二百二十四 死者の剣

 肩口に現れた鮮やかな断面に見惚れたように、ソロウはしばし動きを止めていた。


(……斬っても構わぬとは言ったが、本当に実行するとは……)


 やがて嘆息しつつゆっくりと腕を拾い上げると、無造作に傷口へ押し付ける。すると何事もなかったかのようにぴたりと接合し、すぐに元通りとなった。


(……しかしこうも言ったはずだ……この身は仮初かりそめの器……攻撃は無意味であると……)

「これは正当防衛です。一方的に責められるのは性に合いませんので」

(……仮にも恩人だからこそ……穏便に頼んだつもりだったのだが……何が至らなかったのか……)

「生贄になれと言われて、素直に受け入れるはずがないでしょう」


 心底不思議そうに呟くソロウに、さすがの紅も呆れ顔を見せた。


(……そういうものか……しかしお前の提案は現実味に欠ける……この器とは痛覚を共有していない故……我にとってお前は脅威となり得ない……)

「やってみなければわかりませんよ。器が駄目なら本体を引きずり出せばいいのでしょうし」


 未知の強敵を前にうずうずとした様子の紅は、挑発代わりにソロウのまとう鎧の隙間を縫って瞬時に多数の突きを放ち、腹部へいくつもの風穴を開けて見せた。


(……ふむ……確かに技量はかなりのもの……どの道時間は有り余っている……試してみるのも一興か……)


 先の発言通りまったく痛みを感じていないようで、ソロウは傷を気にも留めずに思案すると、紅を見据えて頷いた。


(……よろしい……あまり好みではないが、手荒くいくとしよう……抵抗したくばするがいい……こちらとしては、結果的に糧を得られれば手段は問わぬのだから……)

「ふふ。そう来なくては。私に勝てたなら好きにして構いません。ただし断っておきますが、私はしつこいですよ」

(……それもまたよし……生への執着が強いほど、絶望は増すというもの……全てが徒労と悟った際の虚無感たるや、さぞ美味であろう……)


 ソロウは近くに転がっていた兵の死体から剣を二本調達すると、とある方向を指し示した。


(……場所を変えるぞ……祭壇が壊れれば全てが水泡と帰す……街の外で存分にやり合うとしよう……)

「はい」


 紅が承諾すると、ソロウはふわりと高く宙に浮き、次いで弾丸のような速度で街並みを飛び越えていった。


「さすがは魔法使い。空を飛ぶなどお手の物ですか。置いて行かれてしまいそうですね」


 感嘆しつつも紅は即座に地を蹴り、ソロウの後を追って駆けだした。


 移動することしばらく。街の廃墟を抜けた先は、荒涼とした原野が広がっていた。

 周辺には多少の岩場が点在するだけで、当然のように草木や生物の息吹は感じられず、障害物はほとんどない。戦うにはうってつけの場所である。


 祭壇から程よい距離を取ったと判断したのか、高度を下げて着地しようとしたソロウに、我慢の限界だった紅は速度に乗ったまま跳躍して斬りかかった。


 途端に闇の中へ、がぎん! と硬い音が響き、激しく火花が散る。


 先に地へ足を付けたのは紅だった。


 互いが交錯した刹那、ソロウは片方の剣で紅の斬撃を強引に払いのけ、直後に身を捻って重い蹴りを繰り出していた。


 とっさに刀の腹で受け止めた紅だが、衝撃を吸収し切れずに叩き落されたのだった。


 受け身を取って着地した紅目掛けて、間を置かず頭上から剣を振りかぶったソロウが急降下する。


 紅は起き上がりざまに斬り上げて迎撃するが、刃がぶつかり合った瞬間に衝撃波が生じ、地面へみしりと亀裂が走った。


 拮抗したのも束の間、ソロウがもう一方の剣で放った追撃の突きを、紅は半身を逸らして紙一重でかわす。


 勢いのままに反転して鋭い横薙ぎに繋げるが、またも左手一本で弾き返され、ほぼ同時に右の振り下ろしが繰り出されていた。

 体勢を崩した紅は受け切れぬと判断し、とっさに大きく飛び退いて回避することを余儀なくされる。


 直後にソロウの剣が大地を穿った轟音を聞き、避けたのは正解だったと察した紅の口元は、自然と弧の字を描いていた。


 短くも濃密な打ち合いを経て、一旦距離が空いたのを見計らったソロウが声を上げる。


(……気の早いことだ……まだ開戦の合図もしていないというのに……)

「戦場に入った時点で死合いは始まっています。奇襲を非難される筋合いはありませんよ」


 退避した先で体勢を整えた紅はまったく悪びれず、立ち上がりながら笑みを向ける。


「しかし驚きました。大将殿は技量こそあれど、膂力は並だと思っていましたが。以前とは別物と考えた方がよさそうですね」

(……然り……元来生物は自身を守るため、本能で肉体の限界を越えぬようにしているものだが……死体ならば遠慮は無用……我はこの者の潜在能力を惜しみなく引き出せるということだ……)


 地面にめり込んだ剣を引き抜いたソロウが、丁寧にもからくりを明かした。


 ラズネルの技量に、肉体への負荷を考慮しない剛力が加わったことで、驚異的な戦闘力を発揮したのだ。

 手にした剣は帝国兵の標準装備のはずだが、恐らく魔法で強化でもしたのだろう。あれだけ乱暴に扱ったというのに、折れるどころか刃こぼれ一つしていない。


 期待以上の力量を見せたソロウに紅はすっかり魅了され、どのように攻略してくれようかと楽し気に思考を巡らせた。


(……しかし悲しいかな……人の子の身体はなんと脆いのか……今一つ加減がわからぬ……)


 ソロウが紅の一撃を受けた左腕を持ち上げると、肘が不自然な方向へ折れ曲がっていた。


(……単純作業をする分には問題なかったが……戦闘となると、また勝手が違うものだ……)


 億劫おっくうそうに呟きながら、ごきりと無理やり元の位置へ戻す。


(……さて……それでは仕切り直し……)


 準備運動は終わったとばかりに、ソロウは紅へ向き直る。


(……これより、お前に苦痛を与えよう……)

「その言葉、そっくりお返しします」


 死にも等しい宣告を受けた紅の笑顔は、曇るどころか輝きを増すばかりであった。

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