第8話 活動回り

 神宮先輩の案内で歩いた先は、職員室の隣に設けられた部屋だった。


「ここが指導生会室」


「職員室の隣ですか」


「先生の頼みも聞くから」


 中に入ると、職員室側の壁に一つドアを見つけた。


 神宮先輩が悪戯に開けてみせ、「ね?」と楽しそうにする。


「ふふ」


 部屋を一望する特等席にわざとらしく着くと、大袈裟に腕を広げた。


「ようこそ、指導生会に。歓迎する」


「ありがとうございます」


「適当」


「そんなことは」


 無難な返事はいらなかったみたいだ。困る俺を助けるように、職員室側のドアが開く。


 職員室から現れたのは、見覚えのある先生だった。


 すぐに目が合う。ぐっと距離を詰めてくる。


「山宮、久しぶりだな!」


「お久しぶりです」


 海上綾かいじょうあや先生。


 入学試験において、俺の面接を担当した先生だった。


「指導生会に入るのか?」


「今日は見学です」


「そうか。実はここの顧問をしていてな。君なら歓迎だから、前向きに考えてくれ」


 顧問ということは、昨日神宮先輩を説教していた先生というのは、海上先生のことかもしれない。


「はい」と返すと、「うん、うん」と嬉しそうに肩を叩かれた。


 俺と海上先生のやり取りを見て、神宮先輩が首を傾げる。


「先生、秀のこと知ってるんですか?」


「彼の面接試験を担当したからね。優秀な奴だからしっかり引き込めよ、神宮」


「そのつもりです」


「しっかりだぞ」


 顔合わせが落ち着いて、海上先生がソファに腰を下ろす。


 続いて、神宮先輩が向かいのソファに座り、誘われるまま俺も隣に座った。


「タバコはダメですよ」


「わかっている」


 懐から何かを取り出そうとしたが、やめた。きっとタバコだ。


「今日は活動回りの予定だったな」


「はい」


「一人、同行させたい生徒がいる。一年生の男子だ。山宮もいることだし、ちょうどいいだろう」


 聞けば、その生徒は中等部三年生の後期から不登校が続いていたらしい。


「高等部への進学を機に一つ殻を破ろうとしているが、活動参加に後ろ向きなのだよ」


 参加に否定的なまま、再び不登校の状態に戻ってしまうことは避けたいということだろう。


「諸々は君たちに任せる。いい結果を期待しているよ」


 一度部屋を離れると、今度は男子生徒を連れて戻ってきた。


 話のあった生徒だ。


 俯きがちで、不安があるのを感じた。それを見て、俺は彼に歩み寄った。


「初めまして、山宮秀です。今日は一緒に活動させてもらう予定です、よろしく」


「ひっ」


 どうしてだろう。怯えさせてしまう。


 同じ一年生として、まず俺の方から近づくべきだと思ったのだけど上手くいかない。


 海上先生が笑う。むっとしてしまうと、また笑われた。


「山宮、君もまだまだだな」


「秀、戻って」


「……すみません」


 反省して座り直すと、向かいのソファに男子生徒も腰掛けた。


「ほら」


 海上先生に促されて、男子生徒が口を開く。


「……黒田学くろだまなぶです」


 小さな声で名前を教えてくれた。


「神宮聖。よろしく」


「自己紹介も済んだし、私は仕事に戻るよ」


 ウィンクを決めて海上先生が部屋を去る。


 指導生会室に静けさが広がるが、それも一瞬だ。


「二人とも、運動する服はある?」


 神宮先輩の質問を受け、黒田君と目が合う。


「俺は持ってないです」


「自分も」


「そう。なら、そのままでいいよ」


 必要だったのかと思ったが、そうではないらしい。


 鞄から服を取り出すと、神宮先輩が俺たちを睨んだ。


「着替えるから出て行って」


「すみません!」


 黒田君が反射的に部屋を飛び出す。


「秀、見たいの?」


「失礼します」


 部屋を出ると、深呼吸を繰り返す黒田君と目が合った。


「っ――げほっ」


「大丈夫!?」


 間が悪く驚かせてしまって、黒田君が息を詰まらせてしまう。


 背中をさすってゆっくり落ち着かせると、黒田君は恥ずかしそうにしていた。


