09

〈ユクシアの森〉の地下一階を駆けながら、ソリアは歯をみ締めていた。


 ――強くなりたい……


 その思いを胸の中に閉じ込めながら、荒い呼吸を繰り返して走る。


 ――自分の弱さが嫌だ。危害を加えてくる奴等を一掃いっそうできるくらいの力が、欲しい。


 段々と体力がちて、ソリアの走る速度は落ちていく。

 そうしていると、兄のジレのこと、そしてリーズロッテのことが頭をかすめた。

 自身の自己中心的な言動を思い出すだけで、嫌な気持ちになった。


 でも、他者とそういう接し方をすることしかできない。軟弱な自分の心を何重にもベールで包んで、『強さ』を演じなくてはならない。


 ソリアは過去の経験から、そう信じ切っていた。


 足が動かなくなってきて、ソリアはゆっくりと歩き始める。リーズロッテとジレと一緒に探索していたときは何も怖くなかったのに、一人でいると〈ユクシアの森〉の不思議な空気が肌を撫でるようで、どこか薄気味悪かった。


「ああ、もう、嫌になるな……」


 ひとりごちながら、一つの樹の幹にもたれかかる。

 その瞬間、だった。

 幹にぽっかりと大きな穴が空き、重心を預けていたソリアはそこに入ってしまう。


 ――それは、突発的に迷宮に発生する「罠」だった。


「え、」


 声を漏らすことしかできずに、ソリアは空洞の中を落ちてゆく。


「うわああっ……!」


 恐怖で目を閉じたソリアを、柔らかな衝撃が襲った。

 殆ど痛みはなかった。恐る恐る身体を動かそうとしたけれど、それができない。


 目を開くと、視界の先に――巨大な蜘蛛くものような魔獣が、いた。


「ひっ……」


 狂気的なまでの赤黒さをした八個の目。それと同じ数の足は、長く刃のように尖っている。大きな口からは鋭利な牙が見えており、よだれがぼたぼたと紫色の草原に落ちている。


 ソリアは遅れて、自分が魔獣の巣に囚われていることを知る。粘ついた糸からは、甘ったるい腐敗臭ふはいしゅうのような匂いがして、吐きそうだった。


 魔獣は口角をつり上げながら、ゆっくりとソリアに向かってくる。捕食される――そう気付いたソリアは、声にならない叫び声を上げた。


「ま、魔術……魔術を、」


 そう言ってソリアは、右手を掲げようとする。でも、糸に絡め取られて動かすことができそうもない。手が使えなければ、魔法陣の起動位置を調整できない――そう気付いて、泣き出してしまいそうになった。


