第5話

「おー、遅かったね」

 カフェテリアに着くと俺が座っていた席に女の子が座って手を振っていた。その隣に座る男が済まなそうに俺に頭を下げた。

 この二人は俺達のゼミ内唯一のカップルだ。と言うか、出会った時には既に付き合っていた。百九十を超える長身にキリッとした太い眉が特長のハンサムと言う言葉が似合う男、後藤田堅固。明るい茶髪と濃いメイクにスポーティだけど露出の多い服装を好む女、芥田笑子。それぞれイーサンとエイミー、と俺達は呼んでいる。ケンゴの事を最初にイーサンと呼んだのはゼミの先生だった。何でも、イーサンと言う英語名には『堅固』と言う意味があるらしい。だから俺達は面白がってイーサンと呼ぶようになったのだが、それに異を唱えたのが芥田だった。曰く、「イーサンと笑子じゃ笑子がダサすぎる」との事だ。

「そもそもさ、この芥田って苗字嫌いなの。だって芥ってゴミって意味じゃん? フルネームにしたらゴミを笑う子だよ? ゴミ見て嬉しくて笑う子は不気味だし、ゴミを馬鹿にして笑う子だと性格悪いし全然いい意味じゃないでしょ?」

 確かそんな事も言っていた。面白い考え方するんだな、と俺は素直に思った。でもその隣でイーサンに親に貰った名前を……なんて窘められたらアッサリ考えを改めてたのには少しだけ辟易した。その上、結局は『ケンゴにあだ名があるなら私も欲しい』と言い出して、結局はエイミーと呼ばれているのだから世話ない。

「ユータこっち。ここ座ってよ」

 ワタルは俺の姿を見ると自分の右隣の椅子を立ち上がって引いた。促されるままに椅子に座ると、さっき買ったヨーグルトドリンクをワタルの前に置いた。目の端でワタルがドリンクを取るのを見つつ、俺は自分のお茶のペットボトルのキャップを開けて一口飲んだ。

「……なぁ、ワタルが飲み物買ってくれっていつ言ったんだ?」

 俺はペットボトルから口を離してコウキの方に顔を向けた。ワタルも同じようにコウキを見ていて思わず二人で首を傾げた。

「いや、なんでそう言う反応になる訳?」

 コウキが眉根を寄せる。

「てかさ、さっき椅子引いてあげてたじゃん? ああいうの普通友達同士じゃやんないし、やってももっとふざけた感じになんのに自然過ぎない? マジ普段からそう言う感じなの?」

 エイミーが身を乗り出しながら言う。

「普段からって言われたら……そうだな」

「だって座って欲しいから席にエスコートするし、俺が喉渇いてたらユータもいるかなって思うでしょ?」

 ワタルの言葉に同調の意を込めて頷いた。

「いやいやいや、普通はそうはならないんだよ」

 コウキが訝しむような目をして言葉を続ける。

「絶対茶化したり騒いだりしないから教えろよ。お前達本当は付き合ってんだろ?」

「だーかーら、付き合ってないってば」

 そう言ってチラリと左隣を見る。そこには何か期待するようなキラキラとした目が見つめ返してきた。ちょっとでも同意を期待した俺が馬鹿だった。

「……顔がキモい」

「酷くない?」

 途端にワタルががっくりと肩を落として悲しい顔をする。その時だった。

「お、遅くなりました」

 聞こえるか聞こえないかの小さな声。さっきも聞いたタクマちゃんの声だ。グッと首を声のした方に向ける。そこには赤い顔をしたタクマちゃんと、人間サイズのフランス人形が立っている。彼女は椅子に座る俺達の頭一つ上辺りをボンヤリ眺めて曖昧に微笑んでいる。

「二人共遅かったじゃん」

「すいません。少し用事があって。ナミちゃんとはここの入り口で会ったんですよ」

 少しぎこちないが笑顔でエイミーに返事を返す。どうもタクマちゃんは女の子相手だと少しは緊張せずに喋れるみたいだ。

「ほら、早く座りなよ」

 エイミーが促すとフランス人形がレースとフリルをふんだんに使ったワンピースを翻しながらつかつかとワタルに歩み寄りその隣に腰を下ろした。その有無を言わさない素早い動きにタクマちゃんは慌ててその隣に腰を下ろした。これでゼミ生全員が揃った事になる。

「ねぇ、聞いてよー」

 それを見計らったようにエイミーが話し始める。早く座れと二人を促したのはこの為なのだろう。俺は興味津々に聞いている振りをして少しだけ身を乗り出して、ワタルのその奥の青い瞳の横顔を目の端に捉えた。

 彼女と始めて会ったのもゼミでの最初の会合の日だ。彼女はその時も今日みたいに一番最後にゼミ室に現れた。柔らかいウェーブを描く金髪と青い瞳、それを包む真っ黒でフワフワしたワンピース。ヘッドドレスもタイツも厚底の靴もマスクも全て黒だ。白くて無機質なゼミ室の風景が彼女が入ってきた事で一変したのだ。その場にいた誰もが彼女に釘付けだった筈だ。そんな中で何故か彼女は俺に目を合わせるとニコリと微笑んだ。思わず肩が跳ねた。今までの人生で俺の周りにはいなかったタイプの女の子だ。それだけでドギマギしてしまう。彼女は名前を浜辺漣と名乗った。名乗った、と言ったが声に出して言った訳ではない。彼女は徐にスマホを取り出すと、メッセージアプリを呼び出しスマホを振る仕草をした。こうする事で簡単に連絡先を交換する事が出来るのだ。スマホを持っていてこのアプリを使っていない人を探す方が難しい。そのくらいに俺達の生活に浸透しているアプリなのだ。だから周りを窺うと、みんなそれが何を示しているのか分かったらしく、スマホを取り出していた。彼女は扉の真ん前に座っていたワタルに近付いてスマホを振った。ワタルもスマホを近付けて振る。そうやって一人一人と連絡先を交換していったのだった。俺とも連絡先を交換したが、その時に香水や花、石鹸の匂いじゃなく、お菓子みたいな匂いがした事にも驚いた。程なくして連絡先の交換が終わったが、その瞬間に全員のスマホが一斉に震えた。見ると俺達全員がトークルームに招待されていて、そこには一言、

『浜辺漣です』

 とだけ書かれていた。

「はまべ……れん?」

 確かコウキがそう声を上げた。その瞬間にまたスマホが着信を告げた。

『名前は「さざなみ」と読みます。ですが、お好きなように呼んでください』

 みんなが彼女を一斉に見た。彼女はみんなの視線を受けて少し困ったように笑うと背筋を伸ばし頭を下げた。それはとても美しく優美で彼女の雰囲気に良く似合ったお辞儀だった。

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