第四十五話 女将のラビリンス

「いや、待て。確かに、あれは……」


 思わず言葉が外に漏れていた。

 そんな私の様子をカエルの仔、達磨だるま百ノ介もものすけが心配そうに眺めている。


 自己紹介しておこう。

 私の名はエナム・バンテン。野牛の仔だ。ここアニマルアカデミーにおいてはさまざまな動物たちの食レポを集める仕事をしている。とはいえ、アニマルアカデミーに未曽有の危機が起きており、エデン計画で生まれた草木の仔、デケム=ミリア・ラクスが暴走してアカデミーを破壊した。さらに、それに乗じたのか、動物たちが派閥に分かれて争いを始める。

 そして、つい先ほど聞かされていたのは、ジェーデンの女将おかみさんが自らの派閥の動物を私に差し向けていたという衝撃的な言葉だった。


 派閥間に動物たちが分かれてるのは、まだ理解できる。だからといって、なぜ殺し合いなんてしなくてはならないのだ。

 根本的におかしい。理解がまるで追い付いていない。


「ほかの派閥の考えはわからんよ。けれど、わしら三津派のものたちは、シューニャの意志、その真意を知りたいと思ったものたちだ。これをあまり大声で話してると、粛清の対象になるがの。

 どうもな、女将さんの派閥はその真実に辿り着くものが邪魔なのだろう。だから、実力で排除しようとしている。そんなとこだろう」


 そんなこと言われてもなあ。

 確かに、三津さんからは何度か、シューニャの意志を探るように、それとなく示されてきた。とはいっても、私の知ることのできたことなんて、そう多くはない。わざわざ殺さなきゃならないなんてことはないと思うけど。


「そうかな。エナムくんよ、あるいはお前さんが最も、その真実に近づいているのかもなぁ」


 そう言って、百ノ介はゲコゲコと喉を鳴らした。


      ◇


 私と百ノ介はジェーデンの女将さんの食堂の前まで来る。

 ほんの少し前に出たばかりだというのに、その場所は変わり果てたものと化していた。


 崩壊していた食堂の姿はもうなく、ミリアの樹皮によってすべてが覆われていた。かつての食堂の面影が残っているのが奇跡だとさえ思える。そして、その樹皮は天上まで伸びており、巨大な塔、あるいは城のようだった。

 遠くで聞いた爆発音のようなものは、何かを破壊した音ではなく、この巨大建造物が一瞬にして出現した音だったのだろう。


 そして、その前には見知ったものたちがいた。

 私は思わず声をかける。


「シンクエ!」


 それは馬の仔、シンクエ・エクウスであった。

 私の感情が浮き上がる。ここへきて、頼れる存在に出会うことができた。しかし、それと同時に不穏なものも感じる。最近のシンクエの言動には穏やかでないものがあった。


「エナムか、随分とタイミングがいいな」


 シンクエが思案気につぶやく。

 改めてシンクエの様子を見ると、彼の周りには複数の動物たちの姿があった。

 羊の仔、ヴァインチャトライス・ヴァリサー・シュヴァルツナーゼンシャーフ、ワニの仔、メリム=アルアド・プロスス、ダチョウの仔、セラシーニ・マサイである。このものたちがシンクエの派閥に属するものたちなのだろうか。


「アカデミーをどうにかするには、まずはミリアをなんとかしなくてはいけない」


 シンクエがその重厚な低音でいななく。

 そんな手段があるのだろうか。だが、それがあるなら、私も乗らなくてはならない。


「だが、そのための入り口は樹皮で覆われているな。だが、それは問題ではない。うちには28号メリムがいる」


 そう言うと、再び嘶き、それを合図に、メリムが前に出る。そして、グワァっと鳴いた。

 ソナーであるかのように、ワニはその共鳴を聞き分ける。そして、一箇所の場所を指し示すと、自らの牙と口によってその樹皮をバキバキに破く。

 すると、見事に空洞が出現した。その先にあるのは見知った食堂の内装であったが、だが、さらにその奥へと進む階段がある。


「これを登れって言っているのか」


 シンクエが呟く。そう言うと、シンクエたちは食堂の奥へと進んでいく。


「どうする? ついてくるか?」


 シンクエの挑発的な声がした。私と百ノ介はやむなく彼らについていく。


      ◇


「シンクエ、君の目的は何なのだ。純粋にアカデミーを救おうとしていると思っていいのか」


 私たちは空洞の中を進んでいた。外から見る以上に中は広い。螺旋構造のような通路をひたすらに歩く。

 道すがら、私は疑問を口に出した。


「俺の目的か、フフフ」


 それに対して、シンクエは不敵な笑みを見せる。

 なんだ、それは。不気味だぞ。


「ふふ、シンクエさんはもちろんこのアカデミーを救おうとしていますのよ」


 代わりに言葉を返してきたのはダチョウのセラシーニだった。

 うーん、でもなあ、セラシーニの言葉は信じていいものだろうか。電脳で補っているとはいえ、ダチョウの記憶容量には不安がある。どれだけの記憶をもってシンクエを評しているのだろうか。


