第9話 盗人(勇)

 スラムに生きるヌートスは目端が利く。

 鈍臭い相手から上手く金を盗み、これまで幼い弟妹を食わせて生きて来た。

「だけどな、これじゃ駄目だって事に俺は気付いた」

 ヌートスの言葉に弟妹たちは真面目な顔で頷く。

 薄汚れた路地裏の、大きなゴミ箱とゴミ箱の間にある隙間がヌートスたちのねぐらだ。頭上に渡した板のお陰で雨はしのげる。冬は寒いが皆で引っ付いて寝ればなんとかなる。

 そんなねぐらで、ヌートスは胡座をかいて弟妹に言って聞かせる。

「去年の冬は越せたが、今年の冬はどうだ? 来年の冬はどうだ? いつまでも上手く行くかは分かんねぇよな。ほら、隣の連中が死んだみたいに」

 隣の路地で、まだ仲の良い方だった連中は凍死した。もちろん、そいつらの残した小物や何やらは直ぐに頂いておいた。

 しかしその時、ヌートスは不安になったのだ。

 もちろん小物を頂いた事ではない。ヌートスが死ねば、また別の連中が全てを持っていく。それが、このスラムの掟。気にする必要もない。

 悩んだのは弟妹のこと。

 凍え死んだ奴らの姿に、弟妹の姿を重ねたのだ。自分が死ぬのは構わないが、弟妹が死ぬのは駄目だ。耐えられない。

「で、俺はいろいろ聞いて回ったわけだ。それで知ったが、勇者になれば金が貰えるらしい。住む所も簡単に見つかるし、食べ物だって貰えるらしい」

 二人とも感心して手を叩いている。

「まだ勇者になれるかは分かんねぇけどな。でも、勇者の加護が貰えるか確認すんのに金がいる」

 二人ともガッカリして項垂れている。

「安心しろって。金を手に入れる方法は考えてあるからよ」

 ヌートスは目端が利く。

 だから金を頂くのに丁度良い店は考えてある。


 路地裏の屋根が赤で壁は白の店。

 ヌートスは物陰からそこを窺っていた。人が出て入って、そこそこ繁昌している。何かのタイミングで店が留守になる時を待ち続ける。

 そうして待つのは慣れている。

 ――出て来た。

 夕暮れが終わって辺りが薄暗くなる頃、店の者らしい男と女が出てきた。樫の木の扉に下げられた看板を裏返し、ドアに施錠をして二人して歩きだした。

 きっと、これから何か食べに行くのだろう。

 楽しそうに笑う様子を睨み付け、その姿が遠ざかって見えなくなるまで待つ。あれだけ楽しそうなら、少しばかり金を頂いても心は痛まないというものだ。

「行くぞ」

 弟妹に声をかけ早すぎない動きでドアに近づく。

 ドアの鍵はよくある形状で、壊れて捨てられたドアで何度も練習したので開ける自信はあった。もちろん簡単ではないが、焦らず冷静に何度も試していく。

 カチッと音が響いて鍵が開いた。

「よし、早いところ中に入るぞ」

 そっとドアノブを回して店に侵入した。


 カランコロン――小気味よいドアベルの音が響く。


 思ったより大きな音に、ヌートスは背筋が冷やついた。こうして盗みに入るのは初めてで、心臓の音がいつもより大きい。ただし弟妹の前なので平静さを保っておく。

 店の中は薄暗いが、そこは別世界だった。

 沢山の品がある。

 高そうな黄金の腕輪や、鋭そうな短剣。何かの髑髏や骨もあれば、それと並んで王冠のようなものもある。

 自分たちの暮らしとは全く別世界だった。

 ごくりと唾を飲み込み気を取り直す。

 今は見とれている時ではない。

「早いところ金を探すぞ。いいか、こういう店って場所にはな。奥に金が置いてあるもんなんだぞ」

 物知りなヌートスの弟妹二人は感心しきった様子だ。

 実際には全く分からないが、そのまま奥へと進み金を探しに行く。

 その時であった――声が聞こえたのは。

「そこから先は従業員専用だ。客の立ち入りは遠慮願おうか」

 突然の声に、ヌートスは心の底から驚いた。

 弾かれたように振り向くと、入り口ドアのところに店の男が立っている。いったいいつ入ってきたのか、しかしドアベルの音は全く響かなかった。

 ――拙い。

 咄嗟に考えたヌートスは弟妹を連れ奥に逃げた。しかし、そこにも人の姿が現れる。やはり出かけたはずの店の女性だった。

