同じことを繰り返しても

 その日の食事はフレンチで、鴨肉とレバーのパテ、かぶのポタージュ、白身魚のポワレと豪華なものだった。それをおいしくいただいた美羽は、まだ取りに来ていないトレイを取ろうとして気付いた。

 ……数が合わない。

 料理を運んでいるコンシェルジュに、美羽は尋ねた。


「あの……いつも中柴くんに食事を運んでるんですけど……彼の分がありませんが」

「はい。彼は退場されましたので、用意しておりません」

「……はい? 退場って」

「はい、中柴薰様は、死亡により退場と相成りました」

「…………っ!!」


 美羽は言葉を詰まらせる。

 隣で立石は静かに食事をし、石坂は気の毒そうに顔を歪めてから黙祷をしている。榛がポワレの付け合わせの野菜をぽいぽい避けているのに気付いた美羽は、そのまま彼の向かいにまで歩いて行った。


「……あなた!? 中柴くんを殺したのは!?」

「ええ? ナカシバ? うん」

「……なんで? 浜松さんといい、中柴くんといい、なんにもしてないでしょう?」

「えぇー? オッサンの原因は忘れたけどぉ、ナカシバ殺した理由は普通にセイトーボーエーだったけどぉ?」

「なんで正当防衛になるの!? あの子のほうがあなたよりも小柄だし年下だし、全然正当防衛にならないんですけど!?」

「えぇー? みゅみゅはマージでなぁんも変わんねえなぁ」


 そう言いながら榛はニヤニヤと笑った。いきなり笑い出したのに、美羽は虫唾が走った。榛はパテに刻まれた香味野菜を辛抱強く分けながら言う。


「人の腹ん中ってさぁ。内臓以外にもいろいろ入ってんじゃん。見た目だけでわかんの、そんなの」

「腹の中って……だから殺すの!?」

「オレだってさぁ、別に気に食わねえからすぐ殺すこたしねぇよ。ただ、死んだときのリアクションが面白そうか、死にかけるよりも死んでる奴見せたときのリアクションのほうが面白いかは考えるしぃ。一応ゲームのルールは守ってる。制限以上殺すこたしねぇ。オレが死んだら楽しめねぇし。だから、ゲーム上邪魔ぁと思ったら殺す。OK?」

「……ゲームって。この催し物を」

「あれ? オレら誰かにゲーム大会に招待されて、そこで指令を達成させて、できなかったら殺されるゲームさせられてんじゃなかったっけ? 違う?」


 違わない。合っている。榛も言動が自由気まま過ぎてなにも考えてないように見えて、殺しも含めて考えてから行動していることはよくわかった。

 しかし。感情が納得できない。


(……翔太。あたし、もう駄目かもしれない)


 榛が憎い。意味があるのかないのかの殺人を平気で実行し、それをしたあとも平然としてて悪びれない。殺人をゲームやスポーツ感覚で楽しんで、それに罪悪感をちっとも覚えていない。


(この人とずっといたら……気が狂う)


 勝つためだったらなにをしてもいい。ルール上問題なかったら問題ない。人の生き死にすら、ルール上では禁則事項ではなく、特に榛は人数を合わせることが指令達成条件であり、彼自身はなにも間違っていることはしちゃいない。

 だが殺人は普通に殺人なのだ。それが普通に息して一緒にいたら、自分までじわじわと殺人が日常の中に侵食してきそうで、怖い。

 殺したい。殺したい。殺したい殺したい殺したい。

 美羽は怒りで我を忘れそうなのを必死に歯を食いしばって、自分自身の唇を噛んで耐えていた。ちょうど榛が仕分けをしたパテは、見事なまでに香味野菜がほじくり返され、それが山となってしまった。そしてミンチとレバーだけをスプーンですくって食べている。本来パテを切り分けるために置いてあるナイフは、榛のトレイの中に乱雑に置きっぱなしだった。


(あれを取ったら……この距離なら……っ!!)


 フーフーと鼻息が立ち、怒りで血管が沸き立つ。産毛という産毛が逆立った感覚。美羽がナイフを凝視していたら、肩をポンッと叩かれ、美羽は思わず振り返った。そこには悲しげな顔をした石坂が立っていた。


「止めておきなさい、美羽さん。ここで殺すのは間違っている」

「い、石坂さん……」


 榛はフォークの手を止め、注意深く美羽と石坂を見ていた。

 美羽はそれを無視して、石坂のほうに振り返る。


「……ごめんなさい。止めてくれてありがとうございます」

「いえ。あまり彼女をからかわないであげてくださいね」

「はぁい」


 結局は食事を終えた美羽は、石坂に「紅茶でも飲みますか? ラウンジで淹れますよ?」と誘われ、彼に連れて行かれたのだった。


****


 美羽が危うく榛をナイフで刺しかけ、寸でのところで石坂が止めた。

 傍から見たら美羽が榛に勝てる訳もなく、彼女がナイフに手を伸ばした瞬間に、榛に手なり首なりを掴まれてデッドエンドだった。彼はただ長身なだけでなく、ナイフも隠し持っている。暴力だって振るう。そもそも武器がなにもなくたって、全身武器みたいな男だ。飛び道具を持っているならいざ知らず、普通の女子高生である美羽では対処なぞ不可能で、呆気なく殺されていた。


「おい……明空さんを殺すなと、あれほどと……!」


 ふたりが立ち去った中、立石は抗議の声を上げたが。榛は食堂の出入り口のほうをじぃーっと見ていた。もうレバーもミンチも消え去り、山になった香味野菜だけがプレートの上に取り残されている。