「なにそれぇ~。私だって、ちゃんと考えてますのよ~」


 セラシーニが抗議の声を上げるが、それを制止したのはシンクエだった。


「どうだかな」


 口数の少ない、しかも皮肉めいた言葉だったが、セラシーニはそれを聞いてうっとりとした表情をしたまま黙ってしまった。

 そんな時だ。急に空気が変わった。これは殺気だろうか。

 それに合わせて、それまで大人しかったヴァインが前に出た。長いものが旋回して迫ってくるが、それをヴァインは受け止めた。


「羊の毛は哺乳類屈指のぶ厚さだっ。そんな生半なまなかな攻撃は効かんのよ」


 ヴァインがどや顔しつつ、そう宣言する、

 その先にいるのは、キリンの仔、サバ・ヌビアだ。サバが蹴りを放っていたのだった。


「ええぇ。なんで効かないんだよ、今の。じゃあ、これは?」


 続いて、首が旋回し、鞭のようにしなる。だが、これもヴァインが受け止めていた。


「シンクエ、先に行ってくれ。こいつの相手は俺がするよ」


 ヴァインの言葉に、シンクエは頷く。私もこんな場所で足止めなんてされてる時間はない。今は急いでるんだ。


「待てよ、シンクエ一派は止めなきゃならないんだ」


 サバは悲鳴を上げるように言葉を漏らすが、そんなことは聞いていられない。

 そう考え、先へ進もうとすると、何かが現れた。まさに、電光石火。目にも止まらぬスピードだ。

 それに対し、百ノ介が前に出る。


「おぬしか。こんなところで会うとはな」


 カエルの動きもまた速い。ピョンピョンと飛び跳ね、そのものの動きを止めた。


「モモっちよぉ、見損なったぜェー。シンクエ一派なんかとくみするとはよ。あんたは三津派じゃなかったのかよ」


 それはウサギの仔だ。シエント=ウノ・コネーホである。確か、百ノ介とは仲がいいんだったかな。

 しかし、シエントの言葉に、百ノ介は動揺したようだった。


「いや、シンクエとはたまたま……」


 百ノ介の言葉は歯切れが悪い。精神に動揺があるのだろうか。

 その隙を見逃さず、ガブリっとシエントが噛みついた。


「ギャーっ!」


 百ノ介は悲鳴を上げつつも、ピョンピョンと跳び上がり、シエントから逃げる。それをシエントもまたピョンピョンと跳ねつつ、百ノ介を追いかけた。

 嵐は過ぎ去った。百ノ介とヴァインは置いて、私たちは先へと進んでいく。


      ◇


 ふと、違和感があった。

 歩みを進めているうちに無数の水槽のあるエリアに辿り着いたのだ。水棲生物が水槽から出てくるのだろうか。

 そう考えた瞬間、予想もしないことが起きた。


 ビュウゥンッ


 風を切る音が聞こえる。

 前を行くシンクエを押さえ、躍り出たのはダチョウのセラシーニだった。


 キィン


 金属がぶつかり合うような音が聞こえる。

 いや、金属ではない。それはくちばしと嘴とがぶつかる音であった。

 しかし、一体どこから。あまりのスピードに目で見ることができなかった。


 ビュゥッゥゥン


 また空気を切る音がする。

 それは水槽から水を切って現れていた。水槽の中を飛ぶように泳ぎ、そのまま飛び当たって、目にも止まらぬスピードでこちらに襲い掛かってくる。

 だが、セラシーニはそれに見事に反応していた。


 そして、敵の正体。それはペンギンの仔、ヂビャノースタ・フォルステリだ。

 ペンギンの自在に泳ぐ能力を駆使して、高速で飛び上がり、こちらに仕掛けてきたというわけか。


「シンクエさん、先へ。ここは私がお相手しますわ」


 セラシーニの首が定期的に旋回し、周囲を見回していた。それにより、的確にヂビャの攻撃を見切っているのだろう。

 私とシンクエ、それにワニのメリムは先を急ぐ。

 私たちが過ぎようとすると、ザパンとヂビャが水槽から顔を出した。


「あぁん、もう行かないでよ。女将さんの邪魔はさせたくないの!」


 その言葉をセラシーニが否定する。


「だったら、私をどうにかすることですのよ」


 攻撃を見切られているヂビャ。水槽に立ち入ることのできないセラシーニ。

 飛べない鳥同士の戦いはすでに千日手の様相を呈していた。


      ◇


 どれだけの廊下を通り過ぎただろうか。どれだけ螺旋階段を上っただろうか。

 どこからか話し声が聞こえてきた。

 その変化は私たちを喜ばせたが、同時に緊張を生んだ。終点が近い、それは決戦が近いことを意味する。


 いや、別にジェーデンの女将さんが敵だと決まったわけではない。私はそう考えている。

 しかし、それでも、その正体を見極めないといけない。そのこと自体がひどくストレスを感じるというか、脳の疲労を生むことであった。


「あらぁ、シンクエちゃん、エナムちゃん、来たのね。うふふ、あなたたちは何をするのか決めたのかしら。

 それに、メリムちゃん。残念ね、シンクエちゃんみたいな破滅主義者についていくなんて。本当に残念よ」


 ジェーデンの女将さんがいつもの朗らかな笑顔で待ち受けていた。

 しかし、木の洞でできた食堂の中で料理をよそいながら待つ彼女の姿にはどこか得体の知れないものを感じる。


 ビタッビタッビタッ


 不意に音が聞こえた。それは私たちの来たのとは別の通路から響いている。

 何者かが来ている。緊張が走った。


「これはこれは、ジェーデン、それにシンクエ。両者そろい踏みとはのぅ。エナムもおるようだの」


 甲高い声が響く。だが、その物言いには老練とした雰囲気があった。

 三津派のリーダーであり、真蛸の仔、明石あかし三津みつだ。彼女にはシャチの仔、ソラーク・コサートカ、漁り猫スナドリネコの仔、ティスエカ・ディーヴァラバララーが付き従っている。

 さらに、その奥からは人間の仔、ニコさんが現れた。ゴリラの仔、テン・G・G・ディールハイ、マグロの仔、エイティ・サーザンブルーフィンもいる。


「ふふふ、ちょうどいい。わしらの話し合いでアカデミーに起きている騒乱を収めようぞ」


 三津さんがゆっくりとした、けれども確信めいた口調で宣言した。

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