魚を眺める十二分前
ここ――マクロニアは魔族と人間との親交を深める為の中立平和都市であり、魔族の魔法技術と人間の科学技術、そのどちらも取り込んで発展している、超巨大都市である。
そしてそんな街の裏通り、あるビルの裏にあるデッドスペースに、私たちは車を止めたのだった。そこは魔法により人払いがされており、何処に行っても人だらけなこの街において、数少ない静寂の空間である。無論、王族や貴族など、特別な地位にある人のための場だ。街中にはいくつかそういう空間があって、非常時など必要があれば、空間魔法での転移も可能になっている。
「よーし、じゃあ水族館行きますか」
「フフフ、楽しみですわ♪」
地元の夏祭り程度の人混みではあるが、はぐれないように、と一応手を繋いで歩く。種族差の問題か、その手は少し冷たく感じられた。夏には丁度いいが、私の手で暑い思いをさせていないかだけ少し気になった。
「むしろ温かくて気持ちいいわ。ドキドキして少し、体が熱くなってきちゃうけれど……」
「……あの、また読心の魔法使ってますよね?」
「はぅっ!?」
頬を赤らめていたルシファルさんの顔が、今度は真っ赤に染まる。反応的にどうやら、この前の約束は覚えていたが、ついつい使っちゃったぜって感じのようだ。
「ご、ごめんなさい……! その……貴方もドキドキしてくれてるのか、気になっちゃって……」
「……で、確かめてみてどうでした?」
「んふふふ」
側頭部に頬擦りするように、ルシファルは私の腕に巻きついてきた。それが答えのようである。公道でそれは少し恥ずかしいので離れてほしい気持ちもあったが、離す必然性がないことを思い出したので諦めた。
ルシファルさんは仮にも魔王であり、一国のトップ。要人である。メディアにも何度か顔出しをしているのでわかる人にはわかる。更に弩級の美人である。目立って目立って仕方がない。なので認識の魔法で、若干印象をズラしている。それは外見も発言も行動も含めて。なのでこんな目立つ行動は、傍から見れば別の何かに見えるはず……である。
それはそれとして、私の"恥ずかしい"という認識はズラされることなく存在しているので、是非とも離れて頂きたい。
「嫌ですわ」
「私も困るのですが」
「でも……こうしないと、はぐれてしまうかもしれませんしぃ……」
「そんな目で見ても駄目ですよ、どこで覚えたんですかそんな技」
「ジンがこうすればいいとほざいていたので、参考にしてみました♪」
「やっぱりか」
潤んだ瞳でこちらを見つめるルシファルさんだったが、その手は通用しない。敗因を教えてあげるとすれば、身長差で上目遣いになっていないところだろう。あの男にも困ったものだ、とエレベーターのスイッチを押しながら思った。
「うん、エレベーターが広すぎてなんか気持ち悪いですね」
「そう? さっきまでの通りが狭かったのだし、このくらいが丁度いいと思うわ」
時短の為に裏口の荷物搬入用エレベーターを利用している訳だが、大型の荷物用に最大定員百人、積載量一トンを誇るサイズなのだから、いくらなんでも広すぎる。ついでに、庶民と貴族の感性の差を感じた気がした。
ウィーン、という機械的な効果音とともに扉は開く。
「着きましたね」
「ここが水族館なのですね……!」
「うん、まあそうですね」
繁華街の奥、ブティックや飲食店が所狭しと並ぶ娯楽施設の上階。そこにマクロニア水族館は存在する。休日の昼下がりという混みそうな時間に反して、水族館内は静まり返っていた。受付の少し引き攣った顔をしたお姉さんに会釈し、チケットを見せた。
「お待ちしておりました。本日は貸切となっております、ごゆっくりお楽しみください」
「ええ、ありがとう♪」
そんなお姉さんには目もくれず、ルシファルさんはスタスタとゲートを通り抜けていく。微妙に申し訳ない気持ちを抱えながら距離を埋めるように歩を進める。
「いくらなんでも貸切はやりすぎな気がしますけど……」
「煩わしい喧騒の中でのデートなんて、落ち着きがなくて嫌だわ」
無人の水族館なんてそれはそれで恐ろしいと思うが、この
次、甲殻類。海老や蟹が浮き上がってたり駆け回ってたり、同じ海の仲間なのにどうして魚とこうも違う進化を遂げたのか、と不思議に思う。その思考に思いを馳せたかったが、こちらを眺める視線と時折海老と蟹に向けられる捕食者の視線に気がついたので、名残惜しく思いながらスタスタと進んでいく。
次、トンネル水槽。右も左も上も下も、三百六十度全面を魚が泳いでいる。上を見上げれば銀髪がたなびいているし、右を見れば銀髪が張り付いているし、 左を見れば銀髪が揺らめいている。
「何やってるんですかルシファルさん」
「何って水族館ですし、魚を眺めているのですわ」
「私越しに眺めてもよく見えないと思いますよ」
「貴方越しに眺めなきゃ面白くないんだもの」
「間違いなく水族館に向いていないので別の場所に行った方がいいと思いますよ」
「でも普段の貴方を眺めている時と、また違った楽しさがあるのよ♪」
「さいですか……」
理解出来ない領域なので、考えないことにする。ルシファルさんが私のことを見たいように、私は水生生物が見たいのである。少し歩いてトンネルを抜けると、そこは異世界だった。毒の海で泳ぐ
「キ……キシャアァアァアアァァァ!!!」
「プグルァァァアアアァァァアァア!!!」
「ウゴアォァァアァアァァアァ!!!!」
「うーん騒がしい」
魔界の獰猛な生き物は大体常にお腹を空かせている。食べられそうな生命の到来を見て、どの子もガンガンガンガンと水槽を攻撃し始めた。特殊強化ガラスでできているので壊れることはないと思うが、只管喧しい。見てて面白いので、別に悪い気はしないが。
「…………」
「あ、ルシファルさん」
スタスタスタ、と水槽の前まで歩き、彼女は微笑んだ。
「五月蝿い」
「「「ピギィィィイィイィイィ!!!??」」」
魔力の波動が水槽を揺らし、水族館を揺るがし、恐らく辺り一帯まで震動させたと思う。特殊強化ガラスの水槽にはヒビが入っている。だが恐らく、もう、この子達ににそれを突き破って出てくる勇気はないだろう。だって、水槽の中の方が断然安全なのだから。
「我が伴侶を餌扱いとはいい身分だな、身の程を弁えろ畜生風情が」
射殺すように魚たちを一瞥して、ルシファルはふう、と嘆息した。
「やりすぎですよ、ルシファルさん。怒られちゃいますよ?」
「怒りたいのはこっちよ、こんな躾のなってない畜生が、水槽の中で放し飼いになってるなんて」
「水槽の中なので放し飼いではないと思うんですけど」
三匹とも殺して今日のディナーにしてもらおうかしら、とルシファルさんは呟いた。身のない魚に硬そうな鮫、蛸。どう見ても美味しそうではないので、是非ともやめてもらいたいな、と思った。
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