擬人化するんか
『擬人化系』とジャンル分けしても良いくらい、何かを『もし人間だったら』という趣向の作品は絶えない。僕も幾つか書いている。
近年は生物でも無生物でも何でもありの様相で、戦艦だったり、刀だったり、馬だったりと、ビジュアル的に完全に人間化している(飽くまでも小説ではなくビジュアル作品である事が前提だが)。
よくよく考えれば、人間は昔から擬人化をして来た。
民話や童話では人間以外の存在が跋扈するのが当り前。妖怪の類も一種の擬人化で、社会風刺に於いては時の為政者の目を掻い潜る隠れ蓑として用いて来た側面もあるだろう。
小説では『実は○○だった系』と言えるような手法と相性が良いようだ。縷々語って来た主人公が実は人間ではなかった、と最後の最後で明かされるパターン。
或る意味で書き易く、同時に難しい。何でも擬人化すれば良いので書き易いが、早々と読み手に仕掛けがバレたら面白味が半減する。
けれど、擬人化という言葉が意味する通り、人間に置き換えるからには感性、思考も人間のそれに準じたものになる。今を生きる人間の価値体系に符合する擬人化でないと、何が何だか解らない事になる。
よく動物の面白映像に勝手にアフレコする演出(一種の擬人化)があるが、あれは興醒めする。動物は人間の価値観で生きていないのが良いところなのに余計な事をして、などと思ってしまう。
しかしながら、人間は人間に近しければ近しい(と思える)存在にこそ共感を投影するのだろう。
海豚や鯨、類人猿等が酷い目に遭っている(と判断し得る)場合と、虫や草花が同様の目に遭っている場合とを比べた時、人間の感情の揺らぎには大きな違いがあるだろう。
実際に何処かの地域で行われている試みを知って「ほう」と思った事がある。
違法駐輪の防止策としてアスファルトに花を描いたら、実際に自転車が減ったと言う。しかも発案者は小学校低学年らしい。
理屈としては『人間は綺麗なものを汚すのに抵抗を感じる』と説明されていた。花が角度に依って立体的に見えるトリックアートである事も関係しているのかも知れない。
僕としては、心の何処かで花を擬人化しているようにも感じる。
美しく咲いている花を踏み躙る事に抵抗を感じる人は多いと思う。『誰かが丹精を込めて育てたものだから』という心理も働くだろうが、自然に勝手に咲いた花にも同様の感情は湧くだろう。
花に目鼻を付けて擬人化する手法は昔からアニメや絵本等でよく目にする(実際は、花の機能として性器に擬える方が妥当なようだが)。幼少の頃から擬人化を刷り込まれている可能性も捨て切れない。そう考えると、擬人化は共感可能性の実験なのかも知れない。
花よりも共感可能性が高そうな絵を描けばもっと効果的かも知れないが、町中で違和感のないデザインとしての花なのだろう。
現在、当該の成果はどうなっているのだろうか。新しいものも慣れてしまえば元の木阿弥なのが人間だからなぁ――。
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