第22話 何をしているのかな

どうしてここに。彼女がいるんだろう。


扉の向こうにいたのは、花房さんだった。


「ああ、逃げないでね。」


 焦ってその場を立ち去ろうとする彼女の腕をすかさず掴んだ。彼女は狼狽えている。私から見えるのは奏さんの後ろ姿だから、どんな顔をしているのかはわからないけれど、奏さんの声は驚くほどに冷たかった。


「えっと、その、私は…。」

「何をしていたのかな。」

「様子を見に来ただけです。」

「ふーん、どうして?」

「えーっと、ほら、私日野さんとは仲良しですのよ。大切な友達が倒れたって聞いて心配になりましたの。ね、日野さん。」


 張り付いたような満面の笑みで私に手をふる花房さん。私は言葉を返せなかった。自分がどんな顔をしているのか分からないけど、奏さんはちらっと私の顔をみると花房さんに向き直った。


「そうだったんだ。腕掴んじゃってごめんね。痛かったよね。」

「いえっ、そんな。」


 花房さんの手首をさらりと撫でる奏さん。花房さんはポッと顔を赤らめた。胸の奥がチクっと痛い。どうしてだろう。友達なんて嘘をつかれたからだろうか。


「日野さん、宜しければ一緒に寮に帰りません?」


 花房さんはにっこり笑って私に手を差し伸べてきた。思わず友達だって錯覚してしまうくらい無邪気な笑みを浮かべている。私はその手を取らずに、じっと花房さんを見つめた。


「どうしましたの、日野さん?もしかしてまだお体の調子が悪いとか?そうだ、肩を貸しますわ。」


 私に近づいてくる花房さん。よく見れば目が笑っていない。私の目には歪んだ笑顔に見える。

 一歩一歩花房さんが歩み寄る。もう少して手が触れそうだという時、スッと私の前に入ったのは奏さんだった。


「ごめんね、花房さん。悪いんだけど、琴ちゃんは今日私の家に泊ることになっているんだ。」

「えっ。」


 花房さんは目を見開いて驚いている。私も初耳だ。慌てて奏さんの顔を見つめると、奏さんはにっこり笑った。いつ泊まる話になったんだろう。

 そんな私をよそに、花房さんは私の顔をじっと見つめた。


「なっなんでしょう。」

「いいえ?」


 花房さんは私の表情、そして受け答えで確信を持ったようだった。泊まるなんて話は今さっき決まったものだと察したのだろう。彼女はニヤリと笑った。


「そうなんですか。外泊は事前の届け出が必要です。差し出がましいようですが、外泊届は提出済みですか?」

「もちろん。君たちの寮長にも話は通してあるよ。疑ってるなら寮長に聞いてみたらいい。」

「うっ疑ってなんていませんわ。奏様。」

「そう。じゃあ私たちはこれで失礼するね。」


 奏さんは私の手を取り、王子様のような丁寧で紳士的な所作で私を立たせた。そしてさりげなく腰に手を添えて私の体を支えると、ゆっくりと歩き出した。花房さんは驚いたような顔をしている。あと数歩で医務室をでるという時、奏さんはふと足を止めた。


「ああそうだ。」

「な、何でしょう。」

「琴ちゃんと仲が良いんだよね?さっき友達だって言ってたし。」

「そうですけど。」

「これ、職員室へ提出しておいてくれないかな。御覧の通り、琴ちゃん体調不良だからね。」


 花房さんは明らかに、何で私が?と言わんばかりの顔をした。


「友達、なんだよね?」


 奏さんは口角をクイっと上げて、念を押すように言った。笑っているのに目が笑っていない。むしろ視線が鋭い。これじゃ雪の王子様じゃなくて氷の王子様だ。


「わかり……ました。」

「ありがとう。じゃあ、よろしくね。」


 学級日誌を花房さんに渡すと、奏さんは私を支えながら医務室をでた。私が医務室を振り返ろうとすると、奏さんは小さな声で囁いた。


「よそ見禁止。」


 ふっと笑った奏さんの顔は、さっきとは全然違うあたたかな笑みを浮かべていた。




 熱があるせいだろうか、それとも別の理由があるのだろうか。奏さんに支えられている場所が、体がやけに熱い。きっと顔だって赤い。顔を見られたくなくて出来るだけ俯いて歩こう、うん、それが良い……って思った矢先に奏さんは私の顔を覗き込んだ。いちいち心臓に悪い。


