第四十二話 学園のファクション

 スーが肉を貪っていた。

 豚は雑食である。だから、別に肉を食べたとして不思議ではない。だが、それでも、かつて人間に近い知性を身に着けていたスーが、調理もしていない動物の――それも、アニマルアカデミーで進化改造され知能を植え付けられた動物の仔を食べるというのはショッキングな光景だった。

 気が狂ってしまったのだろう。そう思えてならなかった。


「いや、最初から狂っていたのかもな」


 私は誰に言うでもなく、そう呟いた。

 動物を進化改造し、人間のような知能を付与するなど、実に不自然なことだ。狂っていると言って差し支えない。

 とはいえ、それによって築かれていた秩序の崩壊を目の当たりにしたのだ。衝撃と恐怖で心臓がバクバクと動いていた。


 この場は逃げるしかない。

 スーの力は侮れないものであるし、それ以上に彼女に傷つけられるのも、彼女を傷つけるのも、まっぴらご免だ。

 私は息を殺し、じりじりと後退し、スーの様子を窺いつつ、さっと走り去った。


      ◇


 自己紹介しておこう。

 私の名前はエナム・バンテン。野牛の仔だ。ここアニマルアカデミーにおいては、六番目の実験動物に当たる。

 さまざまな動物たちの食レポを集めるという仕事をしていたが、アニマルアカデミーは崩壊の途中だ。これからの暮らしがどうなってしまうのかさえ、わからない。


 さて、どうにか歩いていると、ニコさんの果樹園へと辿り着いた。

 ちょうど、というべきだろうか、私のほかに果樹園への道を急いでいるものがいる。ゴリラの仔、テン・G・G・ディールハイだ。


「あっ、エナムくんじゃん。なになに、やっぱりこの地震っていうか、植物の暴走についてニコさんに聞きにきたの?」


 テンが話しかけてくる。

 あれだけの異変だったのだ。テンも状況を知りたくて、ここに来たのだろう。そういえば、テンはニコさんの果樹園に来ることがあるんだったな。ゴリラというのは果物――とりわけ、バナナが好物だからだろう。


「なに言ってんの、バナナが好物だなんて、そんなの偏見よ。ま、果物は好きだけど」


 でも、植物が暴走したのが、ジェーデンの女将さんの食堂だってことは、さすがに知らないようだった。

 目の前でその様子を見ていた私がやっとたどり着いたくらいだ。そこまで情報は速くないか。


「あ、エナムくん、来てる。ちょっと早く入って! ニコさんがそろそろ来るころだろうって。

 それにテンちゃん、来てくれて心強い。一緒に来てよ」


 果樹園からマグロの仔、エイティ・サーザンブルーフィンが出てきた。そして、私たちに入るように促した。

 さすがにミリアの暴走はニコさんやエイティも気づいたのだろう。私が状況を尋ねてくることはわかっていたようだ。


 私たちはニコさんのいる小屋へと案内される。


      ◇


 私は目の前に出されたミカンに手をつけた。

 皮を剥き、房を分け、口に運ぶ。房の中に詰まった粒が弾けるような食感があり、優しい甘さと優しい酸っぱさが溢れてくる。これは病みつきになる美味しさだ。

 また一房、もう一房と食べ進める。


 そうしていると、ニコさんが話し始めた。


「ふん、ジェーデンのやつ、今回の騒ぎの原因が私にあるって、そう言ったんだ。まあね、確かにミリアの進化改造は私が仕切っていた。一番に疑われるのも無理はないかもね。

 けどさ、あんな巨大化させるような改造をやってるはずがないんだよ。そんな研究を私はしていない」


 ニコさんは不機嫌になりながら、ミリアの巨大化が自分にないと言い切る。本当だろうか。

 ジェーデンの女将おかみさんの与えた食べ物で巨大化したようにも思えたが、それも女将さんから否定されている。

 どちらかが嘘をついているのか、それとも第三者がいるのか。


「そうか、食堂での食事のタイミングで巨大化したのか。それは怪しいな」


 ニコさんが訝し気に言った。


 そういえば、ドゥアとトゥエンティはニコさんに命じられたと言って襲いかかってきた。そして、スーはジェーデンの女将さんの用意したお弁当を食べて狂暴化した。

 どちらも怪しい材料ばかりだ。


「私の命令……?

 ああ、わかった。そいつらはジェーデンの派閥のやつだろう。私が命令したと見せかけようとしたんだ。エナム、君を騙すために」


 ニコさんが断言した。

 しかし、本当にそうなのだろうか。ジェーデンの女将さんがそんなわかりやすいかたりをするとはあまり思えない。


「やはり、そうだな。だが、まずはミリアをどうにかしないと。

 デゾイト、あれを持ってきてくれないか」


 ニコさんが声をかけたのは、ネズミの仔、デゾイト・ポルキーニョだ。デゾイトはその言葉とともに、地下室に赴き、何かを持ってきた。

 それはドリルの付いた器具のようであり、その根元には何やら薬品が設置されている。


「これは除草剤だ。とびきり強力な奴だけどな。

 エナム、お前にも持たせておくよ。ミリアの暴走が迫った時に使うといい。即席で朽ち果てさせるぞ」


 それはむしろ怖いな。

 私は恐る恐るその器具をデゾイトから受け取った。


「エナムくんよ、俺が使い方教えてやる」


 デゾイトは器具を渡しつつ、使い方を細かく説明してくる。


「それで、エナム、これからどうするつもりだ? ここにいたければ、いてもいいぞ」


 ニコさんはそう言ってくれるが、私は考え込む。正直、ニコさんを信じてもいいのものか、決めかねていた。


      ◇


 私がしばらくみかんを食べながら、考え事をしていると、小屋の周りが騒がしくなった。

 何かが起きたのかと思うが、どうも誰かが来ているようである。


「なんかね、三津さんの派閥から動物の仔が来るんだって聞いたよ」


 テンもまたみかんを食べてながら、そう言った。エイティから聞いていたのだろうか。

 また派閥か。派閥派閥。いつから、そんな集団単位で行動を決めるようになったっていうんだ。


「ふふ、エナムくんはさ、みんなから誘われてはいたんだと思うよ。それを何とはなしに距離取ってたんじゃない?」


 テンが少し可笑しそうに笑った。

 そんなことあったかな。なんにせよ、あまり集団で行動したくはない。


 私は小屋の窓から外の様子を覗く。そこには見知った顔がいくつかあった。

 最初に目についたのはシャチのソラーク・コサートカ。確かに以前に三津さんの言伝だとかで話をしてきたな。

 それに、キングコブラのティガベラ・ウラエナン。彼女も三津派だったのだ。

 最後に……、まさか、こいつも三津派だったのか。コモドオオトカゲのセムビラン・コモドエンシスだった。同郷でそれなりに親しいと思っていたが、これは知らなかったな。


「本当だな。みんな派閥に入っているのか。テンもそうなのか」


 私が話を振ると、テンはかぶりを振った。


「いやいや、私は別にそんなのないかな。でも、ニコさんにはお世話になってるから、そういう意味ではニコさんに近いのかも」


 テンが指を頬に当てつつ思案しながら答える。

 誰もが単体では生きていけないとはいえ、派閥なんて作る必要があるのだろうか。人間の脳に近くなった以上、人間の持つ本能的な感覚に従っているのかもしれない。


 そうだな。決断しよう。

 私は派閥に属する気がないし、誰を信じていいかもわからない。


 シューニャの意志に対面して、状況を確認する。まずはそこから始めることとしよう。

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