


 ニヤリと深いシワが刻まれた顔を歪ませた。


「おっしゃる通りです」


「そりゃあ無理だ、いや、少なくとも私には無理だ、もちろん火力の調節はできる、しかしこの至近距離で私が無傷ってのは現実的じゃないな」


 金田は大袈裟に万歳をして降参のポーズをとった。


「しかし、火力調節はできるんですね? ならば緩衝材のような物があれば限りなく後方への被害を減らす事はできますよね」


「ふむ、理屈はそうだが保証はできんな」


「ええ、結構です」


 あくまでもこれは安全策だ、必ず必要な場面になるとは限らない。


「次に木本さん」


「はい」


「爆弾を体に埋め込むことは可能ですか?」


 二人の目が同時に見開いた、宣美がやりたい事におおよその検討が付いたようだが、果たして。


「埋め込むって、宣美さん、それは」


「それ自体は可能ですよね、問題はそこじゃないんです」


 話を進めて質問するスキを与えない。


「起爆装置も埋め込みたいんです、できればそうですね、右手に仕込んで握手したらドーン、みたいな」


 先程の金田を真似て掌を上に向けて開いた。木本は金田の方を向いて何かを目で訴えている、しかし金田は目を閉じて首を横にふるだけだった。


「起爆装置をどの程度小さくできるかにもよるけど、おそらく現代の技術なら可能でしょう、でも、いいですか? 質問」


「はい」


「誰がそんなことをするのですか」


「もちろん私です」


「馬鹿な、話にならない、そんな事をみんなが許すと思うかい?」


 木本が言うと金田も顎髭を触りながらうんうんと頷いている。


「私は立派な犯罪者です、無関係な人間を殺しました、それに」


 亮二を殺したのも自分だ――。


「それに、今回のターゲットに近づくのは私意外には不可能です」  


「無関係な人間て、あの虚偽メールの事件かい? あれは、くそ日本人が己の欲求を満たすために我々を利用したんだ、宣美さんが気にする必要はない」


「ちょっと待て、宣美、お前しか近づけないターゲットってのは誰だ?」 


 木本がタバコに火を付けて煙を吐き出すと、まだ長いフィルターを巨大な灰皿に押し付けた。


 宣美は二人の目を交互に見つめて一度、深呼吸した。


「石川誠一郎。日本の内閣総理大臣です」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る