第36話

「進入者は三名、若い女二人に三十代と思しき男が一人、尾行しますか?」


 朝っぱらから自宅の電話が鳴ったかと思うとヘリコプターでやってきた観光客の報告だった。念のため来島者は逐一チェックしている。


「そうね、お願い」


「かしこまりました、では」


 こんな島に若い男女が観光だろうか、今までにも皆無だったわけじゃないがタイミングが悪い。


 喫茶店の開店準備をしながら島民はすでに確保したのだから情報収集が目的の『宿り木』も閉店して良かったのだが、長年染みついたルーティンが抜けることはなかった。


 オープンして三十分も立たずにカランカランと鳴ったドアベルの下には麗娜が硬い表情で突っ立っている、それだけでも驚いたが続いて入ってきたのは石川孝介と長崎典子だった。


「あなた達だったのね」


「え?」


「なんでもないわ」


 宣美は三人をテーブルに座らせてから入口の扉を開けて外にでる、キョロキョロと辺りを見渡すと全身黒ずくめでキャップを被った怪しい男が電柱の陰に隠れていた。


「ちょっと張本くん、いかにも怪しすぎないかしら」


 三ヶ月前の講演会で宣美の話に感動した金(キム)大世(テセ)こと張本は卒業を待たずにこの島にやってきた。


「あ、宣美さん、そうですかね? それより奴らは」


 まだ幼さの残る整った顔をこちらに向ける。


「私の妹、と友達、かな」


「ああ、講演会の時にいた、すみません。遠くて気がつきませんでした」


 脱帽してぺこぺこと頭を下げる張本に「大丈夫よ」と声をかけると彼は「では、島のパトロールに戻ります」と言って足早に去っていった。


 双眼鏡くらい持てば良いのに、やる気はあるのだがイマイチ抜けている張本の後ろ姿をみてほっこりした、彼は癒し系だ、子犬に似ている、それより。


 あの三人は何しに来たのだろうか、麗娜と石川は先日の件があるからなにか報告でもあるのかも知れない、にしても電話やメールですむ話だろう。


 長崎典子――。



 朴家をメチャクチャにした日本人の内の一人、よく自分の前にのこのこと顔を出せたものだと感心するが、なかなかどうして、彼女に対する怒りはまるでなかった。


 店内にもどると三人は大人しく座っていた、カウンターの中に入り「珈琲でいいかしら?」と聞くと同時に頷いた。


「いったいどういう顔ぶれなの」


 四人分の珈琲を置いて宣美は麗娜の隣に座った。


「宣美、あなたに協力しにきたのよ」


 黒髪を顎のラインで切りそろえたボブは高校時代よりもシャープな顔になった典子に良く似合っている、しかし彼女の発言の意図は掴めない。


「協力?」


「あなた、この島を在日朝鮮人だけが暮らせる独立国家にしたいらしいわね」


 宣美は軽くため息を漏らした後に隣の麗娜を睨みつけた、彼女は俯いたまま目を合わせようとしない。


「だったらなに?」


「あたしも手伝う、これでも優秀な弁護士なの、国と交渉するにしても法律の知識は必要不可欠だと思うけど」


 自分の事を優秀と言うあたり、いかにも典子らしいが、さて、彼女の目的はなんだろうか。


「そのかわり私もこの国の人間にして」


 典子の発言に石川と麗娜も驚いている、宣美は珈琲を一口飲むとはっきりと拒絶した。


「在日朝鮮人だけの島、わかる?」


「そこは、あなたがトップなんだから融通してよ」


「なにが狙いなの」


 容姿端麗、頭脳明晰、弁護士になって悠々自適な生活を日本で送っているであろう典子がなにが悲しくてわざわざ朝鮮人だけの離島に移住するのか。


「社会主義国、競争のない社会、素晴らしいわ」


 目を輝かせて主張する典子は嘘をついているようには見えなかった。


「ちょっとちょっと典子ちゃん、話が違うんじゃ」


 やっと麗娜が口を挟んできた、なるほど。どうやら自分を心配した麗娜が二人にお願いして、馬鹿な計画を中止するよう説得するためにわざわざご足労頂いたと言うわけか。


「麗娜ちゃん、宣美がやろうてしてる事は素晴らしい事なの」


「でも、島の人たちを……」


「麗娜、大丈夫よ、島の人達は安全な場所で何不自由なく生活してもらってるから」


 麗娜は少しだけホッとしたような表情を宣美に向けた。


「石川さんはどうして、まさかあなたまでこの島に住みたいなんて言わないでしょうね」


 手をブンブン振って否定した石川だったが「麗娜がここに住むなら」と、変わらず麗娜への愛を口にした。 


「言われたことは、しっかりやってくれているようで安心したわ」 


 実際に石川孝介の問題提起、つまりは在日朝鮮人の選挙権については国会で真っ二つに意見が別れていた。やはり次期総理大臣の器が彼にはあるのだろう、その恩恵にあずかろうという人間が賛成派にまわっているのは明確だった。


 さてどうしたものか、石川はともかく典子は危険だ。この島で殺してしまうか。しかし彼女の言うように弁護士としての意見も聞いてみたい。


 わずか一分の脳内会議の結果、彼女はしばらく泳がせる事にした、ただし本島には帰さない。帰ると言った時点で殺す。


「ちょうど今日の夜、幹部会議があるのよ、あなた達も参加してちょうだい」


 典子は満足したように頷き、石川はため息をつく、麗娜はどうして良いか分からないのだろう、二人の顔を交互に見ながら戸惑いを隠せずにいた。

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