4月30日

長い。とても長い、休みだった。


一ヶ月丸々休みになる、などというのは定年までまずないだろう。ある程度の若さを残したこの年齢で一ヶ月の時間を与えていただけたのは幸運以外の何物でもない。


「あっという間だった」などいうことはなかった。


じつに濃い一ヶ月で、これまで過ごしてきたどの期間よりも長く感じた。もちろん、退屈をしていたわけではない。ありとあらゆることを詰めこんだのだ。「休みのようで全然休んでないのでは」と言われたこともある。いや、休んだ。休んだのだが、これまでやりたかったことを全て叶えようと試みた。


それらは主に、「作家友達と直に会い、挨拶を行うこと」だ。


私たちは小説サイトやSNSを用いて創作活動を行っている。そこでは互いの顔は見えず、主にテキストや通話を介してのコミュニケーションが主流になる。だけど私は、この機器の向こうに生きた人間がいると信じてきた。自分と同じように、生まれ、育ち、成功したり失敗したり。喜んだり、迷ったり、悲しんだり、誰かに助けてもらったり。それらは幸運であったり、不幸であったり、人それぞれの道筋であろう。しかし間違いなく、同じ時代を歩んできた仲間がいるということを心に強く刻んできたのだ。


その仲間と会ってみたかった。挨拶をしたかった。自分の人生で、時間と心をたくさん費やしてきた「小説」。自分の人生で、大切なものとして据えた「小説」。その取り組みを共有している仲間と視線を交わし、声を鼓膜で直に聞き、その表情の一つ一つを覚えておきたかったのである。


その夢はまず一つ、叶えられた。


もちろんそれらの夢はまだ続く。自分の創作だって、まだまだ歩むべき距離がある。


だけど大勢のおかげで自分は生かされ、創作をさせてもらっている。なにより単純に、友達ができてたいへん嬉しい。とてもとても、嬉しい。人間として、友達ができて嬉しいのだ。


今日はお昼に作家友達の左京ゆりさんと電話でおしゃべりした。窓を開けると曇りだった。いつか自分が「曇りの日を愛したい」と述べたことを思い出す。晴れの日や雨の日は、喜びや憂鬱という形でいつも注目される。だけど「曇りの日」という、注目に値しない日々こそ愛してあげたいのだ。人生において本当の喜びや悲しみは、わずかな時。なにげない一日を、当たり前に過ぎていく一日を、そしてそこに生を与えられている事実こそを、私は愛したいのである。


4月の最後の日。


春が終わる日に、原点に戻ることができたような気がする。


最高の一ヶ月だった。最高の一ヶ月だったのだから、きっと次の一ヶ月も最高だ。次の一ヶ月も最高なのだから、その次の一ヶ月も最高なのだろう。


時間は連鎖することで、継続することで、どんどんと輝いていく。


この4月において瞳水晶にうつした、皆様の笑顔と同じように。



――――――了――――――

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淡彩のエア・ポケット 木野かなめ @kinokaname

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