「落ち着いた?」


「……うん」


「良かった」


 神宮先輩が着替えている部屋に誰も入らないよう見張りつつ、黒田君とドアの前に並んで立つ。


 ほんの数秒のことだったはずだ。会話がなく、黒田君が気まずそうにする。


 とりあえず、俺が話を始めることにした。


「興味がある活動はあるの?」


 活動回りについて。


 黒田君を同行させるし、俺が指導生会を見学しているように、各活動の見学をするはずだ。


 予想が正しいなら、素直に関心のある活動を見学した方がいいと思っての質問だった。


「いや……」


 興味がない活動を見学しても面白くないだろう。


「希望があれば、神宮会長も優先してくれると思うよ?」


「別に、何も」


 黒田君の返事に引っ掛かるところはあるけど、無理に問い詰めることもできず言葉が出ない。


「……山宮君はここに入るの?」


 すると黒田君が質問を投げかけてくれた。


 変わらず目は合わないが、つい浮かれてしまう気持ちを抑える。


「わからない。実は活動内容も知らなくて」


「……じゃあ何で?」


「昨日、神宮会長が空腹で倒れてたんだ。偶然通りかかってご飯をあげたら、見学することになったんだけど……」


「遭難? 救助?」


「まさか、見学してる委員会で他の活動を見学するなんて思わなかったよ」


「ここ学校だよね?」


「学校だよ?」


 応えると、黒田君に呆れた顔をされてしまった。


 黒田君が思っていることはわかる。倒れている神宮先輩の姿、それを助ける俺の姿。想像しても、そんな状況になる訳がわからないのだ。


 俺も同じ気持ちだから、良くわかる。


「何から訊けばいいんだ?」


「どうしたの?」


 黒田君が頭を抱え始めると同時に、ドアを開けて神宮先輩が現れた。


 運動着に着替えている。長い髪も結んでいた。


 一度回って見せて、視線で訴えかけてくる。感想がほしいようだ。


「お似合いです」


「適当」


「そんなことは」


 さっきも似た会話をしたような気がする。


 しかし神宮先輩は、睨むでもなく、諦めたように視線を外して歩き出した。


「行くよ」


 黒田君と並びながら神宮先輩の後ろをついていく。


「ところで神宮会長、活動回りというのは何をするんですか?」


「説明しなかった?」


「はい」


「活動回りは、学校にある活動を全部見て回ること。定期的にやるから、覚えておいて」


「指導生会も活動に混ざったりするんですか?」


「基本は見るだけだよ。年度初めの活動回りだけは、一部の運動部とミニゲームをするのが伝統だね」


「ミニゲーム……もしかして、俺も参加ですか?」


「もちろん。服、言っておけば良かった。ごめんね」


 制服でも動けないことはない。汚れてしまうが、自分で洗おう。それなら問題はないはずだ。「気にしないでください」と神宮先輩に返す。


 しかし、全ての活動か。見学だけでも数が多く、一部とはいえミニゲームは特に時間を要するだろう。


「今日だけで終わるんですか?」


「去年は終わらなかった」


「去年は何日かかったんですか?」


「二週間はかからなかった」


「「え?」」


「できるだけ早く運動部を倒しきりたいね」


「「倒す?」」


 どうやら神宮先輩は、ミニゲームで勝つことを疑っていないようだった。


 凄い自信だ。


「黒田君は基本的に見学。興味があれば参加してもいいから」


「はい」


「秀は指導生会として参加」


 足を引っ張らないように頑張るしかない。


「わかりました」


 そして、玄関を抜け外へ出た。


「どこに行くんですか?」


「野球部のところ。秀は野球の経験ある?」


「はい。何度か試合にも出ました」


 そのまま歩いて、野球部が活動しているグラウンドに近づく。


「指導生会が来たぞ――!」


 グラウンドから大きな声がして、思わず黒田君と見合った。


 二人で驚いている間に、神宮先輩がグラウンドへ入っていく。慌てて後を追った。


「先生、よろしくお願いします」