「大丈夫?歩くのつらい?」

「いっいえ、大丈夫です。」


 奏さんは足を止めて、しゃがんで背中に手を当てた。


「どうぞ。」


 これは…おんぶだ。いやいや、そんな子どもみたいなことをしてもらうわけにはいかない。私は首を大きく左右に振った。


「大丈夫です。大丈夫ですから!それに奏さん潰れちゃいます。」

「大丈夫だよ。琴ちゃんは羽のように軽いから。」

「そんなわけないですから!」


 顔を上げて手をブンブンと振りながら必死に訴えると、奏さんはクスっと笑った。


「やっと顔を上げてくれた。あはは、顔、トマトみたい。」

「とっトマト?」

「完熟トマト。顔真っ赤。ふふっ。かーわいい。」

「からかっているんですか!」

「んーん。本心。」


 奏さんは立ち上がり、制服のスカートを軽く叩いて埃を落とすと、改めて私の手を取った。さっきみたいな王子様のエスコートじゃなくて、今度は手をつないで並んで歩き出す。


「じゃ、いきますか。」


 どうしてだろう。相変わらず体に多少のだるさは残っているものの、何となく気持ちがすっと軽くなっている。


「ああ、琴ちゃん聞いて。」


 それから奏さんは他愛のない話をした。今日の天気の話、学校近くのパン屋に新作が出来た話、授業中に居眠りをしてしまったけど何とかやり過ごした話、本当に他愛のない話。そんな会話の延長で奏さんは私に質問をした。


「で、琴ちゃんは最近どう?」

「最近ですか?」

「うん。折角エスの関係だというのにここ数日それらしいことが出来てなかったからね。大事な君の近況を聞いておかないとと思ってね。」


 奏さんは足を止めて私の頬を指先で撫でた。


「どう?困ったりしてない?」


 撫でられた頬がくすぐったい。でもきっと奏さんのことだから私が恥ずかしがったりあ慌てたりすれば、きっとそれを見て面白がるにちがいない。私は出来るだけ冷静を装って奏さんに答えた。


「大丈夫です。授業はとても勉強になりますし、寮生活を含めとても有意義な生活を送らせていただいています。」

「そう。」


 奏さんはスッと目を細めた。そしてそのまま私の頬をつまんだ。伸びる私の頬。痛い。


「いひゃいです!」


 フニフニと私の頬を引っ張り奏さん。本当に痛いんですけど。


「なにふるんへふか?」

「んー何?良く聞こえないなー。」


 聞こえているでしょう。わざわざ聞こえないふりをしないでください!心の中で大声で言いながらも、つねられているので上手くしゃべれない。私の頬をつまむ奏さんの手を掴んで何とか制止する。奏さんはゆっくり私の頬から手を離すと、私の目線まで屈んで目を合わせた。


「嘘ついてるの、バレバレだよ。」

「えっ…。」

「ここ最近、何かあったよね。例えばそうだな…嫌がらせとかされてない?」

「………。」


 私は何か返事をしようと思っているのに上手く言葉が出なかった。

 奏さんの目は確信めいた真剣なものだった。


「えっと、その、違っ。」

「違わないよね。」


 私の言葉に被せるように言葉を重ねる奏さん。

 しかも、奏さんの話す声色や表情を見ていると、私が嫌がらせを受けていること関しては確信をもっているようにも見える。まさか知ってるの?

