22 「さっさと帰ろう」
*
ベルフェの訪れからさらに二日程度経ったか。
牢の隅で壁に寄りかかり、ぼんやりとするシェノンはふと騒がしさを捉えた。
騒がしいのはどうやら扉を隔てた向こうで、しばらく耳を澄ませていると、鉄の扉が開いた音と、靴音が明瞭に聞こえた。
靴音は早足で牢に近づく。
その音に、シェノンの気分が少し重くなった。
処刑の可能性があるからではない。足音が誰のものと分かったからだ。
魔術による光がシェノンの入る牢に射し込み、シェノンはゆっくりと目を開いた。
「遅くなった。無罪放免だ」
そこには、レナルドが立っていた。
牢の前に至るのとほぼ同時にレナルドが鍵をあけ、中に入ってくる。
「……それはそれは」
レナルド一人なので、処刑という雰囲気は感じなかったが、よくも処刑主張をひっくり返したものだ。
聖王の祝福を受ける者として、レナルドが何かを背負うことと引き換えにしていなければいいのだが。
シェノンは壁に手をついて立ち上がる。
「処刑の話はどうなったの?」
「……誰から聞いた」
「ベルフェ」
「父さんがなんで来てんだよ」
レナルドは、自らの父親に対して舌打ちをした。
おい公爵家の息子。高位貴族らしからぬ行動にシェノンは内心呆れつつ、少しの間会っていなかっただけなのに、レナルドに懐かしささえ感じた。
「で、あなたは約束守ってくれたの? 処刑の話が出てたのに、私がここから出られるのが驚きなんだけど」
「言っただろ。シェノンが不利になるようなことは防ぐ。証拠はなかった。シェノンが罪に問われる理由はなかったからそうしただけだ」
家と研究室に調査を入れたから、色々滅茶苦茶になっていると謝るレナルドが、魔術封じを外してくれる。
何もしていないと証明するのは難しい。この短期間で処刑を回避するために、手を尽くしてくれたことは明白だ。
レナルドの疲労が隠しきれていない顔を見上げ、シェノンは何とも言い表し難い感覚を覚えた。
「魔術封じの枷以外につけられたものあるか」
「ない」
「ここにいる間の不調とかないか?」
シェノンは魔術封じが外れたことを確認しついでに、最悪の環境にいた汚れを魔術で取り除く。それからすっかり凝り固まった体を軽く動かし、「ない」とレナルドに答えた。
「……」
「何よ」
何か言いたげなレナルドを促すが、レナルドは「いや」とだけ言って、
「さっさと帰ろう」
と、シェノンに手を差し出した。
おそらく魔術でレインズ邸に移動しようとしているのだろう。
しかしレナルドが差し出した手を、シェノンは見つめ、取ろうとはしなかった。
「シェノン?」
そのまま黙っていれば、いつものようにレナルドの方から触れて、強制移動になるだろう。
だから、その前にシェノンは口火を切る。
「レナルド、ここで話をしていかない?」
後で話をすると約束していた。その約束を示す言葉だったが、レナルドは眉間に皺を刻む。
「帰ってからでもいいだろ」
「嫌だ」
きっぱりとした拒否に、レナルドが虚を突かれた顔をする。
最近はあなたがそんな態度なんだよ。シェノンは内心で笑いながら、レナルドの返答を待つ。
「……シェノン、寝てないし、ろくに何も口にしてないだろ」
取られることのなかった手が、シェノンに触れた。ただし、強制移動するためにではなく、気遣う手つきでなでる。
レナルドの手の感触に、シェノンは苦しくて仕方がない。
その手の優しさと温かさに、ほっと心が緩みそうな反面、理性が警鐘を鳴らす。
そしてレインズ邸は、シェノンにとっては眩しすぎるほどに優しく、温かな場所だ。だからこそ、ここで話をつけておきたい。
シェノンは、レナルドの手をそっと退けた。
「レナルド、私はきっと、一生あなたの気持ちに応えられない」
はっきりとシェノンは言った。
レナルドが止まった。
沈黙がその場を支配し、漂う。
「……俺のこと、好きになれないか」
シェノンは首を緩く横に振る。
「それ以前の問題。私は、『そういう感情』を持つことはきっとない。あなたに限ったことではなく、この先、誰にも」
「なんで言い切れる。そんなの分からねえだろ」
「分かってるの」
不服そうなレナルドに、シェノンが再度言い切ると、レナルドはわずかに驚いた様子になる。
「私にとって、その類いの感情を持つことが呪いみたいなものだから」
分かっていた。知っていた。自分は誰も好きにならない。レナルドのことも、誰のことも。
「呪い……?」
「ええ、そうよ。昔、そう自分に思い込ませて過ごさなければならなかったときがある」
──遠い昔の記憶だ。果たして自分で思い込もうとしていたのか、魔術が作用していたのかは分からない。ただ、この上ない恐怖と痛みを感じながら生き、自我がほとんど失われていたようなときの話だ
それは誰かに話すことはおろか、思い出すことも避けたいことで、弱みを見せるのも好まない。そのためシェノンは少し早口になる。
どうか、話すことは必要最低限にさせてくれ。
「以来、ただの一度もそういう意味で本当に誰かを好きになったことはない。私はきっと、あなたや大半の人間が普通に抱くようにその感情を一生抱けない。もう方法さえ分からない。普通に人を好きになる方法なんて知らない」
だから応えるものを持ちようがない。
魔王の祝福の受け手を好きになるべきではないとか倫理的な話をしても、レナルドには意味がない。そんな説得が通じる価値観を持ち合わせているのなら、そもそも関わり合っていない。
だから望みなどないのだと理由を言えば、レナルドは沈黙した。
「……その『昔』っていうのは」
ようやく沈黙を破ったレナルドは、静かな目で、真っ直ぐシェノンを見て問うた。
「『賢者である所以』の『昔』か?」
問いの内容に、シェノンはわずかに瞠目する。
「私が、賢者だって知ってたのね」
まず、その点に驚いた。
「ベルフェ? エト?」
「ディラン」
「あー」
以前、レナルドが留守の間にディランと会ったとき、ラザル・フロストが賢者集会の召集にやって来たことがあった。
「でも、ディランは私が賢者であることを知っただけ。でもあなたは、賢者の本当の意味を知ったのね。違う?」
『賢者』とは、魔術や歴史、魔物の生態など、分野は様々知識が秀でている者の総称──と言われている。
しかし──賢者の本当の意味は、賢者たちと他の一部の者しか知らない。
そして、この話の流れで、『昔』が賢者であることと関係あるのかと問うのは普通あり得ない。
「父さんに聞いた」
いつ聞いたのか。
ディランに聞いたのが牢に入れられる前どころか聖教会から戻ってきて間もなくだとすれば、レナルドがベルフェと話したのはいつか。
ベルフェがレナルドに話したのは、いつか。
「『賢者とは、二度目の人生を生きる者のことで、一度目の記憶を持つ者のことだ』」
シェノン・ウォレスに、この国で特殊な条件下で魔術師をしているのとは別の人生があったと、いつから知っていたのか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。