切れそうな糸折れそうな心

 その日美羽は、久々に寝付くことができずに自室のベッドで転がっていた。

 初日は素直にお腹が空いて眠れず、翔太が死んだ次の日ですら、食事をしないとやってられなかったのだが。

 軟禁生活四日目にして、彼女の中で蓄積していったストレスが表に出つつあった。

 なんとか気分を盛り上げようと、できる限り毎日クローゼットから可愛い服を着て、規則正しい生活を送ろうと心掛けていたが、それでも発散できずに溜まり続けたストレスで、彼女の精神もギリギリのところまで迎えつつある。


(今だったら、望海が言っていた乙女ゲーム展開の気持ちがわかるような気がする……)


 まだこの館に閉じ込められる前、望海から熱心に語られたファムファタールの館の噂を思い返した。

 これだけ精神的に参っていたら、どこかに依存先をつくらないとやってられなかった女子のほうが多かっただろう。

 ただ美羽はそういう性分でもなかった。ましてや彼氏をここで亡くしたばかりな上、遺体が片付けられてしまってどうなったのかすらわからない。その中で「はい次」と行けるような無神経な性格にはなれなかった。

 なによりも、残っている中で主催陣と繋がっている人間がいるし、そうでなくてもろくでもない人間しかいないのに、精神的に参っているからと言って、依存したらまずい人間しかいないところで、できるかという話だった。


(ただ……あたし自身、もう限界な気がしている……翔太……)


 たしかに立石や石坂のようなまともな人間もいるのだ。ただ、もたれたくない。もたれかかりたくないと、必死で抵抗しているだけだ。

 美羽は遺髪の入った小瓶を握りしめ、夢で翔太が出て欲しいと祈りながら、なんとか己を宥めすかして眠りについた。

 夢は見ず、当然ながら夢の中だけでも翔太に会うことはできなかった。


****


 美羽も落ち込み過ぎたのであろう。

 普段であったら食事の時間には起きて、食事を摂っていたというのに、本当に珍しく寝込んで起き上がれなかった。

 なんとかだるいながら起き上がってスマホで時計を確認し、絶句した。

 既に十時を過ぎていた。


「わっ! わっ! ご飯、ご飯……!!」


 そうは言っても、食事を時間内に持ってこなかったら片付けられるとはコンシェルジュも言っていたし、もう残ってないような気がする。

 仕方がないから、ラウンジに出て行って、飲み物で誤魔化すしかないかと思いながら、慌てて新しいワンピースに着替えて、飛び出そうとドアノブに手をかけたとき。

 コンコンと扉が叩かれた。


「明空さんっ!? 無事か!?」


 立石の声である。美羽はチェーンを付けたまま開けた。


「はい。すみません、寝坊して……今から食事はもう間に合いませんよね」

「いや……無事ならそれでいい。今食事を摂ってきたから、それは食べていい」


 よくよく見たら、立石はトレイを持っていた。今日の朝ごはんは和食らしく、味噌汁に焼き魚、ほうれんそうの胡麻和えと、オーソドックスなものらしかった。

 ただ、それを見て違和感を覚えた。


(今まで、宿泊施設まで食事を運んでたの、あたし以外だったら石坂さんしかいなかったのに……)


 気を遣って中柴と紅に食事を運んでいたのは美羽と石坂だけだったし、紅も朝ごはんを完食はせずとも半分くらいは食べてくれていた。

 そんな中で、何故立石が運んでくるのか。

 ……だんだん、嫌な想像が頭に浮かんできた。


「ねえ、立石さん。石坂さんは?」


 一拍だけ、無言があったが、立石はいつもの無表情で淡々とした口調で言った。


「……石坂さんは死んだ」

「嘘。また榛に殺されたの?」

「あれは、たしかに快楽犯だが、気に障らない限りは手にかけない」

「でも……! あいつは、浜松さんも、中柴くんも……!」

「明空さん」


 立石は一瞬口調が固くなる。


「君は普通の子だ。人を疑わず、見たものだけをなんとか信じようとするいい子だ。だけど、ここではそれだけは危険だ」


 美羽は首を振った。


(石坂さん……あたしが一瞬でも主催側の人間だって疑ったから……死んじゃった……あたしが疑ったから……疑ったから……)


 とうとう美羽は膝を折って、泣き声を上げはじめた。

 もう何度も何度もそんなみじめな思いをして、みじめな顔をさらしている。泣けば済むとは思ってないが、泣かずにはいられなかった。

 それを黙って立石は見つめていた。


「……多分信じられないと思う。君からしてみれば、恋人以外の人間は信じる価値はないかもしれない。実際に、疑心暗鬼でひとりで部屋に立てこもっていれば、最低でも七日間の催し物期間だけは命は保証されているからな。だけど、君には酷なことを言う」


 立石はしゃがみ込んだ美羽と視線を合わせるように、トレイを床に置いて廊下に膝を立てた。


「俺を信じて欲しい。生きてここを出られるように、協力して欲しい」


 美羽は小さく首を振った。


(この人は……主催側の人かどうかはわからない。でも……この中で一番怪しいのは、紅さんか立石さんかの二択で……どっちなのかを選ばないといけない……でも……)


