第39話 新年

 楠原家の大晦日は、騒がしくも平穏に過ぎていった。

 母と永遠さんの美味しい料理を味わって、父と妹がテレビの番組を奪い合い、年越しそばを食べて——


「あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします」


 年が明けると、父のその言葉に続いてみんなで挨拶をした。


 ほどほどの時間に眠りについて、少し遅めに起きて、永遠さんと一緒に買ってきた素材で作った越後雑煮を食べる。


 今まで生きてきた中で最も充実した年末年始——しかしそれはまだまだ、更新を続ける。


 玄関に立った永遠さんを見た瞬間、家族の会話がぴたりと止んだ。


「えっ……」


 思わず言葉を失う俺の横で、父が目を見開き、母がにっこりと頷いた。


「ねえ、今のうちに写真撮っておきましょ。せっかくの晴れ着なんだから」


 そこに立っていた永遠さんは、冬の澄んだ光を受けてほんのりと白く輝いて見えた。

 深い藤色の着物に身を包み、銀の髪を上品にまとめたその姿は、まるで新年の空気に溶け込んでいるようだった。

 慣れない草履を気にして足元をちらりと見ながら、永遠さんは小さく笑って、玄関に一歩踏み込む。

 帯の結びも完璧で、髪飾りの椿が凛と揺れた。


 俺もまた、着物を着せられていた。


「そうそう。伊月、永遠さんの隣に立って。あら、いいじゃない」


「え、ちょっと待ってください、まだ心の準備が……!」


 永遠さんが頬を染めて小さく身をすくめる。


 それでも母がスマホを構えると、諦めたように俺の隣へとすっと立った。

 香るような微笑。隣り合って立つだけで、まるで記念写真のモデルのようだった。


「ほら伊月、そんな顔してないで。もっとしゃきっとして。……はい、笑って〜」


 パシャ。シャッター音が何度も響く。


 永遠さんは少し恥ずかしそうに目を細めながらも、ちゃんとカメラに微笑みかけていた。

 横に並ぶ俺のほうが、よほど顔が赤かったかもしれない。


 2人の撮影が一段落すると、妹の莉子が待ってましたと言わんばかりに駆け寄ってくる。


「お兄、私も! 私も撮る!」

「はいはい、並んで並んで。あら、三人ともかわいいわぁ」


 莉子が永遠さんに手を繋がれて、嬉しそうに目を輝かせる。


「次は父さんも入れてくれよ〜」

「あらあら。じゃあその後は私も入れてもらおうかしら」

「じゃあ次は私が撮ってあげる!」


 そんなふうに撮影者を取っ替え引っ替えしながら、数十分に渡る撮影会が終わった。


 初詣に向かう道すがら、俺は隣を歩く永遠さんをふと見る。髪に差した白い椿の髪飾りが、凛とした彼女にぴったりだった。


「……本当に、似合ってる」


 ぽつりとつぶやくと、永遠さんは振り向いて、少しだけ笑った。


「……ありがとうございます。伊月さんに、そう言ってもらえたら、それだけで……今日はもう満点です」


 白い吐息が空にほどける。
 

 年の始まりは、まるで雪解けのようなやさしい温度で進んでいった。


 神社に着いたのは、ちょうど昼前だった。

 参道には同じように初詣に訪れた人たちが行き交い、晴れ着やコート姿で賑わっている。

 境内には屋台の甘い匂いが立ち込めていて、空気の冷たさに手をすぼめながらも、どこか心が浮き立った。


「わ、人多いね。でも屋台いっぱい出てるじゃん! 帰りに絶対寄ろ?」


 莉子が嬉しそうに永遠さんの袖を軽く引く。
 その仕草は無邪気なのに、どこか計算めいていて、俺は少し笑いそうになった。


「ええ、行きましょう。一緒に見て回りたいですね」


 永遠さんが柔らかく微笑むと、莉子はすぐに表情を崩す。


「うんっ。……あ、でも、草履とか慣れてないんでしょ? 転んだら危ないし、私がちゃんとリードしてあげるからね」


「ふふ、心強いですね。よろしくお願いします」


 口ではお姉さんぶっていても、永遠さんに頼られることが嬉しくて仕方ないのが、莉子の顔に出ていた。


 そんな二人の並ぶ後ろ姿を見ながら、俺は少し離れて歩いていた。


 年が明けたばかりの境内には、白く薄い光が差し込み、どこかやさしい空気が流れていた。


 手水舎で手を清めて、境内に一歩足を踏み入れた瞬間、どこか背筋が伸びるような、ひんやりとした空気に包まれる。


「じゃあ、並びましょ」


 母の声に促されて、長い列の最後尾に加わる。
 

 永遠さんは時折ちらりと俺の方を見ながら、緊張したような笑みを浮かべていた。


 隣に立つだけで、鼓動がうるさく響く。あまりにも綺麗な彼女に、俺もまた緊張してしまっていた。


 ようやく順番が来て、家族それぞれが小さく手を合わせていく。
 

 俺も前に進み、賽銭を入れて、二礼二拍手一礼。


 目を閉じて、願いを込めた。


「……何をお願いしたんですか?」


 境内を出たところで、永遠さんが静かに尋ねてくる。


「……秘密。でも、たぶん、永遠さんと似たようなことかな」


「ふふ。じゃあ、きっと叶いますね」


 また、美しい銀色と椿の飾りが揺れた。


 寒さの中で、その笑顔は少しだけ春を予感させた。

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