第2話/緑の町に舞い降りて
そろり、そろりと、抜き足、差し足が進む。目の前の窓から入ればすぐにリビングだ。どこに隠れていようと、魔女の一人くらいは難しい相手ではない。裏社会の賞金稼ぎ・
ビィーーーヨーーー!! ピガガガガ!! ザ……ザザッ……ビィーーー!!
壊れたスピーカーより酷いノイズが突如爆音で鳴り響き、残り物狙いはそのまま気絶した。イヤーマフを外しながら近づいてくる交機隊員の制服。シャノアールだった。
「はい、確保です! 残り物狙い、確保しましたァ!」
「よし! さっさと近場の署にブチ込め」
「了解!」
すっかり失神している残り物狙いは交機隊員によって、さっさと近隣の警察署まで連行されて行く。
「これで、リスト内は全員確保ですかねェ」
「まさか全員が全員、あの仕掛けに引っかかるとはな。馬鹿馬鹿しくてやってらんねえよ」
地面に浅く埋めて仕掛けられた、簡易警備呪文。何を隠そう、文筆の魔女お手製の一品である。名を、「壊れかけのRadio」といった。
「でも上長ォ。あんな音が急にしたら、フツーはびっくりしすぎて倒れます。僕みたいな獣人で耳が良かったりしたら尚更ですよォ」
「安心しろ。こいつの出番はこれで終わりだ」
携帯端末にズラリと並ぶ、どれもこれも人相の悪い顔。そのうちの最後に載っていた「残り物狙い」にビャクダンが指でペケをつけると、リスト内の顔すべてに「ARRESTED」のスタンプが押された状態になった。
「……壮観だぜ……」
「いやァ、二週間でこんなに逮捕したの、なんかヤですねェ。ゲート前勤務といいなんといい、治安悪ゥい」
「改めて魔法界の治安に触れると気分悪くなるよなァ。ま、この後はそう大変じゃない。まずは周辺をもう一度パトロール。仕掛けは外すの忘れるなよ、誰が踏んでもあの音鳴るんだからな。鍵の魔女殿はもうお呼びしてんのか?」
「ええ、いらしてますよォ」
警備呪文の用紙を慎重に剥がし、「長官行き」の文言の書かれたファイルに綴じる。交機隊員に連れられ、かなりくたびれた様子のトパーズがやってきた。
「ひどい目に遭った……」
「随分、ボロボロだな。何かあったのかい?」
「いや、ここまで送ってくれたのがエメラルドさんだったので……」
「そりゃ災難。おおかた、ヤツもきみが心配だったってだけだろう。ヤツのことは話の通じない野生動物と同じものと捉えていい」
崩れた着付けを直しつつ、トパーズは訊ねる。
「あの、私もう、大丈夫なんですか? 狙われてないんですか?」
「現状で報告の上がっていた指名手配犯、それに加え大魔女たちが集めて回った追加、この両方のリストの人物は全員しょっ引いた。これでもまだ湧くようなら引っ越しを真面目に検討した方が良い」
「はあ~よかった。ありがとうございます。なんていうか、逆恨みもいいとこだと思うんですけどね……」
「そりゃ災難……」
人間界を満喫して帰ってきたトパーズの身に起こったことは、まさしく災難といえよう。これに対してビャクダンら警察組織の面々さえ頭の痛そうな表情になることは、ひとえに、「魔法界の治安が悪い」という事実に帰結する。
魔法界は、治安が悪い。言わずと知れた事実である。
魔女や魔法使いは、どうしても能力に個人差が出てしまう環境にあるため、劣等感に苛まれやすい傾向にある。その感情を爆発させ、履き違えた結論を出した者が、先日のテロのような事件を計画したり起こしてしまうのだが、それは、珍しいことではない。それ故、圧倒的な力を持つ、大魔女のような存在ほど、爆発した卑屈な感情の矛先になりやすいのだ。つまり、見習いといえど大魔女の名を冠するトパーズも例外ではない。
「人間界侵略論派のひとたちと、それに便乗した日陰のひとたちによる被害拡大……っていうふうに、長官さんからは説明を受けました」
「はァ、やっぱり長官に言わせるとそんな感じですよねェ。わかりやす~い」
「腹ン中真っ黒だから警察やってるだけだあのひとは。役職がなきゃ、詐欺師やってても疑問に思わないね俺は」
その場にいない者の陰口でケラケラと談笑する三人。ギベオンが長官室で大きめのくしゃみをしたとき、耳の良いシャノアールと魔力の強いビャクダンがバッ!と振り返った。封鎖していたはずの路地に、見慣れない姿が歩いてくる。
『気を付けてください……!』
「イチキか!? あっ……! 通信が」
「リストにないヤツが湧いたか? にしちゃ、イチキ含め交機の連中全員ノせるなんざは相当ヤバいんだが」
「……誰?」
桃色のパオに、金糸の刺繍が施されたシアー素材の黒の羽織を重ねている。腰には白いショールが巻いてある。長く垂らした細い三つ編みが印象的だった。
「そいつが鍵の魔女?」
「先に名乗るのがマナーだぜ、坊主」
「じゃアンタも先に名乗れよ、オッサン」
「テメェーッ俺ァ顔より若ェぞコノヤローッ!」
桃色の男が止まる様子はない。急ぐ様子もないのだが、着実に三人に向かって歩いてくるのだ。ふわりと、吹き付ける風に、甘いコロンの香りが乗って届く。
「上長。威嚇射撃の許可、お願いします」
「必ず出す。もう少し近づけろ」
自分の前をギッチリ固める二人に、トパーズは困惑している。会話の状況から、近辺で待機していた交機隊員はあの青年に全滅させられてしまったようだ。そんな相手がやってくるほどの逆恨みを買っていたのかと、今度は改めて、呆れた。
