第10話 細工

 中山が諳んじる電話番号は確かに優衣香の電話番号だった。

 俺に何も話してくれない優衣香に腹立たしさはあるが、それは俺を守る事に繋がるわけだから俺は我慢しようと思っていた。だが、中山に優衣香が連絡先を教えたというのは許せない。

 電話口の向こうの中山は嘲笑含みの笑い声で俺を煽る。『お前の女、おっぱい大きいね』と。


「お前殺すよ?」

「怒るなよ、バカなの?」

「…………」

「ふっ……須藤さんがやれって言った理由が今よーく分かった。お前バカだな」

「……なんだよ」


 須藤さんは昨年十二月から優衣香の身辺調査をしていたと言う。資産や金銭状況、素行、交友関係は何ら問題は無いが、たまに休前日の夜中にふらっと車で出かける事があり、その理由について知る為に中山を接触させた。


「須藤さんはお前の女の車にGPSを仕込んだ。あ、仕込んだのは俺だけどね」

「はあっ!?」

「落ち着けよ、バカ」


 中山は続けた。須藤さんは山野を調べていくうちに、山野が俺の身辺調査を行った形跡があった事を知った。優衣香の存在は知られてはいないが、引っ越しを考えている優衣香の内覧に須藤さんが付き添い、加藤の隣が空室になるタイミングで優衣香に勧めたという。


 ――全部仕組まれてたんだ。


「加藤は不在がちだけどさ、隣が加藤なのは安心だろ?」

「うーん……」

「俺は何度か加藤のマンションに侵入してるし何かあった時はお前の女の部屋に――」

「ちょっと待て」


 ――どっちから先にツッコめば良いんだよ。


「加藤は了承してるよ?」

「何してんだよ」

「何もしてねえよ。葉梨のスイートハニーに手は出さない」

「スイートハニー」


 加藤がこのマンションを買った三年前から加藤の在宅時に侵入していたという。バルコニーは独立型で蹴破り戸は無いから、加藤の部屋のバルコニーから優衣香の部屋への侵入はよっぽどの事が起きなければしないと言う。


「入って来るな」

「お前の女さ、バルコニーの掃出し窓に警備会社の防犯補助錠を上下に付けてるだろ? あのタイプは面倒だから外してくれない?」

「入って来たのかよ」


 これから先、最悪の事態を想定していなくてはならない。須藤さんはその為に中山を使ったのだろう。だが中山が優衣香の連絡先を知った理由は何だろうか。


「ねえ、優衣香の連絡先を何で知ったの?」

「んふふ……ヒ・ミ・ツ」

「殺すよ?」

「ふっ、お前さ、笹倉さんの事になるとマジでバカになるんだな。あんま良くねえんじゃねえの?」

「…………」


 優衣香は相変わらずマッチョしかいないジムに通っていて、中山はそこで接触した。優衣香が面倒なタイプの男に声を掛けられ、それを助けた事で話すようになったという。


「その男も仕込みだろ?」

「当たり前だろ?」


 優衣香は中山にも警戒したが、時間をかけて仲良くなった。だが連絡先を聞くと教えてくれるまでになったものの、当日中に優衣香は須藤さんへ連絡したと言う。


「笹倉さん、俺の事を警察、自衛隊、海上保安庁のいずれかだと思ったんだと。絶対に民間じゃないってずっと疑ってたんだって。『自分を踏み台にして誰かと接触を図ろうとしている』と考えたんだって」

