05 はじめてのキス
たまっていたものをはき出すように、
「明日、撮影なのにごめんね」
「いや……すこし、落ち着いた?」
「うん。……だいぶ、すっきりした」
柚月は顔をあげ、ふぅっとひとつ息をはいた。
落ち着いた様子の柚月を見て、絢斗も安心したように笑う。
「俺も今回、いっぱいいっぱいで……
ちゃんと、撮影前に話せてよかった」
こんなにやさしく笑う人だったっけ、と柚月は思う。
小学生時代の絢斗は、少し近寄りがたい存在だった。
いつのまにか大人びて、やさしくなって。柚月の知っている絢斗とは、なんだか別人のように思えた。
「明日、できそう? スケジュール変えてもらえないか、たのんでみる?」
絢斗のおかげで、柚月の不安と緊張はだいぶやわらいでいた。
絢斗の言葉に、柚月は首を横に振る。
「……ううん、大丈夫。やる」
「えらいな。むしろ俺の方が覚悟決まってないかも」
絢斗は言いながら、困ったように笑った。
今回のキスシーンは、
待っているだけの柚月に比べれば、絢斗のプレッシャーははるかに大きいはずだ。
「私、小学生の時のね、
「あー……小五の時の舞台だろ? 観にきてたの、知ってるよ」
「え、そうなの?」
柚月が言っているのは、小学五年の時に絢斗が出演した舞台のことだった。
絢斗はその舞台を柚月が観に来ていたのを、知っていた。
「ストリートキッズの役で、すごく上手だった。いつもの泉くんとは全然ちがうって思ったの」
「そんなこと、覚えてくれてたんだ」
今回のドラマで絢斗が演じるハルは、ケンカばかりしている不良の役だ。
舞台で演じていたストリートキッズと、少し通じるところがあると、柚月は感じていた。
「ちょっと髪、触っていい?」
「え、なっ……」
柚月は制服の胸ポケットから、くしを取り出した。
絢斗の髪を後ろにとかし、前髪を流すようにセットした。
「ほら。なんか……不良っぽくなった」
柚月は絢斗に鏡を渡し、自分の姿を見せる。
「あとは、目を細めて、
言われるがまま、絢斗は表情をつくる。
「いい感じ、いい感じ」
「そう?」
「ちゃんと、カッコいい不良になれてるよ」
絢斗は、少しスイッチが入ったようだ。
「わたしも、髪おろすね」
今度は柚月が髪ゴムを外し、結んでいた髪をほどいた。
「少しは『ヒナ』っぽくなった?」
「……うん。もう1回、やってみよ」
絢斗の言葉に、柚月はまっすぐ頷いた。
「『ヒナ。悪ぃな、巻き込んじまって』」
いつものように不良同志でケンカをして、
「『それより、ハルは? けが、大丈夫なの!?』」
「『だいじょーぶ。全然いたくない』」
弱弱しい
「『……ハル。もうケンカ、やめて。みんなハルのこと誤解しちゃうよ』」
「『ヒナがわかってくれてればいい』」
かすれた声で言い、
「『ヒナだけは、ほんとの俺を見ててよ』」
そして、
はじめて触れたくちびるは、やわらかくて、あたたかかった。
演技を続けながらも、重なりあうくちびるの感触に、柚月は気を失いそうだった。
(キスって、こんなかんじなんだ)
絢斗のなにもかもが、見えてしまいそうな距離。
やわらかいくちびるも、閉じたまぶたの白さも、長いまつげの一本一本も。
5秒ほどたって、ようやく絢斗はくちびるを離した。
数センチの距離から絢斗に見つめられ、柚月の身体の熱がふたたび上がる。
「…………はっっっっっっず」
「恥ずかしい、ね」
全身が心臓になったみたいに、ドキドキしていた。
体温が上がって、真夏みたいに汗をかいている。
「でもっ……できたね」
「お、う。できたな」
おずおずと身体を離し、少しずつ互いの距離をとった。
きまずい空気に包まれながら、絢斗が口を開く。
「現場でも、できそうな気がする。ありがとう」
「私こそ……」
柚月もお礼を言おうとすると、美術準備室と美術室をつなぐドアが開いた。
「あら! まだいたの?!」
「え、あ、先生! おかえり!」
先生の声に、柚月はあわてて立ち上がった。
なんだか急に、いけないことをしていたような気持ちにおそわれる。
「あら泉くんも……って、そっか! ドラマの練習してたのね」
先生が察した様子で言うと、絢斗が答えた。
「あー……そうっス。すみません、もう帰ります」
「そうね。暗くなっちゃうから早く帰りなさい」
先生に追い立てられながら、絢斗と柚月は美術室を出た。
その夜も、柚月はなかなか眠れなかった。
不安やプレッシャーもあったけれど、それ以上に今日の絢斗とのキスを何度も何度も思い出してしまっていた。
(あれは演技、リハーサル、お仕事……)
自分に必死に言い聞かせながら、日付をまたぐ頃ようやく眠りについた。
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