第12話/饗応

 信奉式は恙無く完了し、ナイア大使と副使の二名は大広間にて饗応を受けた。外交における饗応は儀式、儀式とは国の威光を示す場、だから様式が重要なのだ。

 長卓に揃った料理はナイア大使とその他で品数が異なる。地位と序列を反映してのこと、配膳を見ればグライブがどれほど蜂熊国との交流を重視しているかが窺えた。

 席順は大使の正面がリーベン、左右をクディッチとキルベンスが占め、グライブの三家が揃っている。現在のグライブには種族性管理という種全体に走る大動脈があり、中心を公爵が司る。立法府は別にあり、彼らは顧問に近い役割を果たすのだという。初めに語り出したのはリーベンである。


「大国に挟まれた地理条件でありながら、貴国は卓越した外交能力を駆使して生き抜いてこられました」


 そこでリーベンは蜂熊の古い時代に活躍した偉人について、複数の逸話を差し挟む。ナイアが微笑で応じた。


「我が国に対する深い理解に感謝申し上げます。蜂熊が冷静な外交的判断を下せたこともまた、友好国たる貴国への信頼あってのこと」


 彼らはまず同盟関係の強度を確認しあう。リーベンが話した逸話から現在の蜂熊が如何に変化したかをナイアが語り、世代の差を埋め、認識を修正していく。

 蜂熊とグライブは一部の歴史を共有するからか、共通面が多数見受けられ、世界観が近い。武力行使は最終手段とするなど、倫理観も一致している。


「グライブにおいて供血の為の統制や習慣、食膳の儀式として見られる薬指に嵌めた指輪への口づけは、法理と争わず社会的規範として全体に共存するのですね?」


 ナイアは宗教観について尋ね、要所をまとめた。大陸では宗教を理由に戦争が行われたこともあり、軋轢となりやすい。

 どの国にも君主が有する性質の他、全体に通う理念、固有の感覚があり、これを掴むことが交渉に影響する。宗教に限らず、例えば安全な農業生活に慣れた民が、境界のない平原で攻撃的な遊牧民と接する時などには過度に防衛的となり、敵対者の死で以ってしか自らの安全を獲得できなくなる。だから交渉には応じず、戦いが激化する、そういう争いもあるのだ。


「この地で相争えば雪に埋もれて全滅します。価値観の差はあっても互助の精神を忘れてはならぬと、寒気が教えるのです」


 グライブは雪害と切り離せない環境下からか汎神論に近く、一神教の観点からは遠い。排他性は低く、寛容。蜂熊が中性の立場を取れば宗教を理由とした論争は回避出来よう。中には天使や悪魔、神を示す一部の単語が通用しない場面もあったが、両者は協力的姿勢と理解とを示しあった。相手を知ることで弊害を取り除き、交渉の道を平らにする。それが外交官の重要な役割である。

 リーベンはごく自然に話題を変えて、大使にのみ饗された逸品はシルメルの花を模したものだと説明する。


「ところで皆様は通商語が堪能ですが、こちらはグライブの中でも名門、貴族の子息も通われるヴィレンスアクト学園で学ばれているとか。そうですね、クディッチ公爵?」


 ナイアが水を向けると、リーベンの隣に座るクディッチ公爵が頷く。


「通商語を必修科目にする是非については何度か議論されました。反発が生じる度に、同校の理事長たるリーベンが価値を説いてきたのです。未来を担う若人に是非とも持たせるべき剣が通商語であり、友の言葉を忘れて何のための友好国か、とね」


 クディッチとリーベンの間には独特な雰囲気がある。険悪というよりは独特な気の置けなさがあり、悪戯な生徒を教師が無言で窘める、そのような親しみが透けて見えた。


「通商語が軽視されることは度々ありました。しかし、言葉は文化であり、絆であり、歴史であり……来るべき時に迅速な対応を可能とする、血を流さない唯一の剣なのです」


 澱みなく通商語を用いるリーベンの言葉は、発言内容以上の重みを使節団一同に与えた。最後の一言は、外交官ならば抗い難く共感を起こすものだ。

 一方で、懸念もある。大国に挟まれた蜂熊の地理条件は国としては不利で、外交が発達したのは軍事衝突を回避するための立ち回りという側面が強い。リーベンはそのことを理解しているのだろう。

 老女は和やかな笑みを維持したまま、片手にしたベルを鳴らす。涼やかな音につられて空気が弛緩した。


「氷菓子を此処へ。……フリーレンについては、グレンツェ語研究所にて石版に刻まれた古語の解析を急いでもらっています。彼等に解説して頂く機会を設けることも出来ますし、必要とあらば研究所への訪問も可能です」


