第26話 最期


 あれから、一週間ほど。ホテルに缶詰になった俺は、前半数日は正直ぼーっとして過ごした。好物の蕎麦もそんなに胃に入らず、水を飲んでいた記憶もそんなにない。

 少しずつ正気を戻してきた時には、何故か田中には怯えられ、今崎は顔を出さなくなっていた。

 たぬきわかめ蕎麦を食べながら、最終回のプレゼンテーションテーマを思い出す。


「『この番組で死にたい理由』か」

 死に場所として、選んだこの番組。正直、この質問は最初のプレゼンテーションで答えたものなので、そのまま流用すれば良い。

 人に迷惑をかけず、金のない俺が死ぬ方法がこれだけだった。それだけだ。

 そもそも、小島に勝つ必要がないのだ。

 あれ、次は勝ったら一億円なのか、負けたら一億円なのか。


 でも、死ぬことには変わらないはずだ。そうだ、そうに決まっている。

 目に浮かぶのは死んでいった人たちの姿、網膜にも脳裏にも焼き付き離れない。

 寝るたびに、全員の最期が頭に浮かぶ。まともに寝れやしない。


 ああ、早く殺してくれ。


 ただ、願い続けて、最終回収録を待つ。



 俺が来たのは、千葉にある小さなイベントホール会場だった。

 久々にアイマスクも爆音の音楽も無く、外の風景を、タイヤが走る音がなんとも懐かしい。

 その間窓の外を見れば、イベントホール会場付近にはそこそこの人数の人たちが、同じ方向へと向かっていた。

 駐車場に入り、俺は降りると立ち止まって、田中を見る。田中は不思議そうに俺を見ると、ハッと顔を上げた。


「持田さん、すみません、今日はあのスタッフについて行ってください」

「あ、すみません」

 今日は台車移動ではないのか。

 指さされた先には、いつかの水戸部を応援していたスタッフが待っている。俺は言われるがまま、そのスタッフの元へと進んでいく。応援していたスタッフは、「今日は最終日よろしくお願いします!」とあの時と変わらない元気な様子で挨拶をしてくる。水戸部が死んだのに、彼の様子も変わらない。

 アナウンサーの言葉が頭に浮かぶ。


『ただ全うしてるだけですよ』

 彼もまた、仕事を全うしているだけ。田中も、死んでいった人たちも、この番組に求められた役割を全うしているだけ。

 周囲の天使のコスプレをしたスタッフたちの喧騒が遠くに聞こえている。重い荷物を持って走る若い女性も、偉そうに道の端で誰かと会話するオッサンも。

 ここにいる全員が番組内で求められている役割を全うしようとしている。

 ここまで生き残ってしまった俺は、何を求められているのだろうか。この番組内でどういう価値なのか。

 スタッフに誘導されるがまま連れてかれた先には、テレビでよく見る白色を基調とした楽屋。真ん中には有名焼肉店の弁当を含む何種類かの弁当と、飲み物、お菓子が並べられている。


