第10話

 実家のある場所は住宅街ではない。さすがに隣と隣が50m離れている、というレベルではないものの、それでもある程度は余裕を持ったスペースで家々が建てられている場所だ。

 姉一家はここから離れた住宅街に住んでいるが、同じ市内に住んでいるから、時折姉が両親の手伝いに来ていた。今日はわたしが早めに帰ってくるからとこちらに来てくれていたのだ。


「わざわざありがとう」


「今日はとりあえず夜までいるわ。元日にみんなでこっちにまた来るつもりやし」


「樹は?」


「樹も元日。旦那さんの家には大晦日に行くって言ってたけど」


 ああ、そうか。さっきまで結婚の話をしてたのに、樹がもう人妻だったことを忘れていた。

 姉にも荷物を持ってもらい、実家の扉を開けた。


「ただいまあ」


 姉の声で、母が先に顔を出した。


「おかえりなさい。今年はえらい早いやないの?」


 母は姉の後ろにいたわたしに訊いてきた。


「うん、色々あって有給もらったから」


「まあまあ、わたしらはいつ帰ってきてくれても全然嬉しいから。さ、よ入り」


 結婚の話さえ出なければ、父も母も優しくて良い人である。だからこそ姉の言うように、心配でとやかく言ってくるのだろうが。


「渚もありがとうね」


かまへんよ。今日はとりあえず夜までおるから」


 その時わたしは父の姿が見えないことに気がついた。


「あれ、お父さんは?」


「今日で仕事納めやから、まだ職場よ」


 そういえばそうか。わたしが実家に帰ってくるのは、大抵父の仕事が休みの時期だ。そのおかげで父がいつも家にいるのが当たり前になっていて気にも留めていなかったが、彼も一応まだ現役世代なのだ。

 両親は再来年で還暦を迎える。だから父の定年退職はあと数年だった。


「そういやそうか。いつも家で会ってたから、変な感覚になってたわ」


 わたしは正直に思ったことを言った。


「そりゃ、あんたは一人暮らしやもん。大きい休みやないと顔合わさへんし」


「姉妹で定期的に顔見せてんのわたしくらいやもんな」


「まあでも、お父さん、あとちょっとで定年やから、きぃ楽になるんちゃう?」


 わたしのその言葉に、母は驚いたように言った。


「あれ、灯知らんかったっけ? お父さんの会社、定年延長になってん」


「え?」


 びっくりした。父の職場はこの近く、つまり田舎にあるわけだ。まだまだ時代についてこれてなさそうなこの場所で、定年延長という進んだことが行われていようとは。

 和泉部長を思い出した。方や都会にいて前時代的、方や田舎にいて先進的、わたしはある種の矛盾を感じた。

 それとともに、父の心情が気になった。


「いつからそうなったん?」


「二年くらい前やったかなあ」


「お父さんは、どう思てんの?」


「どやろなあ、あんまりそういう話せえへんから」


 父は仕事が好きな人ではある。だけど、もうすぐで全てが終わると思っていたら延長されるとなると、また違うような気がする。

 まあ、わたしなら老後のことも考えたらお金が入ってきてラッキーとしか思わないけど。



 大晦日になっても、父からも母からも結婚の話は持ち出されなかった。


 そうして、2020年を無事に迎えた。

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