第七章 血の繋がらない家族

 五年の歳月が過ぎた。雛子と荒也と私の時間はゆるやかに流れていた。生活も毎日の暮らしに支障ない程度に安定していたし、先生の周りにいろんな人が集まってくるのも楽しかった。陶芸家の仲間だったり、美術商だったり。お得意様には著名人もいて、時には私達には会えるはずもない有名な政治家も姿を見せた。

 でも、早乙女のおじいちゃんや、潤さんとのゆったりとした日常がやはり心は華やいだ。片手間に荒也と潤さんが建てた陶芸レストランが流行るようになって先生の処へやってきたお客さんが軽食をして帰るのに重宝がられた。先生の作った陶器に盛られた新鮮な野菜は味も良かったし、青々と畝ごとにこんもり生い茂った野菜に囲まれたレストランはとても美しかった。五歳になった雛子は毎日荒也と卵を集め、野菜を篭に入れて朝の散歩から帰ってきた。

「おかあさん、これ、真っ赤よ」

「あら、初収穫ね。やっと赤くなった」

 雛子の両手に赤く熟したイチゴがきらきら光って乗っていた。

「畑をずっと回って雛子の掌いっぱい。明日はもっと採れるよ。いちごの篭も持っていこうな」

「うん、食べていい?」

「あらおうね」

「洗わないで食べたよ。荒也と畑で」

「まあ」

 雛子は屈託の無い顔で笑った。私が荒也って呼ぶからか、雛子は荒也の事をお父さんと呼ばなかった。お父さんと呼ばなくても荒也は雛子のお父さんだったけれど……

 そろそろ籍を入れたほうがいいのかどうかと迷うこともあった。入れなくてもいいかと思う時もあったし、このままでもなにも不自由はなかったけど、荒也の気持ちを思えばすっきりとこれでいいと言ってしまえないことでもあった。

 この頃荒也の食器がよく売れていた。少しアンティークがかった奇をてらわない昔からの中国的な形。そう言うのが荒也らしかった。先生は自分の窯を持つように勧めてくれたけど、荒也は独立する気持ちは始めから無いようだった。このまま先生と同じ窯で焼きたいといつもそう言っていた。

 潤さんが先生の甥だと言うことを知ったのはこの山に暮らして随分経ってからだった。先生のたった一人の妹さんの忘れ形見なのだそうだ。窯を焚いたりログを建てたりするのは好きだけど、土を触るのは好きではないと言っていた。先生のそばで土を練るのもよく見ていたのに、荒也の仕事も何でも手伝ってくれたのに…自分は陶芸には向かないと言う。

 私達の家だって、このレストランだって、潤さんがいなかったら完成しなかった。大風が吹くとちゃんと飛んできて様子を聞いてくれた。雛子ともよく遊んでくれたし、私たちにはとても大切な人だった。

「ねえ、荒也。潤さんってどうして先生の手伝いしないの?」

「どうしてって、しないと変か?」

 そう言えば何もおじさんにひっついて仕事しなくちゃいけないことなんかないか。

「そうか、変でもないか」

 肩をすぼめた私の真似を雛子がした。

「潤にいちゃん、槙ねえちゃんとなかいいよね。よくおはなししてる」

 雛子が石ころで遊びながらそう言った。

「槙ちゃんね~え!本当」

 私が驚いて聞き返すと、荒也と二人でね~と笑って私を除け者にした。

 雛子が歩けるようになって慌ただしいのはわかってる中、気分的に身軽になった私は、勢いにまかせて夢見てた小さなレストランを作り始めた。

店は、ぼちぼちの忙しさで人の手を借りるほどでもなかったけど、丁度大学を卒業して暇にしてた村木先生の御孫さんがいるからと手伝いに来てくれた。槙ちゃんは絵を描くのが好きで、仕事場の奥にちょとしたアトリエを作って時間があるとそこで絵を描いている。朝の下ごしらえを終えて、みんなの食事の支度がすむとそこに引きこもってまた絵の続きを描いていた。

 身体のあまり丈夫でない奥さんが体調を崩したときも様子をみたり、食事を運んだりしてくれて、槙ちゃんはなんでもいやがらず苦にせず動いてくれた。別棟に住んでいる家族みたいでみんな優しかった。

 荒也も潤さんも良く似て無口だけど、優しいのは滲み出てよくわかった。その槙ちゃんと潤さんが仲良くしてるなんてなんか嬉しい。

「萌黄おせっかい焼くなよ」

と、釘をさされても、くやしいけどとても晴れ晴れした気持ちだった。

 嬉しいことがあると待っていたかのように悲しい事がある。

あんなに元気だった柚木先生が脳溢血で突然倒れた。幸い一命は取り留めたが体力を使う制作はもう無理だと村木先生から診断されて、関係者や先生のファンはガックリと肩を落とした。先生の弟子とはいえ日も浅く作風の違う荒也の力ではとても初音窯の後継者にはなれず、先生の窯の一字をもらって新しく陶房を開いた。仕事場はそのまま先生のものを使わせてもらった。

 子供の無い柚木先生がそう願ったから。先生のこれからを案ずる村木先生の話を荒也は黙って聞いていた。荒也にとって迷いはなく今までどうり私達は此処で暮らすことに決めていた。

 荒也にとってまた血の繋がらない家族が増えた。荒也は聞いていたらしい。養子縁組をしたいと先生は倒れる前から望んでいたことを。でも、私達が長男、長女のことでもめてまだ籍を入れてないことになっているから、それも叶うまいと思っていたらしい。