 さあ、と彼女は続ける。


「今後の日程について相談しましょう。陽の高い時間に正餐会を開きます、その時には是非ともシンメルの花壇を見て頂きたいわ。花々は私が管理しておりますの」


 明日の午前中に会談、午後にはグレンツェ語研究所への訪問。数日を跨ぎ、リーベン邸での正餐会に参加することが決定した。

 大使を乗せた馬車は郊外を目指して走る。木立の薄闇を抜けると瀟洒な建物が現れた。門兵が外門を開き、儀装馬車が敷地内へと滑り込む。

 使節団の拠点として選ばれたのは、リーベンの別邸であった。市街地からほど近い場所に建ち、四方を木々に取り囲まれて庭は広く、佇立する邸宅は民の気配と街の喧騒から隔絶されている。別邸は公館としての役割を果たし、公爵であっても大使の許可なく馬車を寄せることはできず、駐在中のナイア大使に敷地内の全権が付与される。

 漆黒の外套を着込んだ数名が馬車の傍へ寄り、うち一名がフードを落として進み出た。馬車から降りようとした大使の眼下に、革手袋に包まれた手が差し伸べられる。


「輝滴を。蜂熊使節団の皆様方、お初にお目にかかります。カッツェ・ロートヒルデ子爵、明日よりは大使の護衛を務めさせて頂きます」


 笑顔を輝かせたロートヒルデの頬に雪片が添い、肌の熱で水滴に変ずる。


「駐在地には出入りしませんが、市街を廻る時は案内役を果たしますので以後お見知り置きを」


 ナイアは剣術の心得もあり容易くよろめきはしない。だが子爵を派遣したのはグライブの好意であろう、断れば角が立つ。

 大使は三段のステップを降りながらロートヒルデの親切を受け取り、手を握った。転倒を警戒してか、子爵は自身の方へ大使を引き寄せる形で降ろす。双方の外套が擦れてから、隙間を作って雪の上に立つ。


「何処へ行き、何をするにも天候に振り回されるので、雪害への対応も僕の役割です。明朝にてお迎えに上がります」


 形式的な挨拶を交して別れようとすると、蜂熊語が聞こえた。さようなら、と子爵の声で。


「子爵は蜂熊語を使ったが、リーベン公爵が用いたのはあくまで通商語。通商語ならば他国とも通じる。するとグライブの交渉相手は他所にいるか、新たに得ることも容易ではないのですか、大使」


 他国と同盟を結ぶための通商語であり、会食時に見せたリーベンの態度はあくまで蜂熊を懐柔するための外交的態度に過ぎないと団員は言うのだ。彼らは談話室に集い、母語で会話していた。


「グライブが蜂熊との国交に通商語を用いていたのは今に始まったことではない。意思疎通に難なく、グライブが他国との交渉に臨むことは可能だろう。何故、ロートヒルデ子爵は蜂熊語を使った?」


 大使の問いに、私が、と応じたのは護衛騎士だ。彼は負傷を理由にクディッチ屋敷から直接、拠点へと護送されていた。


「護送される際には子爵にご一緒頂いたのですが、馬車内にて簡単な蜂熊語をお伝えしたのです。子爵はとても陽気な方で、お喜びになって……」


 他の団員がそれにしても、と苦い顔をする。

 

「現地を見て改めて確信を深めましたが、なんと貧しい。饗応の献立を思い出して下さい。クディッチ屋敷、饗応と続き、品数は多けれど肉料理は少なく、華美なばかりで腹に堪らないものばかり」


 大使と共に同席した副使が穏やかに話題を引き取る。

 

「酒は素晴らしかったですよ。甘くコクがあり、風味がまだ忘れられません。何よりも全てが美しかった。……料理に対して食すのが惜しまれる、壊すという感想を抱いたのは初めてです」


 彼らは猜疑心に苛まれているのではなく、入国後にはじめてひと心地ついたが為に、気が緩んだだけだ。一同はひとしきり笑い声を弾けさせた後には落ち着きを取り戻し、公平さを心掛けた意見交換へと向かう。


「リーベンの用いた逸話には、自国ながら初めて聞く要素がいくつかありました。あれほどに詳しいのであれば、史料をよく保管しているのでしょう」

「外交儀礼も同じでしょう。過去を参照するための史料保存に特化しているから情報が廃れず、混乱が少ない」


 フリーレンという巨大かつ異常な現象を前にしてすら、民に混乱がみられず、内政も安定して見えることから主権者たちは交渉に注力する用意が整っていよう。

 リーベンは些か理想主義的に映ったが、他も同じとは限らない。明日の会談でナイアが対峙するのは、この地で使節団を迎えた最初の吸血種、カリヴァルド・クディッチ公爵である。

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