熱の岩戸。

 巨大な岩に見える、やはり硝子の山の影。掘り抜いて造られているという家々が立ち並び、一つの大きな町が造られている。


 ゆっくりと立ち昇る煙は炊事のためだけではないのだろう。町全体が火石を焚く臭いに包まれていた。


「さあて着きましたね」


 テオドーラが楽しそうに言った。


 ここがゴテア砂漠を超える旅の終着点だ。


「もう着いちまったのか」

「良いじゃないか。みんなに少し休みをあげるから、町で買い物でもして来たら?」

「買い物なんて、そんな金どこにもねぇよ」


 ケサルの眉間に寄せられた強張りがゆっくりと、物事の大半を諦めるように解けていく。視線はゆっくりと地面に落ち、足先でほじくり返された砂の山を見つめていた。


「そんな甲斐性なしじゃないですよ、私は」


 そう言って小袋を小さな手に握らせた。片道の給金と呼ぶには少ないが、町中で遊ぶ程度には事足りるだろう。


「いいのか?」

「働いた分の正当な報酬だよ。ただし、なにか悪さを仕出かしたらわかっているよね」


 とやかく言う必要はないだろう。ケサルは十分に理解した表情で頷いた。


「イマチェッ! アラナカーサーマッスト!!」


 駈け出す足取りは砂漠を超えて来た後とは思えないほどに元気だ。


 今晩の宿で荷解きなんかの仕事も残ってはいるが、元々荷役人だけで十分熟せる仕事量なのだ。走り出していった少年たちの後ろ姿を微笑ましく見つつ、テオドーラの掛け声で荷車の列が動き出す。


「僕はこの後仲介役の人に会いに行くんだけど、ソルトかポフに護衛をお願いできますかね?」

「わかりました。私が同行します」


 ポフは相変わらず体調不良が続いている。食事の量も減ってしまっているので心配は尽きないが、本人は大丈夫だからの一点張りだ。


 カージタと共に船の警護に残らせればよかったと思いつつ、置いて行ったら置いて行ったで絶対に怒っただろうし、日の光を遮り続けるのも難しい。せめて、この町のなかでしばしの休息が取れると良いのだけど。


「ニル、私はテオドーラと少し外すから。後をよろしくね」

「あいさ~」


 気の抜けた返事が返って来る。ポフが乗っている荷車の荷台に腰かけたニルがひらひらと手を振った。


 大円盾を背中に背負い、鉄剣を腰に吊る。手にした小枝は乾いた砂漠で心なしか元気がないが、内包するホルドを流し込んでやり過ごしていた。


 準備が整いテオドーラへ視線を向けると、察したように頷きすぐに歩き出した。


 後を追うように砂の道を進む。





*****





 町中はそれなりの人でにぎわっている。ただ、活気があるというよりは境界線の曖昧な町の外は本当に砂漠しかないので、人々の生活の範囲が極端に狭いと言うべきなのかもしれない。


 なにより、黙々と何かしかの仕事を熟している人の大半がヴァルターと同じ有尾人であった。


 大柄で目立つ尻尾を持つ彼らは見た目に威圧感があるというだけで深刻な迫害を受けており、あまり大勢が寄り集まって生活しているという印象がなかっただけに新鮮な光景に写った。


「ヴァルターに会ったら、ここのことを聞いてみよう」


 北部出身のヴァルターはたぶん砂の国に行ったことはないだろう。きっと知ったら驚くに違いない。


「ほらあそこ、ものすごい煙が上がってるところですよ」


 きょろきょろと視線を彷徨わせていた私へテオドーラが言う。


 指さす方には一際大きな硝子の塀と、その先に見える大きな硝子の岩が鎮座しており、硝子の岩からは大量の煙が煙突伝いに立ち昇っていた。


 そんな大きな硝子の塀に沿って少し歩くと、私兵らしき立哨が脇を固める門扉が現れる。


「国跨ぎの商人テオドーラ・ラッカーセルマンと申します。お取次ぎ願えますか」

「エムセイチャッカハ。アラドゥウル、セイームハランセ」

「ダア。イミジーストーク、テオドーラアサナントス」


 耳飾りを指先で弾き、一礼したテオドーラに続いて頭を下げた。


 すぐに門が開いて中に通されると使用人らしき人が道案内を始める。


「ほら、あの大岩。あれ全体が中をくり抜いて工房になっているそうですよ。中を見学したいところですが、生憎硝子造りは彼らの生命線ですからね。中を見ることは叶わないそうです」