 勿論、私達の事もあるけど、潤さんに気を使っているような気もした。柚木先生のたった一人の甥っ子の潤さんが自分より此処を継ぐのにふさわしいと思っているのだろう。先生とは血が繋がっているのだから。養子縁組と聞いて、私も、雛子も、荒也もすっかりみんな捨てて柚木性を名乗るなんて不自然なような、みんな超越してなにもかもすっきりしてしまうような不思議な感覚を覚えた。

 此処の生活のようにみんな寄せ集め。血の繋がりは無いけれど、何かで繋がっている。形にしないと駄目なことも多いけれど形の無いものが私達を繋いでいた。 

 荒也としては、先生が窯場に立てなくても窯の看板を下ろす気はないようだった。正面入り口にそのまま初音窯の看板を掛けたまま東の入り口に自分の祭音窯の看板をささやかに掛けて、先生の回復を待つように仕事に没頭していた。新しい陶房の主は元々あった作業場を頑なに守り、道具の位置一つさえも決して変えようとはしなかった。

 私は雛子を連れて病院へ通った。先生の好きな里芋の煮っころがしを奥さんと一緒に作った。このところ体調を崩していた奥さんも自分より大病してしまった先生を心配して、無理に起き上がって手料理を作るうち気候の良い次期でもあって少しずつ回復に向かう兆しも感じられた。

 様子の良い日は三人で車で出かける。小さいときからおばあちゃんと慕っている雛子は元気そうな奥さんの顔を見ると嬉しくはしゃいでいた。荒也が一緒だといよいよ嬉しくて雛子はじっとしていられなかった。

「おばあちゃん。おじいちゃん今日うれしいね」

 と雛子が走り回るのを見ながら奥さんも顔をほころばせて、

「みんな一緒だからね。おじいちゃんすごく喜ぶよ」

 と雛子の手を取った。元気でいるとわからないことが沢山ある。心細いと言うことがどんなことか、淋しいと言うことがどんなことか私は君彦とのことを思い出していた。あの頃胸が張り裂けるほど淋しいと思った。でもあの時私は一人になっても生きていけた。現に君彦と別れたあとも私を支えてくれるものは沢山あった。でも、今身体を壊し、こうして入院する伴侶の元へ向かう奥さんの淋しさはあの時の私と較べられるだろうか。この先、頼るものも無い二人を雛子の笑顔が支えている。それはもっと奥深い支えのような気がした。

 車から下りて病院へ向かう。雛子が奥さんの手を引いて先立ちになって歩いていく。

「荒也あなたの親は元気にしてるの」

 私はたまらなくなって荒也に声をかけた。

「親父は俺が二十の時癌で死んだ。おふくろは元気だと思うよ。その後再婚して今は俺とは名字が違う」

 荒也がたばこの吸いがらを入り口の灰皿に入れた。

「たばこ止めるかな。雛子が嫌がるから」

 私は珍しく涙がこぼれた。荒也の腕をとって掌を両手で握った。

「悲しいことばかり続かないさ。俺はあそこで元気に帰ってくる先生を待ってるよ」

「うんそうね。みんな幸せにならないとね」

 私は充分幸せだ。荒也がいる。雛子がいる。なにより自分のことが自分でできる。

 軌道に乗り始めた荒也の作陶。先生の作品をこれまで扱ってきた間宮陶房から個展の話があった。先生の入院中に勝手なことはしたくないと最後までしぶっていた荒也も、かなり良くなった先生に、折角のチャンスを無駄にするなと叱られて、先生からの通達で押し切られて個展を引受けた。

 荒也は此処まで足を運んでくれるお客さんを大事にしていた。気に入られた店のオーナーから店のオープンに合わせて食器一式を頼まれたりするとかなりの量をこなさなくてはならない。荒也は使ってもらう食器作りを最優先にしたいから個展となると気後れするらしかった。

「そこは萌黄ちゃんに頼んでそういうディスプレイにしてもらえばいいんだ。もうベテランなんだからなんとでもなる。いつまでもそんなんじゃ作家になれん」

 と良く回らない舌でまくしたてる。

「やってみるか、時期がな。こんなことなら先生が元気なうちにやらせてもらえば良かったよ」

「まあ荒也らしくもない。決めた後まで愚痴ってる」

 陶器に掛けては柚木先生一人を師とあおいでいる荒也は、先生がどんなになっても怖いらしく、本当に見ていると可笑しいくらい従順だった。

「荒也、おじいちゃんこわいんだね」

 と雛子が見つめる。そんな雛子にもきっと頭が上がらない。私はまた笑った。

「おじいちゃん先生だから。荒也の大事な人だからね。雛子、おばあちゃんにご飯持って行こう。向こうで一緒に食べようか?」

 私達は三人で鍋を抱えて母屋に向かった。

「なあ、雛子の弟か、妹は生まれないのかなあ」

「え?」

 あ、弟……

「大変よ。今だって雛子に振り回されてるのに」

 と言うと、

「雛子も五歳だから一緒に可愛がってくれるよ。欲しいよな~弟か、妹」

「欲しいよな~」

 雛子がオウム返しに言う。二人で山に行ったり、畑に行ったりしているとき私のいないところで何を話しているんだか……

 そうか、弟か妹、私達はやっぱり普通の夫婦なのかも知れない。

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