第十六話 悲劇の味は当事者にしか分からない
クレハが最後に見た父親と母親は、彼女の顔すら見ていなかった。
「じゃあなクレハ。ありがとよ」
「早く高飛びしましょう。見つかると厄介だわ」
「お父さん、お母さん、どうしてっ!?」
自分を売って顔と名前を変え、受け取った金を持ってさっさと出て行った彼らの背中を、彼女は今でも覚えている。
「嫌っ、嫌ぁぁぁっ!」
両親に売られたクレハを待っていたのは、身体を弄ばれる日々だった。純血の日本人の若い女の子だということで、次から次へと男がやってくる。その度に彼女は素肌を晒し、押さえつけられながら、行為を強要されていた。
「来ないでぇぇぇっ!」
「なあッ!? て、テメェェェッ!」
そんな日々に限界が来た時、彼女は反撃に出た。やってきた男に噛みつき、怯んだところに股間目掛けて蹴りを入れたのだ。クレハからしたら乾坤一擲の反撃であったが、まだ鍛えていない当時の彼女は非力であり、ダメージは少なかった。
しかし彼女の反撃は、悪い意味で絶大だった。怒った男は、ハサミを取り出した。
「ふざけやがって、このクソアマァァァッ!」
男は怒りのままに、クレハの顔にハサミを振るった。刃は彼女の前髪と共に頬と鼻の頭を切り裂き、横一文字に裂けた傷口から鮮血が吹き出す。
「あっ」
その光景が目に入った時。クレハの中で何かが壊れた。元々限界だった心が、血が噴き出るというわかりやすい肉体的損傷を負った結果、最後の一線を越えたのだ。自身を傷つけたハサミという物体が、彼女の瞳に刷り込まれたかのように映り、後から後から声が込み上げてくる。
「あ、あああっ、あああああアあああアアアアああァァァああぁアあああっ!」
壊れたかのように叫んだ瞬間。クレハの胸の上に、クロスの形をした白い紋章が浮かび上がる。
「お、おいッ! こ、コイツまさか?」
男が怯えたような声を上げていたが、クレハは構わずに叫んでいた。彼女の叫び声に同調するかのように、虚空から多種多様なハサミが現れる。
「【
「ギャァァァッ!」
クレハはその一つを手に取ると、錯乱状態のままに男に切りかかった。怯んでいた男は無抵抗のままに切り裂かれ、先ほどとは違う鮮血が部屋を染めていく。
「生かして捕らえろ。卜部クレハは
騒ぎを聞きつけた組織の人員が、幾人も派遣されてきた。組織の長であるキョウシ直々の命令によって、クレハはすぐに捕らえられた。
「選べ。我々、黄昏の傀儡に尻尾を振って生き延びるか、
クレハに告げられたのは、無慈悲な二択であった。
そんな輩の元に送られれば、今のこの状況よりも悪化することは、火を見るよりも明らかであった。彼女に選択肢など、ない。
「ここで働かせてください。お願いします」
「よく言った。そんな貴様には、これをやろう」
彼女の首には、銀の首輪が付けられた。
「少しでも変な気を起こせば、お前の命はない。逆らおうとは思わないことだ。恨むなら、お前を売った両親でも恨むんだな」
この時から、彼女は奴隷となった。裏組織である黄昏の傀儡の、小柳津キョウシの奴隷に。
・
・
・
「どうかしら。お気に召していただけた、私の昔話は?」
「まさか小柳津先生が黒幕だったなんて、思いもしなかったよ」
笑顔でそう聞いてくるクレハさんに、僕は何も言えなかった。だって彼女のその顔は、自虐的に笑っているようにしか見えなかったから。
「あの男、二年前から将来学院に潜入して、信用を勝ち取っていたんだもの。気づける方が凄いわ」
クレハさんの後見人に、小柳津先生が名乗りを上げた理由。彼女が彼と話す時に、妙によそよそしかった理由も分かった。彼が彼女のボスだったからこそ、緊張せずにはいられなかったんだ。
「ってことは、この前潰したのは子組織か何かで、トカゲの尻尾切りだったって訳だ。君が服従している親組織、黄昏の傀儡とやらはまだ健在って訳なんだね……それでさ、一つ聞きたいんだけど」
「何かしら?」
「君は自分の両親について、どう思っているんだい?」
クレハさんが黙った。僕はその隙に、周囲を確認する。出入口は一つのみ。外には黄昏の傀儡の構成員が、何人かいるのだろう。
「憎いわ。ええ、憎いわよ」
「だろうね」
「でも」
彼女はそう続けた。僕は静かに続きを待つ。彼女の答えを聞きたかったから。
「何でもないわ。まあ、それは良いのよ。これで私は自由になれる。あなたを貰ってね。これからは私と一緒に、二人で生きていきましょう」
「どういうことだい?」
聞きたかったことの代わりに、不可解な提案をされた。首を傾げつつ、僕は頭の中で予定を立てる。この後に、自分がどう動いていくのかを。
「退職金代わりに、あなたを貰うことにしたのよ。これからはずっと一緒よ、ハジメ君」
「なんで? 僕は競売にかけられるんじゃないのかい?」
「その前に私が貰うのよ。ほら、私達って許嫁じゃない」
どういうつもりだろうか。僕を裏切ったクレハさんの心境が、さっぱり分からない。
「僕は君のことが嫌いだ」
「でも私は好きよ」
僕の言葉をいつものように否定すると、熱を帯びた瞳を向けてくるクレハさん。その視線に、僕の胸が高鳴る。
「……ッ」
今、僕の頭の中には、とても馬鹿馬鹿しい考えが浮かんでいる。彼女の行為と、先ほどの言葉。そうだとしたら辻褄は合うが、そんな訳ないという思いがとても強い考え。
もしかして彼女は、本当に僕のことを。
「いや、信用なんかしないッ! 【
心に湧いたその考えを、僕は声と共に振り払った。右手の人差し指を伸ばして親指を上げ、残りの指を握ることで銃の形を作る。自身の生命力(イド)を練り、僕の右の人差し指の前に生成された青白い光球から、乾いた銃声と共に弾丸が放たれた。それは床に当たり、着弾と共に炎を上げる。
「なっ!」
「僕には僕の仕事がある。これ以上クラスメイト達を危険に晒す訳にはいかない。誘拐及び監禁の現行犯で逮捕だ、卜部クレハさん」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます