宝石店主殺人事件⑤

 夕飯の準備に取りかかろうとした頃、レオナルドが屋敷を訪ねてきた。


 なんとなくすっきりとした心持ちで、夜を過ごすつもりだったというのに。むっすりとした表情を隠しきれず迎えに出たカルタスを、レオナルドは気に留めていないようだった。



「ユースティティアはどうしている」


「いつもと変わりありません。お屋敷の中で、ゆっくりされています」



 魔法を視界ごと封印され、屋敷から出ることも許されない。ユースティティアをそうしたのは、シヴオリ公爵家だ。正確には先代の公爵だが。


 彼女が今の状況を良しとしていなければ、カルタスは公爵を殺すことも厭わなかっただろう。



「彼女は部屋か?」



 どこかそわそわした様子のレオナルドは、カルタスの「今すぐ帰れ」という視線を完全に無視して、すたすたと屋敷の中に踏み込んだ。


 自室ではなく食堂にいたユースティティアは、レオナルドが来たことを音で察していたのだろう。驚くでもなく椅子から立ち上がり、優雅に一礼した。



「お兄様。こんなお時間にどうなさったの?」


「お前の様子を見に。……兄からの土産は楽しんでもらえたか?」



 カルタスは、何言ってんだこいつ、と思った。多分ユースティティアも思った。



「……カルタスのお話は面白かったわ。でもお兄様、年頃の女の子に、殺人事件の土産話は避けるのが普通よ」


「……そうか」



 レオナルドが、目に見えてしょんぼりとした。


 もしや、本当にユースティティアを楽しませたくてカルタスに事件の情報を教えたのだろうか。そうだとするならば。



(この旦那様、仕事以外ではポンコツなんじゃないか……?)



 カルタスが不敬な事を考えている間に、レオナルドは立ち直ったようだった。



「だが、あれが殺人事件だということは分かったようだな。さすがは……」


「お兄様。いくらシヴオリ公爵の地位を引き継いだからと言って、義理の妹の機嫌を取る必要はないのよ。わたしは今後一生魔法を使わないし、この屋敷から出ない」



 ユースティティアは兄の言葉を遮った。


 その声は、カルタスがびくりと肩を震わせる程には、平坦で冷たいものだった。



「王国に危機をもたらす可能性のある者を封じる。封印術のシヴオリ家としての役目は、この布と屋敷で完結しているわ。あとは、わたしがここで朽ちていくだけ。そうでしょう?」



 レオナルドは黙りこくった。


 何度か口を開いて、閉じ、やがて小さな声で言う。



「機嫌取りのつもりはなかった」


「なら、お兄様の感性は特殊すぎるわ。結婚される相手には同じ事をしては駄目よ」



 ひどくあっさりとしたユースティティアの態度に、レオナルドが何を思ったのか。もはやカルタスはさっぱり分からなかった。



「……宝石店での事件、容疑者の情報はいるか?」


「……まあ、聞くだけなら聞くけれど」



 やっぱりポンコツなんじゃないだろうか。それか、仕事ばかりしているせいで、他に話を逸らすやり方を思いつかなかったか。


 使用人にポンコツの烙印を押された旦那様は、うって変わってハキハキした口調で語り始めた。






「殺されたのは宝石店の店主、ラウロ。騎警隊に通報してきたのは、合鍵で通用口を開けた妻のオリヴィエラ。この妻と、宝石店の店員ナタリアが第一発見者であり、有力な容疑者だが……」



 レオナルドが言うには、こういうことだ。


 殺された店主ラウロは、貴族の中では良い品を扱う商人として評判だった。その評判は王城にまで届き、昨年からは王家に納める品も取り扱うようになっていた。王室御用達というやつだ。


 彼は準貴族でもあった。準貴族の爵位はすべて男爵だが、ラウロは準貴族で初めて子爵位をもらうのだと、そんな野望を周囲に漏らしていたらしい。


 そんな人物であったから、平民は当然、同格の準貴族のことも見下していたらしい。さらには、貴族であろうとも魔法が上手く扱えぬ、カルタスのような人間も。


 魔法の力を持つ貴族にはごまをすり、それ以外の人間は格下と見下す。それがラウロという男だった。


 この情報だけでも自殺をしそうには見えないが。


 店主の妻オリヴィエラは、先月待望の男児を産んだばかりだった。


 跡継ぎとなる子供を待ち侘びていたラウロは、それはそれは喜んだらしい。



「その矢先、ラウロは死んだ」



 発見したのは店に入れず困っていたナタリアと、彼女のために合鍵で通用口を開けたオリヴィエラ。



「このオリヴィエラが、夫の浮気を疑っていた」



 出産前から、ラウロは宝石店に籠もるようになったのだという。帰宅時間が遅くなった夫。同じ店には、ナタリアという別の女性。妊娠中で気が立っていたオリヴィエラは、夫を疑いの目で見るようになった。


 ナタリアが疑われたのにも理由がある。半年ほど前に雇われた彼女は、細く小柄で、とても美しい女性だったのだ。そしてどこか、オリヴィエラに似た雰囲気を持っていた。


 客の前で実際に宝石やアクセサリーを肌に当てる、見た目を重視した女性店員。それが妻と似た容姿をしているとなれば、妊娠中のオリヴィエラに変わってナタリアを、と。そう考えるのはそれなりに自然だろう。



「そして厄介なことに、ナタリアはまさにその立場を狙っていた」



 宝石店を経営し、準貴族でもあるラウロ。金はあるだろう。たとえ人格が多少捻れていたとしても、それでも良いと考える女性はいる。


 ナタリアはラウロを誘惑しようと考えていた。そうして愛人の立場を獲得すれば、しばらくは安泰だと。


 ところが、ラウロはナタリアの誘惑には一切答えなかった。



「周囲の人間にもかなり意外に思われていたらしいんだが、ラウロは妻のオリヴィエラをことのほか大切にしていたらしいんだ」



 結婚記念に交換したペンダント。オリヴィエラの名前が刻まれたそれを、毎日肌身離さず身につけるほどに。


 ラウロの遺体からは発見されなかった、ペンダント。ナタリアの証言によれば、彼は前日の閉店時間には間違いなくペンダントを胸に下げていた。いつも憎々しく眺めていたから間違いない、とのことだ。


 遺体の発見現場で、二人はそのことで取っ組み合いの喧嘩をしたらしい。


 死んだ宝石店の店主。発見した二人の女性。絡み合う痴情の糸。


 だがそれを、ユースティティアはばっさりと切り捨てた。



「でもその二人とも、ふくよかな体型の店主を絞め殺し、扉にひっかけることができるような体格ではなかった」


「ああ、そうだ」



 レオナルドも頷く。



「他の女にうつつを抜かす夫を。自分の誘惑になびいてくれない男を。そう思いあまって殺すにしては、犯行の手口があまりにも力業だ。女性ならばまだ、厨房の包丁を持ってくる方が楽に殺せる」


「なら、残る容疑者は一人だけじゃない」



 ただの侵入者や強盗でも、ラウロを殺して扉に引っかけ、正面扉が閉まっているように見せかけることはできるだろう。


 だが、外から扉を閉めた後、通報を受けた騎警隊が駆けつけるまでに、鍵を閉めることができたのは。


 発見者である女性二人と、そこに駆けつけてラウロの体を下ろした、新人の騎警隊員、スカルファロット隊員だけだ。


 ユースティティアは手元に置いていたノートを開いた。さっき、カルタスが似顔絵を描いたノートだ。



「この人でしょう?」



 白いページに、黒い線で描かれた顔。


 それは確かに、あの事件現場にいたスカルファロット隊員だった。



「……この絵は? 誰が描いたんだ?」


「カルが描いてくれたの。とある事件の犯人の顔を」


「ほう……、上手いな。かなりの腕だ」



 レオナルドは感心したように褒めてから、一転して鋭い目でカルタスを見た。



「君も、あの場でスカルファロット隊員の犯行に気づいていたのか?」


「いいえ。俺が描いたのは、別の事件の犯人です」


「別の事件?」



 カルタスは手に魔力を集め、今日集めた記憶を再生した。


 洗濯婦の悲痛な叫びを。



『五年前と同じよ!』


『騎警隊はさっさと父の自殺ということにして、まともに調べてもくれなかった』



 事件現場でのやりとりを。



『もしかして、発見の場に居合わせた新人隊員って……』


『ああ、僕のことだよ。だからあまり、現場を離れるのもね』



 五年前、金貸しの店で起きた事件のきっかけを。



『僕には金を貸せないとは、どういうことだ!』


『あんたは貴族だろう! あんたみたいなお気楽な貴族が金を巻き上げるせいで、俺たち平民の暮らしがきつくなるんだ!』


『平民ごときが偉そうに!』



 こうして並べて聞けば、高さや勢いが違うとはいえ、同じ人間の声だということが分かる。けれど、五年の時を経てしまった記憶はすり切れて、目の前にいる仇に気づくことができなかった。


 正直なところ、カルタスでなくとも証明することはできるだろう。サンクティス侯爵家には、視覚情報も一緒に再生する魔法を扱える人間が何人もいる。


 けれど。多分彼らは、洗濯婦の話など聞こうとはしなかっただろう。


 カルタスを落ちこぼれと見下す彼らは、それと同じように、あの女性のことだって視界に入れようとはしないだろうから。



「これは……」


「あの事件現場で、父が殺されたと叫んでいた女性がいたでしょう。あれは正しかったんです」



 カルタスの言葉を、ユースティティアが引き継ぐ。



「わたしも彼女の言葉を聞かせてもらったわ。彼女の証言だけでは弱いでしょう。恐らく証拠も無いわ。五年前の事件だというし、当時調査が行われていないのならば、騎警隊の記録にもなにも無いはず。手がかりは、この記憶と似顔絵だけ」



