第2話 ラスペード侯爵邸へ
「ふぁ~あ」
ゴトゴトと揺れる馬車の中で、シエルは大きな欠伸を零した。
叩き起こされたせいで残ってしまった眠気に、一定のリズムで刻まれる馬車の揺れが心地よい。目的地に着くまで、もう一眠りしてしまおうか。そう思った時だった。
「お前な……仮にも王太子の前だぞ。慎もうとか思わないのか」
向かい側に据わっていた黒髪の青年――リュクレース王国王太子アヴェルスが、蒼の瞳を細め、呆れ顔で嘆息する。シエルは目を白黒させた。
「殿下ってそういうこと気にするお人でしたっけ? それに今更じゃありません? あと一応、口元は隠してますよ?」
そう答えれば、今度は盛大な溜息が返ってくる。
「どうせまた遅くまで本でも読んでたんだろ」
「だって仕方ないじゃないですか。おじいちゃんの記録資料、どれだけあると思ってるんですか。六十四年の人生の集大成ですよ。そう簡単には読み終わらな――」
と言ったところで馬車が大きく揺れ、シエルは慌てて口を噤んだ。石畳の段差にでも引っかかったのだろうか。舌を噛むところだった。
それからしばらくして、揺れは大人しくなる。
「ところで、今日の『仕事』はどういう内容なんです?」
「あぁ……まだ話してなかったな。これからお前には、俺の知り合いに会ってもらう」
「知り合い」
「毎年この時期になると体調を崩していてな。しかしその原因が分からない。そこで王宮医務官を派遣することになったんだが、その医務官からお前を同席させたいという要請があったんだ」
「私? 」
医学は門外漢なのだが、と首を傾げると、アヴェルスがすぐに答えをくれる。
「季節性のものなら、『お前』の見解が役に立つかもという算段らしい」
なるほど、とシエルは合点がいく。確かに『季節』が関わるなら、それはシエルの領分だ。
――とはいっても、医療に関してはやはり世間一般程度の知識しか持ち合わせていないので、どこまで役に立つかは不明だが。
「それにしても、殿下にも気に掛けるような方がいたんですね。ご友人ですか?」
「お前……はっ倒すぞ」
アヴェルスが声を低める。
――と、馬車が止まった。
「ここです……か?」
御者がドアを開ける。アヴェルスに続いて馬車を降り、シエルは固まった。
目の前に、あまりにも立派な
王都には珍しい前庭付きの屋敷に、通りの角まで続いている長い塀。思わず内心で「ここ王都だよね? タウンハウスだよね?」思ってしまう規模だ。しかしあちこちに施された、地味ではないけれど華美でもない意匠に、持ち主のセンスの良さが伺い見える。
平民上がりのシエルでも分かる。
いや、この約二年間、何かと貴族社会に揉まれてきたからこそ分かる。
住んでいるのは、ただの御仁ではない。
「何をぼーっとしてる。行くぞ」
「あの、殿下、ここって……」
開かれる門に、冷や汗を垂らすシエルに向かって、アヴェルスは平然と告げる。
「ラスペード侯爵家だ。診て欲しいのは俺の叔母上――現国王の妹。ラスペード侯爵夫人だ」
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