 その時だった。


 《持田さん、お疲れ様です》

「わあっ、って小島さん。お疲れ様です」

 いきなり声を掛けられて振り向くと、そこにはテレビがあり、画面には小島さんが映っていた。

 いつもとは違い、真っ白な背景に白いワンピースを着た彼女が微笑んでいた。相変わらず艷やかな髪と、美しく化粧で整えられた顔は一般人とは思えなかった。


 《友達になろうと私から言ったのに、なかなか会話できなかったですね。ごめんさい》

「仕方ないですよ、気にしないでください。この番組は読めないですから」

 謝罪する小島に俺はそう声を掛ける。何もかも読めない番組だった。最初の和室セットもよくわからないし、その後の展開は嵐のように俺を振り回し続けた。

 そんな番組内で予想通りできるわけがないのだ。

 相変わらずの少しの沈黙の後、彼女は安心したように笑った。


 《本当に優しいですね》

「そんなことは、ないです」

 《やっぱり、私の最期は持田さんに見て欲しいです》

「俺のが先に死ぬかもしれないですよ?」

 《……その時は私が看取りますよ》

「ありがとうございます」

 遂に残ったのは俺たち二人。いつかの会話をした時のようだ。あの時も、同じような会話をした気がする。

 あの時からどれくらい経ったのだろうか、人生で一番短いようで気が遠くなる時間だっただろう。


 《それでは、ここでお別れです。会場で会いましょう》

 小島はそう言うとぶつりと画面が消えた。会場、遂に全てが終わる時間が来る。


 あれから暫くしてスタッフが来て、入場口まで移動するように案内された。俺は言われるまま、着いていくと外からは何故か人のざわめきがよく聞こえた。

 ちらりと、となりにあったモニターを確認すると、そこには天使のお面を着け白い服を着た数百人の人たちが会場の椅子を埋め尽くしていた。

 あまりにも異様な光景に、俺は思わず凝視する。なんで、こんなにも人がいるのだ。


「あの、この人たちは?」

 俺を案内してくれた見知らぬスタッフに思わず尋ねる。

「この番組の視聴者ですよ、最終回の撮影協力ってことで観覧募集して、そして、今回の審判する天使たちです」

「えっ」

 すでに放送していたのか。そんなこと聞いていない。田中か、また田中のせいか。


 《皆様、この度はエンゼルプレゼンテーションの最終回へようこそお越し下さいました!》

 《前説を担当するレディスミスの……》

 豪奢な扉が一つ置かれ、天国をモチーフにしたステージセットの上には、知らない芸人が並び立って前説というものを始める。観覧における注意事項や、審判の方法等を話していた。投票が始まったら、事前に渡したリモコンで最終決戦の二人の内どちらがふさわしいかと選ばせるようだ。


 《皆様の投票が最終決戦の人たちの運命を決めます》

 《皆様! 準備できてますか!》

 ボケらしき男が淡々と説明し、ツッコミらしき男が声を張り上げて会場内を盛り上げる。思ったよりも熱気ある歓声がそれを答えていた。


 《それでは、最期まで楽しんでいってください!》

 自分たちの仕事を終えた芸人二人は足早に去っていく。すると、会場内がついに暗転した。

 壮大な音楽が鳴り響く。


 《天使の皆様、ようこそお越し下さいました。エンゼルプレゼンテーション、天国の階段へ》

 いつもの変わらないアナウンサーの声。それを皮切りに、アジマエル、ナナミエル、ササキエル、ツガワエルの四人が壇上に上がり、それぞれがコメントを残していく。当たり障りないコメント、ただ俺たちを激励するだけ。


 《最終回のプレゼンテーションテーマは、『この番組で死にたい理由』です》

 いつもと同じく、プレゼンテーションテーマが発表され、会場内からはどよめきの声が上がった。


 《それでは、お二人に登場してもらいましょう、どうぞ!》

 アナウンサーの進行に合わせ、スタッフからも「どうぞ」と声を掛けられる。

 俺は真っ直ぐステージに向かった先、あの天使の仮面を着けた人たちがずらりと並び、拍手をしながらこちらを見ていた。

 そして、隣を見ると、何故か小島の姿はない。俺がキョロキョロとしていると、アナウンサーがこちらを見た。


「ようこそ、持田さん。ここまでたどり着いてくださり、ありがとうございます。あれ、小島さんは、まだ……」

 随分とわざとらしいアナウンサーのセリフ。彼の目は爛々と光りながら、キョロキョロ視線を彷徨わせた後、一つの空のCG映像を流していたディスプレイへと向けられる。わかりやすく、BGMの音楽が代わり、ステージが暗転した。


 《発表先行、小島瑠璃奈こじまるりな


 よく響く小島の名前。観客からは拍手が響いた。その拍手の中、カラカラとまるで台車で何かが運ばれてくるのに近い音が聞こえた。

 暗転した中、俺から少し離れているが真横に来た何か。それは、大きなベビーベッド、いやこれは病院のベッドだ。

 スポットライトがパッとベッドに降り注ぐ。そこには、そのベッドをスタッフと共に押してきた小島がいた。

 ただ、おかしいのはその小島は一礼だけすると、すぐにスポットライトの光の外へと消えていく。

 カメラマンの一人がベッドに近づき覗き込んだ。

 会場内が何かを見たのか、小さな悲鳴や息を飲んだ音が響く。俺は何事かと先程のディスプレイを見ると、そこには手編みニットを頭に被り、天使の服を着て、痩せ細り骨と皮だけになった腕、全身からたくさんのコードに繋がれた異様に肌の白い人間がいた。


 《皆様、この姿では初めてになりますね》

 合成された音声が、会場に響く。この姿とは、なんだ。その時、堂園がいつか言っていた言葉が頭の中によく響く。


 小島って女、アレ絶対嘘ついてるでしょ?