 レオナルドは、再びノートに描かれた似顔絵を見た。



「だが、スカルファロット隊員を逮捕するための決定的な証拠は、まだどこにもない。今回の事件、鍵をかけたのは故意では無く、ラウロの体を下ろす時にたまたま鍵が火方のだと、そう言われてしまえば終わりだ。裁判の場に引きずり出すこともできない。サンクティス家の魔法は、相手の同意がなければ使えないからな」



 そう言いながら首を振る。



「五年前の事件に至っては、ただの言いがかりと取られてもおかしくはないだろう」


 カルタスはユースティティアを見た。彼女は静かに微笑んで、佇んでいるだけだ。


 謎解きを終え、カルタスとユースティティアの心情は一致している。だから、何も言わずに肩をすくめて、レオナルドに視線を戻した。



「ええ、そうね。だから、わたしたちの暇潰しはこれで終わり」



 ユースティティアは、あっさりとノートを閉じた。



「お兄様のお土産、結構楽しめたわ。カルが洗濯婦の方の話も、一緒に持って帰ってきてくれたから」


「そ、そうか」



 あまりにも呆気なく話が終わったからか、レオナルドは少し戸惑っているようだった。


 そんな兄に、ユースティティアはくすりと笑う。



「お兄様、どうしてそんな顔をしていらっしゃるの?」


「そんな顔……?」


「『そこまで分かっているのに、なぜ犯人を特定する手段については気にしないんだ?』ってお顔よ」



 カルタスが知る限り、レオナルドの顔がここまで動いたのを見るのは初めてだった。


 顔いっぱいで驚きを表現したレオナルドは、一歩前に踏み出して声を張り上げる。



「見えているのか!?」


「いいえ、この封印術が施された布がある限り、わたしに光はないわ。声で分かるだけよ。その似顔絵も、わたしが指示したとおりにカルが描いてくれたの」


「だったらこれは……、五年前の事件で、言い争っていた人物の顔、ということか」


「ええ」



 兄に怒鳴られても、ユースティティアは軽やかな態度を崩さない。


 カルタスが「この旦那様はそろそろ蹴り出してもいいかもしれないな」と考え始めた時、蹴り出されそうなレオナルドはユースティティアに尋ねた。



「では、お前ならどうやってスカルファロットが犯人だと証明する?」



 ユースティティアへの土産話ではなく、事件の解決に向けて、頭を切り替えたようだった。


 事件現場で見た、厳しい雰囲気を身に纏ったレオナルドに、ユースティティアは朗らかに告げる。



「簡単よ」


「簡単?」


「今日の事件と、五年前の事件。わたしとカルが考えたように、どちらもスカルファロット隊員が犯人なら、やることは一つ」



 朗らかに、残酷に。



「洗濯婦の方を殺しに行くでしょう。ラウロから奪ったペンダントを、懐に忍ばせたまま」


「な……っ!」


「だって、そうでしょう? 同じ手口を使った二つの事件。一度は捕まらず、殺人だと判明することも無かった。だから今回も大丈夫だと高をくくって同じように殺しをしたのに、自分の上司は殺人だとあっさり見抜いている。ならば、五年前の事件をもう一度調べられたら……。そう考えても不思議では無いわ。なら、唯一の証言者となり得るあの女性を殺しに行くでしょう。幸いと言って良いのか、あの女性は騎警隊を嫌ってはいても、殺人犯だと警戒してはいないようだし」



 この屋敷から出られないユースティティアは、変わらぬ日々に飽いている。そんな彼女のため、外の話を持ち帰るのが、カルタスの日課だった。


 今回の話は、彼女のお気に召したようだ。



「何故……、それを分かっていて黙っていたんだ!?」


「なぜって……。お兄様、わたしは外の世界になんの影響も与えてはならないのよ。そのために、わたしの魔法を封じたのでしょう。大体、会ったこともない人がどうなろうが、わたしには関係ないわ。興味もない」



 絶句しているレオナルドが、ユースティティアとカルタスを見比べた。


 きっと二人は、今、同じ顔をしている。



「ねえ、お兄様。わたしはね、このお屋敷と、そしてカルがいれば、それでいいの」


「ああ、ティティ。お前がそれを、望むなら」



 ほかのものなんていらない。屋敷の外の世界が滅びたって構わない。


 ただ、お互いがいれば。手を伸ばせば届く距離に、二人きりの世界があれば。


 それだけで、幸せなのだ。



「あぁ……、いや……。この話は、今度だ。まずはスカルファロットを、捕まえなければ……」



 レオナルドは、なぜだか一瞬だけ、強い後悔の念を滲ませて。


 けれど、騎警隊としての職務を思い出したのだろう。すぐに頭を振って、飛び出していった。

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