第32話


次の日、朝早く起きたセレニティはマリアナが持ってきてくれた軽食を食べていた。

普通に食べ物を咀嚼して飲み込んでと、こんな些細なことでもセレニティにとっては涙が出そうなくらい嬉しくて仕方なかった。

毎日、喜びを噛み締めるようにして朝食を食べる様子にマリアナは「美味しそうに食べますね」と言いながら嬉しそうにしている。


そしてセレニティは動きやすい服装に着替えるとワクワクしながら玄関に向かった。

扉が開くと爽やかな朝の冷たい風がヒュッと吹き込んでくる。

玄関から顔を出したセレニティは思わず体に力が入ってしまい、ぐっと胸元で手を握って立ち止まった。

口から飛び出してしまうほどに動く心臓と思い出す痛み。

その様子をマリアナや他の侍女達は不思議そうに見ている。



「……っ!」


「セレニティお嬢様、外に出ないのですか?」



そう声をかけられてハッとする。


(わたくしはセレニティよ。苦しくならないわ。大丈夫……)


以前の感覚が残っていたからか身構えてしまったようだ。

言い聞かせるようにして深呼吸をしていた。

セレニティの前で再び扉が開いた。



「ほ、本当に……わたくしが外に出てもいいのかしら」


「……?はい、もちろんです」 



セレニティは恐る恐る足を出して一歩を踏み出した。

ブワッと吹き込んでくる強い風にピンクベージュの髪が靡いた。

太陽の光を感じた瞬間にセレニティは眩しさに瞼を閉じる。


そして体に痛みを感じないことを確認してから、一気に駆け出した。



「やったぁ……やったわ!すごいっ、こんなのって……!」


「セレニティお嬢様、お待ちください!」


「外よ……!わたくし、外に出たんだわ!」


「はしゃぎ過ぎですよ!お待ちくださいませ」



マリアナの制止する声にばあやを思い出して足を止める。

好き勝手するとあとで怒られてしまうことはわかっていた。


セレニティはマリアナが側に来るのを待ってから新鮮な空気を思いきり吸い込んだ。

そして手を広げてその場でクルリと回った。


胸も苦しくなければ、意識が混濁することはない。

セレニティは大興奮で庭をグルグルと駆け回っていた。

周囲から本気で心配され始めた頃、セレニティは次第に息が上がってきて以前と同じように心臓がギュッと握られるような感覚に苦しくなって足を止めた。


(大丈夫……なのかしら。怖いっ、どうしましょう)


そして病だった時の恐怖を思い出して、じっとしていると次第に胸がスッとして息苦しさは消えてしまった。


(嘘っ……治ったわ!もうどこも痛くないっ!ただ走りすぎただけなのかしら。普通の人はこんな感覚なのね)


今のセレニティにとっては全てが真新しく新鮮なことだった。

ジリジリと太陽に照らされながら青空を見上げた。

じんわりと滲む汗、暑いと感じる感覚……全てが喜びに満ちていた。



「ああ……なんて素晴らしいの!」



セレニティは中庭に移動して芝生に倒れ込むようにして寝転がった。

肌が焼けないようにかマリアナが日傘を手にセレニティを覗き込むようにして心配そうにしている。



「セレニティお嬢様、大丈夫ですか?」


「えぇ……わたくし幸せすぎて頭がどうにかなってしまいそうだわ」


「わたしもセレニティお嬢様が心配で片時も目が離せません。頭がどうにかなってしまいそうですよ」


「ふふっ、マリアナってば大袈裟ね」


「……はぁ」



シェフにサンドイッチを作ってもらい、中庭にある椅子に腰掛けながらサンドイッチを頬張っていた。

お腹がいっぱいになり、泥だらけになって遊んでいたセレニティに両親とジェシーが何を思ったのか知る由もない。


この日、セレニティはマリアナに強制的に部屋に戻されるまでずっと外にいたのだった。


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