 パニックにおちいったソリアは、じたばたと身体を動かす。そうすることでさらに糸に絡め取られ、より致命的な状況に陥ってゆく。

 魔獣との距離が少しずつ埋まってきて、ソリアは叫んだ。


「誰かっ……誰か、助けて!」



 ――瞬間、淡青色たんせいしょくの光の粒が舞った。



 リーズロッテとジレは、とん、と巣の近くに降り立つ。


「罠の発生は、少し予想外でした。タイミングが悪かったですね……」


 そう言いながら、リーズロッテは目の前にいる魔獣に視線を向けた。


「魔獣ハーウィ・ハーキーですか。地下六階から地下八階に存在する巨大蜘蛛」


 リーズロッテは、巣に向けて右手を伸ばす。


「〈強風の刃ミスキテーラ〉」


 深緑色の魔法陣が発生し、ソリアを傷付けないようにしながら、風の刃が舞う。巣はぼろぼろになり、ソリアは地面に尻餅しりもちをついた。


「ソリア!」


 ジレはソリアに駆け寄る。ソリアは呆然ぼうぜんと兄の顔を見て、それから魔獣と対峙するリーズロッテの後ろ姿を見た。


「……リーズ、ロッテ」

「あら、初めて名前で呼んでくださいましたね。嬉しいです」

「瞬間移動魔術は、上級魔術のはずだろ。何で使える」

「半分正解で、半分間違いですね。瞬間移動魔術には二種類存在して、移動場所や移動対象にあらかじめ印を付けておく場合は使用難易度が下がり、中級魔術になるんですよ」


 リーズロッテはすらすらと説明しながら、魔獣ハーウィ・ハーキーを見据える。

 魔獣の瞳が、緑色に染まる。

 色彩の変化は、魔法が使用されるときの合図だった。


「〈魔法の打消へクフィルート〉」


 雨のように降り落ちる毒性の粘液を、リーズロッテは魔術によって無効化する。紫色のしずくは、透明になって弾け散る。

 ソリアはその光景を見つめながら、再び口を開く。


「でも、僕に印なんて付いていないはずだ」

「いえ、付いていますよ。左手を見てみてください」


 ソリアは言われた通り、自身の左手を見る。手の甲には、飴のような形をした小さな模様があって、驚いたように目を見張った。


「〈ユクシアの森〉に入る前、貴方の手を握ったでしょう? そのとき、こっそり付けさせていただきました。事情を説明して付けさせてほしいと言っても、断られてしまう可能性があったので。すみませんね」


 ちろりと桃色の舌を覗かせながら、リーズロッテは言う。

 それから、再び魔法を使おうとしている魔獣を見つめ、口を開いた。


「そういえば、魔獣と効率的に戦う流れを説明していませんでしたね。折角ですし、今から説明させていただきましょうか……〈魔法の打消へクフィルート〉」


 リーズロッテの唱えた魔術によって、魔獣の使用した魔法は再び無効化される。


「魔獣は魔法と呼ばれる奇跡の力を使用しますが、それにおいて重要な役割を担っている器官が『目』です。現在確認されている全ての魔獣は特殊な目を持っており、それを利用することで魔法を使っている。〈手足の強い麻痺ラールヴァネン〉」


 リーズロッテは迫ってくる魔獣に向けて、先程ソリアが使ったものと同じ魔術を起動させる。魔獣の脚は動かなくなり、移動が止まった。


「ですが、魔獣自身もそのことを知っているため、初めから目を狙うのは得策ではありません。このように手、足、翼といった部位を麻痺まひさせることで、動きをにぶらせ目を壊しやすくします。〈強風の刃ミスキテーラ〉」


 八つの赤黒い瞳に、裂け目が入る。真っ赤な血が溢れ、魔獣の甲高い叫び声が響く。


「身体の自由を失い、魔法さえ使うことができなくなった魔獣は、最初の段階よりも格段に弱くなっており、魔術を当てやすくもなっています。そうしたら、とどめを刺しましょうか……〈深く暗い穴シーヴァレイカ〉」


 薄紫色の魔法陣が輝き、魔獣の身体に大きな穴が空く。ごぽおと音がして血が吹き出し、魔獣はぴくぴくと痙攣けいれんしてから、動かなくなった。


 リーズロッテは右手を下ろすと、戦いを見守っていたジレとソリアに微笑みかける。


「今説明した戦い方は、今後全ての魔獣に通用する訳ではありません。第四迷宮には全身に小さな目がびっしり付いた魔獣もいますし、第六迷宮以降の魔獣が使用する魔法に至っては、現段階の魔術では無効化することができません。

 ですが、〈ユクシアの森〉の地下十階辺りまでは、この戦術でほとんど上手くいくと思いますよ」


 リーズロッテは屈んで、ソリアに視線を合わせた。


「……本当に、無事でいてくれてよかったです」


 彼女の言葉は、確かな優しさと深いいつくしみを帯びていて。

 それに気付いたソリアは、少しずつ表情を歪めて、金色の瞳いっぱいに涙を溜める。


「う、うわああああああん……」

「よしよし、大丈夫、大丈夫ですよ」

「俺もついてるよ、ソリア。悲しまないで」


 リーズロッテとジレに頭を撫でられながら、ソリアはしばらくの間嗚咽おえつを漏らしていた。

 ぐちゃぐちゃになった顔で、ジレを見る。


「……さっきはごめん、兄さん」

「全然気にしないで! 何も怒ってないからさ」


 ソリアは頷いてから、リーズロッテと目を合わせる。


「リーズロッテ、」


 そうして、泣きながら微笑んだ。


「……ありがとう」


 その言葉に、リーズロッテは少しの間目を見開いてから、はにかんだ。


「どういたしまして、ソリアさん」

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