「あいつ誰だっけ?」

「明空さん? あんたまさか忘れたんじゃ」

「そうじゃなくってさぁ……あのみゅみゅと一緒にいた奴」

「……石坂さんと白湯を飲んだだろうが」


 まさか初日のことを忘れたのかと、立石は思わず半眼になったが。榛は「ちげぇし」と言った。


「なんか変だ、あいつ」

「変って……なにが」

「あいつ変」

「おい、だから具体的になにが」

「うるせぇな、殺すぞ?」


 そう言って、逆手に持ったナイフで、テーブルクロスごと突き刺したので、そのまま立石は黙り込んだ。

 榛の反応が、あからさまに変だった。


(そういえば……石坂さん)


 柔和な態度の男である。年は最年長だろう。経営者らしい。ここに来てからというものの、美羽や中柴などの年少組を気にかけ、なにかにつけて緩急材みたいな役割をしているが。彼はいつも人の話ばかりし、人に意見ばかりし、肝心の自分の話については一切口にしてない人だった。


(……ただ、彼については、俺のファイルを検索しても載ってなかった)


 軽犯罪から重犯罪まで。立石は新聞に載った小さな記事すらもタッチパネルに取り込み、初日の内にここに来た全員分の氏名の検索を終えていた。しかし氏名が合っている場合は彼の犯罪リストは有利に働くが、氏名が偽名だった場合は、なんの役にもたちはしない。


「というかさぁ、普通に言ってあげりゃいいじゃない。美羽ちゃんに。あのガキが貯水槽に下剤盛ろうとしてたなんて言ったら、普通に正当防衛だって証明できたでしょうが」


 立石がそう考えていたところで、静かに食事をしていた紅が口を開いた。彼の食べ方はなんにも残さないため皿の上は綺麗だが、食べ方自体は雑である。ナイフで切らずにフォークで突き刺した白身魚をもしゃもしゃしながら言う。


「それにあのおっさん。普通にセレブじゃないの?」

「ええ?」


 ホストの紅は、成金か由緒正しい金持ちかの違いはわかるだろうが。もしゃもしゃしながら続ける。魚は綺麗に皮ごと紅の口の中に吸い込まれていく。


「成金だったら、わかりやすいんだよな。ブランド物の時計を付ければ、すぐ金持ちだってわかるから。あと指輪やブランド物のロゴ入ったもの数点。でも本物の金持ちは、スーツはオートクチュールで仕立てるけれど、それ以外のところで金使わないんだよなあ……」

「……そうなんですか?」

「経営者って、意外と質素な生活送ってんのよ。でも育ちがいいから礼儀正しい。がっつかない」


 それはたしかに石坂のスマートが過ぎる言動を見ていてもわかった。

 納得はできるが。


(だとしたら、榛のこの言動はなんだ?)


 榛のことだから、気に食わないと思ったらすぐに殺しに行くだろうが。彼はただずっと食堂の外を凝視するだけだった。


****


 ラウンジで、ティーパックにティーカップをふたつ取ってきた石坂は、お湯をもらって紅茶を淹れはじめた。ふくよかな香りはペットボトルのものでは絶対に出ない香りであり、その香りを嗅ぎながら美羽は泣いていた。

 それはただの自己憐憫だ。さすがにそんなことくらい、美羽もわかっていた。それでも泣かずにはいられなかった。


(あたし……ばっかみたい……翔太が死んでからずっとこんな調子だ……指令だって全然進んでないのに……中柴くんが殺されたのだって、あたしがずっと見てなかったから……)


「美羽さんは紅茶に砂糖は入れますか? さすがに紅茶にクリームポーションはあまり合いませんのでお勧めできませんが」

「……じゃあ、砂糖ふたつお願いします」

「はい、どうぞ」


 石坂は砂糖をふたつ添えて差し出してくれたので、黙って美羽は砂糖を転がして溶かしながら飲みはじめた。

 紅茶にあまり詳しくない美羽だが、ティーパックでこんなに澄んだ味になるのかと目を瞬かせた。


「……ありがとうございます。おいしいです」

「いえ。あなたが泣いていましたからね」

「……なんか。人がどんどん死んでいくのに。誰も取り乱さなくって……余計にあたしは混乱しているようです」


 美羽は話をしていて、まともに会話が成立するのは、石坂と立石くらいなことはわかっていた。

 誰としゃべっても、なにかが噛み合わない。それが倫理観なのか、危機感なのか、館内の催し物に飲まれてしまったのか、彼女にもよくわからなかったが。


「……仕分けをしないといけないってことはわかってるんです。生き残るために。それを切り分けなきゃいけないのは……ごめんなさい、石坂さん。あたし、ずっとおんなじ話をしていますよね」

「いいえ。そこで混乱するのは、当然の話だと思いますよ」


 石坂はやんわりと言った。


「既に我々がここに閉じ込められて、四日経ちました。まだ四日ですが、もう四日なんです。今のところ、表立って大きな動きは見当たりませんが……主催側が面白くないと判断したら、なにか仕掛けてくるかもわかりません。皆はそれに備えているだけです……人間らしい感情を、切り捨てないあなたを煩わしく思っているのとは違うと思いますよ」

「……ありがとうございます」


 美羽はやっと止まった涙と一緒に、紅茶を飲み干した。


(でも……)


 紅茶に溶けきれなかった砂糖が、シロップのようにカップの底に沈みこんでいる。そのとろみを感じながら、美羽は少しだけ違和感を覚えていた。


(これだけ人数が絞られてしまったら、この中に主催側の刺客がいるはずなのに……立石さん、紅さん、石坂さんの三択だったら、一番それらしい人は、石坂さん……だよね……?)


 どれだけ人が死んで悲しんでも、泣いて怒鳴っても、心の奥ではずっと刺客探しに明け暮れている自分に、美羽は嫌気が差していた。

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