 こうなると観念するしかなかった。


「さて、ヌートスと言ったか。店に押し入った盗人が受ける罰を知っているか?」

 殴られるかと思いきや、まだそうはなっていない。

 それどころかテーブルに案内され座るよう促されている。隙を見て逃げたかったが、弟妹二人が甘い飲み物に喜んで動きそうにないので逃げられない。

「罰? いいぞ、俺は殴られるのも蹴られるのも慣れてるぜ」

「一回目の罰は指を切り落とされる」

「……え?」

「二回目三回目までは指だが、四回目は腕になる」

 弟妹たちが震え上がって手を後ろに隠した様子に、ヌートスは身を乗り出した。

「待て! 盗もうとしたのは俺だ。こいつらは俺が連れてきただけだ、関係ない。やるなら俺にしろ」

「安心しろ。言ってみただけだ、気にするな」

 イスルギという店主は、ヤサカという女に睨まれ慌てた様子で言った。どっちが偉いのか良く分からない。

「それで? どうして、ここに忍び込もうと思った?」

「そりゃ大きい店だと防犯対策がしっかりしているし、小さい店だとあれだろ」

「あれとは?」

「盗んだら可哀想だろ」

 ヌートスの言葉に店主は目を瞬かせている。

「分かんねーかな。小さい店から盗んだら、店が明日から困るだろうが」

「ここは問題ないとでも?」

「そこそこ小さくなくて、そこそこ売れてるだろ。客は毎日来てるみたいだ。これがマギナ通りの小さな店で盗んでみろよ、明日には店の連中は夜逃げするしかなくなっちまう」

 ちゃんと、そこまで考えてある。

 弱い奴から奪わない盗まない、強すぎる奴には関わらない。それがスラムで生き抜いてきたヌートスの心情だ。


「金を盗んでどうする気だった?」

 イスルギの質問に答えてやる必要は無いのだが、しかしぶつけてやりたかった。こんな良い生活をしている相手に、スラムで生きて来た自分の苦しみというものを。

 誰に言っても相手にされないだろう。

 だが、この相手は真剣に聞いてくれると心のどこかで感じていた。

「俺は勇者になりたいんだ」

「ほう、勇者に」

「でも金がないと聖堂に入る事すらできない。入れないと、加護が貰えるかどうかも分からない。これだと俺は、勇者になるチャンスすら貰えない」

 ヌートスの言葉にイスルギは何度も頷いている。

 本当に聞いてくれている様子だ。

 こんな相手は初めてだった。

 甘い飲み物どころか甘い食べ物まで出してくれるヤサカも初めてだ。

「ここは勇者用品店なんだろ。だから俺が勇者になるため、ちょっと金を貰ったって問題ないって思うんだ」

「……くくくっ、面白いな」

 イスルギが額を押さえて笑い声をあげた。

「これがいい、こうでなければいけない。こういう奴がいいんだ」

「おいっ笑うなよ! 俺は真剣なんだぞ!」

「ああ、すまない。別に馬鹿にしたわけではない、嬉しくなっただけだ」

 どうやら、その言葉は本当らしい。

 イスルギの笑顔は、これまで他の連中から向けられてきた嘲笑ではなく、優しく嬉しそうなものだ。さらに――。

「いいだろう。その勇者になるための金を出してやろう」

「え!?」

 何を言われたのか、ヌートスには分からなかった。

 戸惑っているとイスルギは腕組みしながら顎を触っている。

「さっき自分で言ったではないか。確かに、ここは勇者用品店。だから勇者になるため金を出しても問題あるまい」

「あっ、えっ……本当に?」

「先行投資という奴だ、勇者が増えれば俺も嬉しい」

 どうやらイスルギは客が増えるのを期待しているようだ。

 もちろんヌートスは、勇者になれたらこの店に来るつもりでいる。

 絶対にだ。

「ああ、どうせだ。三人揃って勇者に挑戦してみたらどうだ。その方がいいだろう?」

 イスルギの言葉にヌートスは大急ぎで頷いた。

 ここに入ったのは間違いではなかった。やっぱり自分は目端が利くのだ。


 そして勇者用品店イスルギに新たな常連が三人が増えた。

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