「…………」

「いつもニコニコ笑ってるけどさ……良く見てるな」

「…………」

「お前、尻に敷かれてるだろ?」

「…………」


 ――やっぱり優衣ちゃんは怖い女の人になっちゃったんだ。


「先週、須藤さんと三人でメシ食いに行った」

「えー」

「ふふっ、俺がお前と同期だって言ったら嬉しそうにしてたよ。可愛いな」


 中山は、優衣香が深夜に出かける理由は分からないままだと言う。GPSの経路等で判断すると、ただドライブをしているだけのようだが、今後も身辺調査は続けると言う。

 山野と須藤さんの昔の女の件もある。身辺調査は警護も兼ねるから仕方ないだろう。


「笹倉さんの男関係は問題ない。安心しろ」

「そうか」

「たださ、連絡はしてやれよ。電話は無理でもスタンプを送るくらいは出来るだろ?」

「……優衣香は何か、俺の事を言ってたのか?」

「いや、何も」


 優衣香は俺の仕事の邪魔をしないようにしている。電話もなければメッセージも来ない。

 俺は電話には慣れたが、メッセージに既読が付かないと不安になってしまうから送る事はない。


「りっくん、お願い。教えてよ」

「たっくんのバーカ」

「なんだよ」


 優衣香が深夜に出かける際は後を追う事はしないが、帰宅時の様子は中山が確認している。優衣香はたいてい、涙を流した後の目をしていたと言う。


「理由は分からないよ。仕事かも知れないし、他の事かも知れない。でもさ、半年も連絡すらしないお前を待つのは辛いんじゃねえの?」

「……お前はどうなんだよ」

「俺? 俺はマメに連絡してる。お前と違って」


 中山はメッセージアプリの既読システムがいかに良いものか力説している。確かにそうだ。返信が無くても既読が付いた事で読んだという事実は伝えられる。

 中山の恋人は起きた出来事や考えた事を送って来るが、中山にとってそれは恋人の心の機微を知る一端となるから、お願いしてやってもらっているという。


「俺はスタンプ送るか、メッセージ返すかだけだよ。電話はあんまりしない」

「そうなんだ……」

「とにかくスタンプくらいは送れよ」

「うん……りっくんありがとう」


 ◇


 中山との電話を終わらせ、俺はもう一度須藤さんに電話をした。


「もしもし、敬志です」

「どうした?」

「どうしたもこうしたもないですよ! 中山から聞きましたよ! 優衣香の件です!」


 電話口の向こうで笑う須藤さんは、優衣香の口が固い事、警戒心が強い事、洞察力がある事を誇りに思えと言う。


「先週、中山と優衣香とで食事に行かれたそうですね」

「うん、そうだよ」

「何でですか」

「中山の事をちゃんと紹介しないとダメだろ?」


 須藤さんは、俺と優衣香が付き合い始めたから優衣香を試したと言った。仕事を考えると、優衣香からの情報漏洩は困る。女は今を生きる生き物だから用心しろと須藤さんは言う。


「優衣香ちゃんね、試したと言ったら笑ってたよ」

「そうですか」

「去年聞いた話だけど、優衣香ちゃんはおばさんに警察官の妻はどうあるべきか尋ねたんだってよ」

「えっ……」

「ふふっ……息子にも情報を漏らさないんだな。立派だな、おばさんも」


 母は優衣香に会うと連絡してくれる。これは理志さとしもそうだ。優衣香の様子や話した事を教えてくれるが、もちろんそれは全てではない事くらいは分かっていた。


「ジムで優衣香ちゃんに声をかけた男は飯倉いいくらだから」

飯倉いいくら和亮かずあきですか?」

「うん」


 飯倉は昨年十一月に署で行われた初回の会議以降、署にも捜査員用のマンションにも顔を出さない。一年近くホストクラブで働いている。


「飯倉は背も高いしお前に似たタイプのイケメンだから優衣香ちゃんは引っかかるかなって思ったけど、中山が言うには、優衣香ちゃんは露骨に嫌そうな顔をしてたんだって」


 ――なんでだ。


「でも中山にはニコニコ笑ってるんだよ。もしかして優衣香ちゃんは中山みたいなタイプが好きなの?」

「知りませんよ!」

「落ち着けよ、やっぱりお前は優衣香ちゃんの事になるとダメだな。いい加減にしろよ」


 何となく分かっていた。胸騒ぎがした理由は、中山は優衣香の好みのタイプだからだ。

 優衣香の父親が中山や須藤さんのような猿タイプだった。付き合う男も猿だったし、猿で短髪の中山はかなりド真ん中だ。


「敬志、大丈夫だよ」

「何がですか」

「優衣香ちゃん、中山の連絡先を教えられてその日のうちに俺に電話してきてさ、中山の事を『腕が串団子みたいな人なんです』ってゲラゲラ笑ってたから」


 中山の腕が串団子――。

 日に灼けた中山はみたらし団子に見えたのだろうか。あんこかも知れない。だが優衣香は運動習慣のある鍛えている男が好きだ。素っ頓狂な事を言っているが本当は中山が――。


 優衣香は夜中にふらりとドライブへ出かける。愛車はスポーツセダンだし、元々運転が好きだから交通量の少ない夜中にドライブするのも理解出来る。

 だが中山は涙を流した後の目をしていたと言った。

 相変わらず俺は優衣香に会えない日は続く。この先の優衣香の警護で、優衣香が中山を好きになってしまったらどうしよう。

 中山は俺の女に手を出すような男じゃないのは分かっている。でも不安だ。


 この仕事をしている限り、優衣香が満足する程会えない。本当に、優衣香は俺で良いのだろうか。


 何度も何度も繰り返し考えるが、答えは出ないままだ。



 ― 第1章・了 ―

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