第31話-靴職人の作業場捜査
一方祈吏は裏口へ向かってみると、ヨゼの言っていた通り裏口の扉は施錠されていなかった。
ドアノブに手をかけ、開きかけたところでハッとあることに気が付く。
(これ、不法侵入にあたるのでは……?)
夢の中と言えど犯罪を犯すのは気が引ける。だが確かめなければ現実で福田さんは安眠を手に入れられないかもしれない。
祈吏の良心という天秤にかけられた時、優先したのは『現実』だった。
(フーゴさん、勝手にごめんなさい……! お邪魔します!)
意を決し屋内に滑り込むと、祈吏は言葉を失った。
(うわわ、なに、この酒瓶の量!?)
扉の向こうには夥しい数の空瓶が並んでいた。横に置いてある木造の荷台にまで、びっしり入っている。
(週2で回収があるって言ってたけど、これはどう見ても飲み過ぎだ……身体大丈夫かな)
(それより、これを倒さずに歩くのはかなり大変だぞ……!)
祈吏はつま先立ちでなんとか酒瓶地帯に足を踏み入れる。
すると、店の奥からヨゼとフーゴの喋り声が聞こえてきた。
「フーゴさん、おはようございます。朝早くにすみません」
「いいや、確かに驚いたが……何の用だ」
(ヨゼさん、少しでも長く引き付けてください……!)
酒瓶を通り抜けながら、祈吏はここに来る道中ヨゼと交わした話を思い返した。
「祈吏くん。今僕たちは『フーゴさんの供述を全て信じる』方に動いているが、本来なら彼は疑われるべき要素が揃っていると昨夜も話したね」
「フーゴさん自身が、奥さまの失踪に関与した可能性がある……ってことですよね」
「いかにも。フーゴさんが奥方は失踪したと言っているだけで、本当は彼が首謀し殺害した線だってある」
「それは……自分はないと思います」
「では、今は彼がシロの方で考えてみようか。彼は奥方が亡くなった報せを今も持っていると思うかい?」
「はい。……なんとなくですけど、フーゴさんは奥さまをとても大事にされているように見えたので」
「だって、お店の至るところに奥さまの影が残っていましたから。奥さまとの思い出のひとつひとつを、大切にされているんだと思います」
「それが、悲しいものだったとしても……」
「……祈吏くんは筋がいいね」
「ならば、君ならきっと分かるよ。その手紙の
(……ヨゼさんにはそう言われたけど、自信はこれぽっちもないんだよなあ)
酒瓶の林を乗り越え、なんとかフーゴの作業場に辿り着く。
昨晩店側から見たカウンターの向こう側。カウンターから少し顔を覗かせれば、ヨゼを応対するフーゴの背中が見えた。
(は、はやく手紙を見つけないと……!)
祈吏の心臓が大きく震え、おかれた状況を順番に把握する。
内側から見たフーゴの作業場は埃ひとつなかった。
店内は埃だらけなのに、と違和感を覚えつつも、祈吏は作業場をこっそり見渡す。
作業台には靴型や紐、革などの素材が広げられ、台を囲む道具たちは綺麗に整頓されて適切な配置で収まっている。
(今まで作業してたのかな。 ……あれ、この作り途中の靴、どう見ても小さい……子供用かな?)
作業台の上で見つけたのは手のひらほどの小さな靴。他の革製品とは違い、子供用なのか柔らかで丈夫そうな布で作られている。
その傍らには、1通の手紙が置かれていた。
(これって、もしかして……!)
差出人は『修道院』で、達筆な字で『フーゴ・シューマッハ様宛』と書かれている。
今朝着たばかりなのか、それは開かずのまま作業台に放置されていた。
(修道院。この手紙、すごく気になるけど……未開封だから、奥さまの件とはまた別件かもしれない)
(……一旦は開封済みの手紙を探してみよう)
表から見えないように、しゃがみカウンター裏で物色を続ける。
すると昨日も目にした、ラミシャらしき肖像画の横にあるものを発見した。
(メッセージカードが張り付けてある。『愛しのフーゴへ。私の心はいつまでもあなたとひとつ。ラミシャ』……か)
その周囲には妻が作ったものなのか、ドライフラワーのスワッグや手編みのコースター、革製の丸いストラップ等が飾られている。
真っ白なコースターが使われることなく大切に飾られている光景に、祈吏はもの哀しさが込み上げた。
(本当におふたりは愛し合っていたんだ。なのにどうして奥さまはいなくなっちゃったんだろう……)
夫妻双方の心中を察し、切ない気持ちに呑み込まれそうになったその時、店先から大きな声が聞こえてきた。
「旦那の言い分は分かったよ。 今は忙しいんだ。また昼過ぎに来てくれないか」
フーゴがヨゼとの会話を切り上げようとしている。
(早く見つけないと、本当にそろそろやばい……!)
祈吏は緊迫の空気に正気を取り戻し、改めて作業場を見渡した。
作業台の引き出し、作業台下の大きな引き出し、作業台上の本棚、店のカウンターの下、探せそうなところは山ほどある。
ヨゼとフーゴが話し終わるまであと40秒程。
そしてフーゴの今までの人柄と性格を鑑みて――自然と手が伸びたのはその場所だった。
妻――ラミシャらしき女性の肖像画の、額縁の裏。
そこには1通の封筒があった。
(ビンゴ! けど、他人さま宛の手紙を見るのはやっぱり気が引ける……!)
再度良心の天秤に福田の安眠を乗せ、決意してから開封済みの封筒を開いた。
(……! これは……)
中には1枚の便箋。祈吏は震える手で開き、内容を確かめる。
「――……お喋りもいい加減にしてくれ、俺はやることがあるんだ」
(ああ、もうこれ以上は厳しい! ……でも、なんとか中身は確認できた)
フーゴが切り上げようとしている声が聞こえて来て、祈吏は急いで封筒を元の場所へ戻し、裏口へ向かう。
そんな祈吏の足を、酒瓶地帯は易々と帰さなかった。
――ガラガラガシャン!
「っ! あいたた……」
「酒屋か!? ほら旦那、あんたはいい加減帰ってくれ」
「あ、待ってください! お話はまだ……」
ヨゼを追い払い扉を閉めたフーゴは、酒瓶に足を取られ尻もちをついた祈吏がいる裏口へ向かう。
祈吏はその気配を察知して、なんとか早くこの場から脱出せねばとスカートの裾をたくし上げた。
「……あれ、この木箱」
ふと目にした片隅には木箱があった。その中身に一瞬思考が止まったが、フーゴの足音が近づいてくる。
湧き上がる疑問を振り払い、裏口のドアを開けて外へ飛び出た。
「おぉい、回収ご苦労さん。次に頼みたい酒だが……え?」
誰もいない裏口を見たフーゴは、ひとり首を傾げて頭を掻いた。
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