 私は奏さんをじっとみる。奏さんも私から目を逸らさない。ほんの数秒にも満たないお互いを見つめ合う時間が、ひどく長く感じた。


「奏さん…知ってたんですか。」


 意を決して恐る恐る聞いてみると、奏さんはふーっと息を吐いて、やっぱりな、と小さく呟いた。

 そのまま奏さんは言葉を続けた。


「言っておくけど、琴ちゃんが嫌がらせされてるのを見て見ぬふりをしていたわけじゃないからね。嫌がらせを受けているって話は、ついさっきある人から聞いたんだよ。」


 ある人?誰だろう。


「最初はまさかって思ったけど、さっきの花房さんの様子もそうだし、多分事実なんだろうなって。ただ確証はなかったから、琴ちゃん自身がどう受け取っているか確認がしたくてね。……つらい思いをさせてごめん。もっと早く気付いて助けてあげるべきだったのに。」


 奏さんは頭を下げた。絹糸のような髪がさらりと揺れる。


「あっ謝らないでください。それに嫌がらせといっても、怪我をしてしまうような危ないものではないですし、ちょっと課題や当番が増えただけです。大変なのは事実ですけど、課題が増えたおかげ…なのか、裁縫は前より技術的に上手くなったような気がしていますし、当番のおかげで掃除も上手く手早く出来るようになったと思います。」


 息継ぎをせずに一気に話す。


「私はこんな好条件で勉強させて貰っている身です。これぐらい何ともありません。だから奏さんも心配ご無用です。」


 出来るだけ胸をはって、きっぱりと言い切った。まるで逆毛の立った猫のように興奮気味で話す。よし、これでいいはずだ。奏さんは少しだけ驚いた顔をして私の顔を聞いていた。

 再び訪れる少しの沈黙。廊下に私の息遣いだけが無駄に響いている気がした。





「琴ちゃん。どうして君はそんなに頑張るの?」


 ポロリと奏さんから零れた言葉。なんとも言えない表情。奏さん自身が自分の感情がわからないような、そんな顔。


「どうしてって…。」

「女学校だってエスの関係だってほぼ私が無理やり誘ったようなものだよね。それで嫌がらせをされているっていう現状だ。貴女のせいで私が嫌がらせをされている、貴女のせいでいろんなことに巻き込まれている、ひどい、最低、どうしてくれるんだ、こんな学校辞めてやる、貴女の遊びなんかに付き合っていられない、迷惑だ、って私を殴ってもいいくらいだと思うんだけど。」

「それは。」


 どうしてだろう。私でもわからない。確かに言われてみればそうなんだけど、どうしてかそんなことを言おうなんて考えたこともなかった。


「どうしてでしょう?」

「私に聞かれても分からないよ。琴ちゃん。むしろ私が知りたくて聞いているんだけど。」

「すみません、私でもよく分からなくて。」


 どうしてこんなに私は必死になっているんだろう。この好条件で勉強を続けたいから?うん、それもあると思う。このまま条件を満たせば弟や妹、自分の家を支えることが出来るから?それもそうだよね。でも何だかそれだけじゃないような気がする。なんて言ったらいいか分からないけど、胸の奥でモヤモヤと何かがつっかえているような気がする。そのモヤモヤの正体を、どれだけ自分自身に問いただしても答えが出ない。


 はあ、とため息をつく奏さん。呆れられちゃったかな。


「へ?」


 そう思った矢先だった。ふわりと花の匂いがしたと思った瞬間、奏さんは私を正面から抱きしめた。奏さんの髪がさらりと私の頬を撫でる。急なことでカチコチに固まる私。どどどどどうして?というかいくら放課後とは言えここは廊下。誰か他の生徒が見ているかもしれない。


「かっ奏さん?」

「なんか急に抱きしめたくなっちゃってね。」

「こここここ、廊下のど真ん中ですよ。」

「うん、知ってる。」

「誰かが見ているかもしれませんし。」

「見せつけちゃえばいいんじゃないかな。」

「そういうわけにはいかないですって。」


 奏さんは私をがっちり抱きしめて離そうとしない。涼やかで優しい奏さんの香りは私の頭の奥を撫でるように私を惑わす。


「そうね、廊下で果たしないわ。そういうことは校外でお願いしたいところね。」


 ゴホン、軽い咳払いと共に、奏さんの肩をトントンと叩いたのは………。


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