三題噺集

菊一掬

水中、カクテル、嗅ぐ

なぜ、こんな事になっているのだろうか……

広大な海の真ん中で、小さな木の板を頼りに流される僕はそんなことを考え続ける。


昨日までは普通に家に居たはずなのに……

数時間前のこと、目を覚ませば僕はイカダの上だった。ズキズキと痛む頭を回しても、前日のことが思い出せなかった。


頼りのイカダも、波に晒された結果結ぶ蔓が解けて崩壊した。バラけたそれらを集めて再度形を作るには、僕の知識と冷静さが足りてなかった。


明るかった空も赤みを帯び、あともう少しもすればきっと暗闇へと世界を変えていくのだろう。


木の板を掴む手の力もそろそろ尽きてしまいそうだし、スカスカのお腹が何か食えと体力を奪っていく。


冷たい水に浸されて、思考も徐々に回らなくなる。何だかもう疲れたな。


最後の持ち物を解放し、波にくれてやる。僕の9割を飲み込んでいた海水が残りの1割へと侵食してくる。


口に鼻に、僕の全てが満たされる。あれほど不快に感じていたのに、身を任せると何だか心地よい気がしてくる。全ての感覚が麻痺しているように感じる。程よい痺れの気持ちよさに昇天してしまいそうだった。


まぶたと水面越し主張する明るさも、ゆっくりゆっくりとその姿を薄めていく。母なる海に還っていくかのような幻想的な幸せ。僕と世界がひとつになっていくような――


「うがぁぁぁああああああ!!!!!」


バンっとカウンターを叩き僕の意識は現界へと戻ってくる。目の前の女性が急な大声に肩を震わせる。


「なによ! びっくりさせないでよね」

「びっくりさせんなはこっちのセリフだ!! なんてもの作ってるんだよ!!」


BARのマスターをする彼女は時折挑戦的なカクテルを提供してくる。お任せで頼んでいる以上文句が言える立場ではないのだけど、今回は酷かった。


「最初は良いよ。不味いかなと思えば不思議に舌に馴染んで美味しく感じる、癖の強いだけの美味しい不思議カクテルだよ」

「ふふん! そりゃあ私は天才なので」


無い胸を逸らして自信満々に口にする。何言ってんだこいつとは口にせず、僕は感想を続ける。


「ただ、最後にサメに嗅ぎつけられて、全身噛み砕かれるような印象はなんなんだよ! いやほんと自分でも何言ってるのかわかんないけど、何を入れたらああなるのさ!!」

「ちょっと知り合いからフカヒレ貰ったからね。適当に入れてみたんだけど、良くわかったね」

「入れんなそんなもん!」

「そんなもんとは失礼な! 世界三大珍味ですよ? そこはかとなく食感が残る程度に小さくしてカクテルの果物感出して手間もかかってるのよ? それをそんなもんだなんて……」

「力入れるところおかしいだろ!」

「あらそうかしら? わかんないわごめんなさい」


彼女は悪びれることはない。ジョッキについだビールをぐびぐびと飲みながら、次も行っちゃう? なんてふざけた事を抜かしている。


「まったく、これ自分でも飲んでみろよ」


1口分しか減ってないグラスを差し出して勧める。暫くそれを眺めて、


「嫌よ。絶対に不味いもの。それ」


早く処理してよね、なんて追撃まで用意して、彼女は決して曲がらない。まあ、そんな彼女を僕は好ましく思っているのだった。

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