 《これが、本当の小島瑠璃奈こじまるりなです》

 一度は否定した言葉が、まさか本当だったなんて。堂園の指摘はもっともだった。

 死を選ぶほどの重病人があんなに元気に話せるなんておかしい。そうなのだ。


 《この合成音は聞きづらいと思ったので、読み上げ女優の篠宮しのみやあさこさんが担当してくれていました。彼女は、一年前私の役をしてくれた女優さんなんですよ。だから、今回も担当してくれて嬉しかったです》

 一年前、いつかの番宣で寝たきりの娘を看病する特別ドラマを流していた。あの時、顔色悪くしていた女優を思い浮かべる。まさか、そんな、顔が違いすぎて気づかなかった。

 もしかして、読み上げてたから、会話にタイムラグが生じていたのかと、頭の中で色んな違和感が繋がっていく。


 そんな困惑する俺なんて見えてない彼女は、合成音の声で淡々と語り出した。その語りをただ呆然と聞くしか無い。


 《私は最新技術の脳波を使って、今皆様にお話しています。といっても、これは一週間ほどかけて準備した文章を流すだけにはなりますが。あ、親とちゃんと会話できるようになったのは、この技術が生まれたここ数年の話なんで、感謝はしてますよ》


 《私は生まれたときから、身体を動かすことができません。運動神経の伝達に異常があります》

 以前、たしかに彼女は神経の病気とは言っていた。その時は症状を濁されたが、今は見るだけでその重症度がわかる。


 《ただ、痛覚はあります、冷たさも、熱さも、眩しさも、感じます》

 《身体の一部に床ずれができた時は本当に辛かったです》

 《そして、知能もそれなりにあります。》

 《私の両親はめいいっぱい教育というサポートをしてくれた、賜物ですね》

 確かに彼女の言葉には、知性や人の良さがどこかあり、多分俺よりも勉強は出来る。思考を沢山してきたのかもしれない。


 《この脳波の機械が出来る前は、唯一動く瞼を使って、YESかNOかは伝えてました》

 《院内学級で勉強、たくさんの本も母が読み聞かせしてくれたりしました》

 《たまにボランティアで来てくれる落語家のおじいちゃんが好きで、いつか伝えれるようにと頭の中で寿限無を必死に覚えました》

 病院内でも楽しく過ごそうとしていた彼女の頑張りが、言葉の一つ一つで伝わってくる。


 《だから、とても私は幸せだと思ってました》

 しかし、この言葉で空気はガラリと変わる。


 《でも、私は検査中、外から父と母の言い争いを聞いてしましました》

 《私の面倒にかかるお金や時間についてです》

 それは彼女が最初の自己紹介の時に話していたし、こんな重病人の世話には多大な労力がかかるのは俺にもわかる。


 《補助金が出ようと、保証金が出ようと、細々としたものにお金が必要なのです。だって、我が家の家計は父親だけが支えるしかない》

 《また、母は私の面倒を見るばかりで、家のことができない、パートもできない。それに対しても父は叫んでいました》

 《言っておきますが、父を責めることは誰にもできません。必死に働いてくれ、私の前では良い父親でいてくれました。人間誰しもプツンとする時はあります》


 《私はその時、思ったのです。何故、私は生きているのだろうと、消えてしまいたいと》

 母と父の辛い会話を聞き、酷く傷ついただろうにも、悪く見られそうな父親をフォローする彼女。たしかに、人間誰しも我慢の限界というものがある。でも、小島だって、こんな風に生まれたくて生まれたわけじゃない。


 《でも、その時は私だって生まれてからずっと耐えて、必死に生きてきたんだと、その時は思い直して、その考えを一度捨て去りました。私を捨てずに頑張ってくれた両親には、申し訳ないですし。なによりも、気持ちを伝える手段がなかったですから》

