炎天や人皆揺らめく影となる
は「炎天」の句の中で一番好きでした。人を揺らめく影に変えてしまう狂気には一種のファンタジーさえ感じます。ただ、ここにも字余りが…。五七五を死守したいと願うのは時代遅れの美学でしょうか。
炎天の日暮れ遠しや六地蔵
この句は、友未に文法的パニックを引き起こしてしまいました。耳慣れない「遠しや」で躓いたのです。「や」って「遠し」に付けても良いのでしょうか?切れ字の「や」は文法的には間投助詞で、辞書には「名詞や名詞に準ずる語、また副詞に付く」とあります。事実、一番よく目にするのは「遠さ」や「暑さ」や「静けさ」のような体言か、「古池」のような名詞に直接付く形です。「遠し」はク活用の形容詞なので一見、間違いではないかと思えます。ですがよく考えてみますと、「咲くやこの花」など動詞に付いたり、「嬉しや」「悔しや」など形容詞に付く場合もある訳です。同じ「や」でも種類が違うのではないか、などと、辞書やパソコンを調べてみましたが結局わからずじまいになりました。「遠しや」は正しいのでしょうか?
作者からの返信
友未先輩、ありがとうございます。「遠し」だけでも良かったのに、その遠さを強調しようとして余計なことをしてしまいました。
この「や」は「嬉しや」「悔しや」と同じく「間接助詞」で、文末や文節末に付きます。意味としては(感動、詠嘆、語調を調える)です。日暮れに家路を急ぐ男が「まだ村境の六地蔵か、ここから家までがまた遠いなあ、やれやれ」の<遠いなあ、やれやれ>の部分が「遠しや」という表現になりました。
ということで今回に限っては「遠しや」は間違っていないと思います。 「
「炎天や人皆揺らめく影となる」は、五七五になるように検討中です。
炎天の日暮れ遠しや六地蔵
この句が一番好きです。
確かに炎天下のお地蔵様なら思いそう。
「遠しや」は来冬氏の言うとおり、
動詞・形容詞の終止形+「や」で詠嘆の意味にもなります。
普通に日暮れは遠いなぁと詠めば良いかと思います。
作者からの返信
大和田さん、こちらにもコメントありがとうございます。
文法間違って無かったですか? ああ、良かった。ホッとしました。
雪でなくとも炎天でも笠をかぶせて差し上げたいですね(^_^)