はあ~っ、と大きなため息の後、トパーズが大きく声を張る。
「私が鍵の魔女だよ! きみは誰?」
「オレはタオ。よし、じゃ砂ァ持って帰らしてもらうぜ!」
「は!? おいお嬢ちゃん本気か!?」
「上長! 発砲許可ください!」
歩いていたタオはだんだんスピードを上げて、ついに走り出す。
「撃て!」
行動制限用の
「マジか」
「遅ェチョレェつまんねェ。
「まずい! シャノアール!」
間合いに入られたシャノアールに、タオの筋の良い拳が伸びる。
「……あ?」
「いい機会だし、試しちゃおっかなァ」
「テメェ……なんだそれ、ドーピングか?」
タオの拳を掴んでいるシャノアールの手は、普段のしなやかな陶器の白の肌ではなくなっている。爪は鋭く伸び、ざわざわと毛並みが揃いつつある。空いた左手が、ラムネの小さな一粒を弾いて、こちらも鋭い犬歯がカリリとそれを噛んだ。
「獣人族! スゲェ、いっぺん
「結構特訓したんだぞ!」
全身を猫に変えてしまうのではなく、人間の形態を保ったまま猫科獣人の能力を使えるようにする。自力での変身は困難だが、このように
「へえ! やるじゃん! これこれ、こういうの!」
「おいオマエ! なんで僕より速いんだよォ!」
刃物の上質なもの同等のシャノアールの爪の連撃は小バエを叩き落とす猫の速さなのだが、タオは涼しい顔でそれを避けてしまう。さらに、
「単調だと隙ができるぜ。ほらよ!」
「わっ!? わあ~っ!?」
顔の真横に突き出されたシャノアールの手首を掴むと、自分の身体の方に引いて、流すように投げ飛ばす。ついでで足払いもかけると、シャノアールは完全に体勢を崩されてしまった。タオは上げた左足で勢いをつけ地面を蹴ると、重力で上乗せした右での踵落としを繰り出す。シャノアールの頭へとまっすぐ落ちるそれは、シャノアールがロンダートへと崩れた体勢からでも動きを流すことで、地面を抉っただけで済んだ。
「……ん?」
土埃が晴れたとき、シャノアールはイヤーマフをつけ終えたところだった。いつでも飛び掛かれるように体勢は整えてある。
タオが足元に違和感を覚えると同時に鳴り響く不快音。
ビィーーーヨーーー!! ピガガガガ!! ザ……ザザッ……ビィーーー!!
「うっっっせ! ンだよこれ!」
「交機ナメんじゃねェぞクソガキ!」
およそ警察官とは思えないドスの利きっぷりの台詞と共に、白の髪を一本抜いたビャクダンが警棒を振りかざしてタオに殴りかかる。そこへ、豹が獲物に飛び掛かるが如く爪を立てたシャノアールが加勢する。二人に挟まれる形になったタオだが、やはり動じることなく、むしろ不敵に笑ってみせた。
「遅ェチョレェつまんねェ! もっとやる気出せや!」
「大の大人がここまでやってやってんだぞ!? 勘弁しろよクソッ!」
ビャクダンもシャノアールもかなり必死だ。魔力を使ってまで身体能力とスピードにブーストをかけているというのに、タオはすべての攻撃を、流れに浮かべた葉を押す程度にさばいてしまうのだ。
そしてビャクダンが納得いっていないこととして、もう一つの事実があった。
こいつ、魔力がない! 魔力なしでこの速さとかおかしいだろ!
ビャクダンの「目」は魔力の足跡をたどるのに使うこともできる。普段は速度超過の箒を摘発するのに使っている技術だが、近接戦闘においても有用である。あるはずなのだが、タオからは魔力による身体能力のブーストが一切読み取れない。隠匿魔法などを身体能力の誤魔化しに使っているわけでもない。そこから出る事実は、「タオは魔力を一切保持していない」という事実だった。
「考え事かあ!? 隙がデケェぞオラァ!」
「うぐぉ!」
「ぐふっ……!」
ビャクダンの顎を垂直に掌底で叩き上げ、そのまま左足を軸に半円を描く回転、固めたままの掌底をシャノアールの鳩尾に突き込む。
「ぐ……お嬢ちゃん!」
なんとか立ち上がろうとするビャクダンをサッカーボールにするみたく蹴りつけて黙らせ、タオはまっすぐにトパーズに向いた。
「見習いだのなんだの知らねェけど、魔女一人にそんな苦戦するとは思えねェな。案外早く帰れそうだぜ」
「……!」
「さあ見習いさんよォ! 砂に還ンな!」
「お嬢ちゃん逃げろ!」
恐怖で固まってしまっているのか、トパーズは後ずさりすらしない。ビャクダンは力を振り絞ってガンドの腕を上げるが、身体がしびれてしまい照準が定まらない。
「もらったァ!」
ガチャン
「は?」
タオの拳は、振り上げたところからピクリとも動かせない。力で振りほどくこともできない。何かによって、空間に固定されているようだった。トパーズは困惑した表情のままタオに歩み寄り、そこそこ良い音のビンタを一発叩き入れた。
「は?」
「迷惑!」
わけがわからずに、殴られた顔をもう一度トパーズに向けて上げたタオが次に見たのは、トパーズの右手だった。いましがた思い切り頬を振り抜いた手が、タオの顔の前で何かをつまみ、左へ倒す。
ガチャン
それぎりタオの意識は途切れている。
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