 手段がない。会話すらままならない辛さというのは、正直俺には想像がつかなかった。でも、その時は踏ん張れたのなら、何があったのだろうか。

 少しの間を空けて、彼女はまた話し始めた。


 《その数年後、私には妹が生まれました。母は困惑しつつも大きなお腹で病院へと来て、妹も連れてきてくれたことがありました》

 《勿論、その頃には私は十一歳で、初めて妹に会えることが嬉しかったです。勿論、妹のことは今でも大好きです。私が見たこと無いものを教えてくれるので》

 今まで登場しなかった妹が生まれた。妹は健常者らしい、嫉妬とかなかったのかと思うが、合成音からは彼女の気持ちはわからない。また少しの間が空いた。


 《でも、一年と少し前に妹に尋ねられたのです》

 《「私は、お姉ちゃんのお世話をするために生まれたの?」と》


 あまりにも鋭く胸を刺す質問に、目を見開いた。それを小さい子供に言われるなんて。


 《正直、その時心臓が止まったかと思いました》

 《そんな不安そうな妹に、無機質な音声で「そんなことない」と伝える事しかできない自分が、なんと情けなかったか》


 俺の頭に小瀬川が話していた幼い頃の介護の話を思い出した。彼女もまた、家族の悲劇に巻き込まれ、人生を諦めた人だ。

 小島は誰かが自分の妹に、そう吹き込んだのがわかったのだろう。


 《よく考えれば、妹はよく母親に連れられて病院に来ていました。友達と遊びたいざかりだろう、夏休みもどこにも行けず、日記の内容もほとんどが私と病院で過ごしたものでした》

 一つ気づけば、次々とその違和感が繋がっていく。小島はそれが繋がっていく時、どんなに辛かったのだろうか。


 《私の父親も身を粉にして働いています、母親も私の世話を必死にしてくれます、でも、それは幼い妹の人生を犠牲にしているんだと気づいたのです。遅いですよね、もう妹は小学生なのに》

 合成音は感情を表さない。ただ、この言葉はまるで、後悔し泣いているように聞こえた。


 《その日から私は、どうやったら死ねるかと考えました》

 《担当医にも聞きました。「馬鹿なことは言うな」と一喝されました》

 《看護師の方に聞きました。「法律上叶えることはできない」と淡々と返されました》

 《病院の友達にも聞きました。「不吉なことを言うな」と怒られました》


 《なんで、こんな身体の私には死ぬことすら許されないのか。他人にとっては死んだも同然な人生なのに。死ぬこと一つくらいは選ばせてほしいのに、なんであなた達は許してくれないんだろうと》

 その言葉には憤りにも、近い何かが宿っている。すべての言葉が、熱い青い炎のように、今までの俺達の価値観を焼きに来る。


 《だから、この番組からオファーが来た時、人生で一番安心しました》

 《この番組で私が死ねば、家族みんなに、消費した時間は返せないけれど、お金は少しでも恩を返せると》


 《そして、この事を番組を通して、全世界に居る死にたくても死ねない人たちに伝えれる》


 《こんな私でも自分で人生を決められる》


 《そして、もう一つ、ここにいる天使のような心を持った他人の皆様に伝えられる》

 《私の痛み、私の辛さは、私にしかわからない。だからこそ、私の覚悟に対して、無責任に「生きろ」とは言わないで欲しい》


 《以上、私が『この番組で死にたい理由』です。ご清聴ありがとうございます》


 合成音が止まる。気づけば、静まり返っていた会場。一人が小さく拍手をし始め、それに続くように一人、また一人と続いていく。気づけば拍手していた一人が立ち上がり、どんどんと皆立ち上がった。スタンディングオベーションといわれるものか。俺は何もできず、ただ呆然とモニターを見る。

 ディスプレイ越しに見る本物の小島は、パチリパチリと瞬きをすると、一筋の涙が溢れ落ちていった。

 そこで暗転し、画面が切り替わる。


 《発表後攻、持田宗一郎もちだそういちろう

 ああ、なんと無慈悲なのか。俺は上から降り注ぐスポットライトを浴びながら、自分に対して呆れ笑う。

 なんと無様だ、こんな話の後に俺がどんな話をしても霞む。目の前に並ぶ天使のお面を見て、自分は敗走をするしかないことを悟った。


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