 硝子の大岩を取り巻く様に小さな建物が立ち並び、その脇を歩いて行く使用人。近づくことも憚られるのだろう。私たちはそのまま塀沿いに立てられた建物に入る。


 室内は比較的広く、硝子の床の上に厚手の敷布が敷かれ、盆がいくつか並んでいた。


「椅子は無いのでこの布の上に座ります。ソルト君は申し訳ないですが傍で立っていてください」


 テオドーラの指示に従い壁沿いに寄る。壁には灰色の塗料かなにかが塗られているが、ひんやりとしていて外の熱が中まで届いていないようだった。


「いやーお待たせしました」


 それほど待たずに仲介人だという人物が現れ、テオドーラと握手を交わした。二人が座るや否や床に置かれた盆へ彩りの鮮やかな菓子らしきものが盛り付けられていく。


 押し付けるような勢いで渡された硝子の杯をテオドーラが指で叩き、仲介人も同じように杯を指で叩いて音を出した。乾杯かなにかと同じようなことだろうか、何を話すでもなくごくごくと飲み物を飲み干し、ひとかけふたかけ菓子を食べる。


「おや、護衛の方が前回と違いますね。カージタ様でしたっけ?」

「よく覚えていらっしゃいますね。カージタにはカハーレで船番をしてもらっています」

「そうでしたか。失礼ですが、お名前をお伺いしても?」

「――ソルト・アルヴィゴースと申します」


 見向きもしなかったテオドーラが視線を向けて来たので、わずかに迷いつつ名乗る。すぐに視線を戻してしまったのでテオドーラの表情は伺い知れなかったが、軽快に耳飾りを弾く姿を見るに正解だったようだ。


「ソルト・アルヴィゴース様……。あの、森林聖共和国の?」

「今は”森と人の国”です」

「これは”重ね重ね”失礼を。いやー、こんなところで”英雄”と出会えるとは。驚きました」

「英雄とは大げさですね。かの地を平定したのはエウフェーミア総統ですよ」


 そう言うとまだ話し足りないと言いたげな仲介人はしばし考え込み、話題を戻すことにしたようだ。テオドーラもそこに言及することなく今回の旅の目的である商売の話がどんどんとまとまっていく。


 海千山千の商人同士の会話というのは軽妙でありながら絶対に言葉に齟齬が無いように明快だ。


 お互いが譲れない部分を隠しながら、できる限り得をするように会話を誘導し合っている。そんなふうに聞こえた。


「さて、今回も良い商談をいただけて我々としても嬉しい限りです」

「こちらこそ。ここの硝子製品は大陸一ですから。どこに運んでもいい品なんてそうそうありませんよ」


 あははははと一しきり笑い、ほどほどの挨拶をもって解散となった。


 建物を出ると日が傾き始めている。


 白濁色の硝子の建物は全てが夕日の色に染まり、目が焼けてしまうのではないかと思うほど眩しかった。


「そうだ。ソルト様、お仕事中ということは存じ上げておりますが、ご案内したいところがございまして。テオドーラ様には我々の護衛をお付けしますので、少しばかりよろしいでしょうか?」

「構いませんよ。ソルト君もいいですよね?」

「え、ええ。テオドーラが良ければ私に異論はありませんよ」


 よかった。そう言う仲介人が呼びつけた人に二言三言伝える。すぐに大柄な有尾人が四人現れ、テオドーラを囲った。


 背の高いテオドーラより頭一つは大きい彼らに囲まれ、表情の硬いテオドーラは「宿の場所は伝えてあるので、帰りは案内を付けてもらってください」と言い残し去っていく。


「狭い町ですから。町中でどうこうということはほぼ起こりませんがね」

「いえ、お気遣い感謝します」

「それではこちらです。しばしばお付き合いください」


 仲介人が向かう先はあの硝子の大岩だった。


「良いんですか?」

「もちろんです。詳しくはこの後お聞きしていただけると思いますので」


 それだけ言うと粛々と砂の道を仲介人は歩いて行く。


 そうか、森と人の国の一件を知っているのであれば、私が語り手であると承知なのかもしれない。製造方法を見て真似るのはふるい手の特権だし、そもそも何かを造ろうと想像するだけで体全体を怖気が走る。


 テオドーラには悪いと思いつつ、もしかしたら硝子造りを見学できるかもとわくわくしながら私はその後に続いた。


 大岩に設けられた入口をくぐる。


 直線状に続く洞窟のような構造の通路を進んでいくと、もわりとまとわりつくような粘ついた熱気が肌を焙るように漂ってきた。


「お連れしました。ソルト・アルヴィゴース様です」

「よく来てくれた、だが少しだけ待っていてくれないかね?」


 仲介人が声をかけた初老の男性は鉄の棒にどろどの液体を巻き付けている。


 熱源はそれだけではないが、少なくともそのどろどろの液体もかなりの熱を帯びているようで、初老の男性は額に大量の汗を浮かべていた。


 仲介人は「これから硝子の器を造りますよ。良ければご覧になっていてください」と言うと足早に立ち去って行ってしまう。

 

 それから男は一言も発することなく作業に没頭していた。







【”Sleeping Talk”】

 生きていくための術は文字通り生命線であり、その情報は他人の命よりも随分と重い。

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