 美羽は立石の指令について考えた。


(脱出路を探すって指令内容、あたしのもらった指令内容と同じで、七日間かけて見つけ出さないといけないもので……この人の指令には嘘がないと思う……)


 紅の指令内容と石坂の指令内容は見た覚えがない。

 だとしたら。紅が真犯人なんだろうか。美羽は泣いて折れかけていた気持ちをどうにか堪えて、よろよろと立ち上がってスマホを取りに行った。

 監視カメラがどこかについているとコンシェルジュが言っていた。だとしたら、前に翔太に「女の子のスマホの中身を勝手に読む奴いるから」と注意されて貼っていた覗き見防止シートを貼っているスマホなら大丈夫だろうと、メモアプリを起動させて、そこに文面を打ち込んだ。


【主催側の人間がこの中にいます】


 それを立石に見せた。無表情の立石の瞳が、少しだけ驚いたように見開かれた。

 立石は黙って自身のスラックスに手を伸ばすとポケットに入れていたらしいスマホで文字を打ち込んで読ませてくれた。


【本当か?】

【はい、あたしの指令内容は主催側の人間の特定です。人が死んだことで、人数が三択になりました。】


 立石は眉を寄せた。

 消去法で言ってしまえば、もう紅以外にいないのだ。


【最終日までに見つけ出せればいいのか?】

【はい】

【なら最終日までは黙っていたほうがいい。残りの期日で、脱出路を探し出そう】


 消去法で言ってしまえば、まだ立石が一番信用するにはマシな人間であった。

 榛と紅。どちらも系統が違うだけで身の危険を覚えるのだから、そのどちらもがない立石を信じるしかない。


【わかりました】


 美羽は腹を括るしかなかった。


(もしあたしの達成条件を満たすことができなかった場合……主催側があたしたちを殺そうと動き出すはず……冗談じゃない。殺されるんだったら、刺し違えて翔太の元に行く)


 それが一番、翔太に顔向けできる行動な気がしたのだ。


****


 美羽と立石が宿泊施設で話をする少し前。

 食事を摂るべく食堂に降りてきた立石は、「まーずーいー」「まーずーいー」と間延びした榛の声を聞いた。

 思わず目を細めて、足早に食堂の中に入った。


「おい、榛。なにがあった」

「やっほー、ミナト。おっさんが死んだ」

「……は?」

「あの訳わかんねえおっさんなんだろなあと思って、おっさんの宿泊施設の前で待ち伏せして、奇襲をかけたら死んだ」

「はあ……!? なに考えてるんだあんたは!?」


 どう考えても、石坂を襲って殺したと言っているのだ。

 立石は取引した相手を間違えたんじゃないかと、頭を抱えた。ただ榛が本当に珍しくオロオロしているのだけは面白かったが、二メートル近い大男がうろたえても可愛くもなんともないのである。


「遺体は!?」

「あのこんしぇ……」

「コンシェルジュ」

「そう、あれが運んで行ったぁー。なんかおっさんの気配が変だったから、手元狂ったかもぉ」

「……昨日から言ってる、石坂さんがなんか変っていうのは、いったいなんなんだ」


 接客業歴がそこそこある紅曰く、石坂は本物のセレブらしいが。それはさておき榛の言っている「なんか変」という意味がわからない。

 それに榛は「ん-ん-ん-ん-……」と腕を組んだ。


「……なんか変としか、言えなくね?」

「その言葉足りなさで、明空さんを怒らせたんだろうが」

「アハハハハ、あの子面白いよねぇ。煽りまくったらもっとオレに嫌悪をぶつけてくれたかも」

「やめろ。さすがに彼女は殺すな」

「殺さない殺さない。ところで、人数そろそろあれだし、クレクレ殺していい?」


 紅については、いい人間か悪い人間かはわからなかったが、もう期限も折り返し地点なのだ。ここで榛が「飽きた」と言って、指令達成期限内に自分の達成条件を満たせないのを織り込み済みで全員殺して回られると困る。

 そう考えて立石は首を振った。


「やめろ。本当にやりたいんだったら、期限ギリギリにしろ。あんたはさすがに殺すピッチが早過ぎる」

「ふーん。じゃあもしクレクレ殺せねえなあと思ったとき、あんた殺していい?」


 それに立石は目を細めた。

 当然の話であった。榛は【期限内に三人残るようにすること】と言っているのだから、榛本人と美羽は確定事項にしても、残りの面子は榛の采配次第なのだ。だから立石を殺しても榛本人は一向にかまわない。

 立石は溜息をついた。


「俺は期限内にやることがある。期限内に三人揃わないようだったら、殺してくれ」

「ふぅーん、それで」


 榛はニューッと立石を見下ろした。


「みゅみゅのこと好きになれそーう?」

「……彼女をあんまりいたぶってやるな。ずっと傷心中なんだから」

「まっ、みゅみゅは見る目ねえなとは思うけどな」


 榛は言いたいことを言うだけ言って、コンシェルジュが持ってきた朝食をおいしくいただいたら、そのまま立ち去ってしまった。

 立石はここに閉じ込められて何度目かの溜息をついた。

 彼女を立ち直らせないと、榛に面白い判定されなくなる。彼女だけでも生かさなければ。

 無表情でわかりにくい立石だが、これでもそこそこ神経がやられはじめてきている。彼女の安寧を祈ることだけが、彼を人間たらしめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る