 顧問の先生が迎えてくれ、挨拶が始まる。


「今年も活を入れてやってくれ」


「はい」


 神宮先輩の挨拶が終わって、先生の視線がこちらへ向くので姿勢を正した。


「山宮秀です。よろしくお願いします」


「黒田学です……よろしくお願いします」


 黒田君は、グラウンドの雰囲気が好きではないようだった。


 今回は見るだけになるだろうか。


「黒田君は海上先生から預かっている生徒です」


「なら、山宮君が指導生会役員候補か」


「推薦については例年通りお願いします」


 推薦というのは何のことだろう。


「しっかりと見させてもらうよ」


 尋ねる暇もなく、状況が動いていく。


 野球部全員が、神宮先輩と向き合って整列していた。凄い数だ。


 全ての視線が神宮先輩に向けられている。そのどれもが、熱量に溢れた視線だった。


 俺は神宮先輩の横に並び、黒田君はベンチに座って控える。


 先生が前に出た。


「例年通り指導生会に来てもらった。今年こそは勝って連敗ストップだ。気合いを入れろ。選ばれた一年生は、指導生会のチームに加われ」


 気づけば、多くの生徒が観客となって集まっている。その視線が全て、神宮先輩に集まっていることは明らかだった。


 呆けていた俺の顔を覗き込み、神宮先輩が「どうしたの?」と心配する。


「すみません」


「野球をするだけ、簡単でしょ?」


 神宮先輩の言う通りだ。


 場の熱い雰囲気に呑まれて、緊張していてはだめ。緊張しても、実力以上の結果は出ない。


 とりあえず今は、シンプルに考える。野球をするだけでいい。相手の熱意に、素直に応えればいい。


 意識を切り替える。一度、両頬を叩いた。


「やれます」


 野球部チームと向かい合い、先生の合図で挨拶を交わす。


 三イニングのミニゲームが始まった。


 じゃんけんの結果、指導生会チームが先行になる。最初のバッターは神宮先輩だ。


「秀、準備しておいてね」


 神宮先輩が打席に立ち、先生が試合開始を告げた。


「……」


 応援が響き渡る。


 野球部への声援。神宮先輩への声援。どちらも大きく、良く聞こえた。


「――」


 ピッチャーが投げる。ボールが真っ直ぐ走った。


 神宮先輩がバットを振り抜き、甲高い音が響く。ボールを捉え、遠くへ打ち返していた。


「……まじかよ」


 ベンチの誰かが声を漏らした。


 打球がセンターのネットを揺らす。


「「「うおおお――!!」」」


 声援が結果を表していた。


 ホームランだ。


 ダイヤモンドを一周して戻った神宮先輩が、俺の元まで駆け寄る。


「秀も打っておいで」


 今日は初めて見ただろうか。


 俺が神宮先輩の期待を裏切ることはないと、確信を抱く目だ。


 力強い視線に射抜かれて、身震いしてしまう。


「……祖父ちゃん」


 名門とされる清正学校の中でも、神宮先輩はきっと特別だ。


 怖かった。


 そんな神宮先輩の期待を裏切ったとき、あの目にどう映ってしまうのか。


 祖父ちゃんに頼ってしまうくらい、心を握られていた。


「……」


 打席に立つ。


 俺に対して声援があるはずもなく、アウェーの中バットを握る。


 ピッチャーが投げた。


「ボール」外め一杯。ストライクゾーンを外れていた。


「ストライク」外側の低め。ボールだと思ったけど、際どくストライク。


「ストライク」内を鋭く攻め込まれて、外が続いた前二つの意図を感じた。


 ストライクが二つ。追い込まれて、緊張感が高まる。


「ボール」高く浮いて、ストライクゾーンを外れる。


 次は、真っ直ぐ。


 バットを振ろうと動かした瞬間に、ボールの軌道が逸れた。


「ファウルボール」咄嗟に追って、ファウルで凌ぐ。


 中学校の試合とは、変化球がまるで違った。驚いたが、思考は止まっていない。


「ボール」低く、ワンバウンドしてキャッチャーの元に届いた。


 フルカウントになって、更に緊張感が増す。


 応えよう。期待に、熱意に。


 まるで、騙すように胸の中で唱え続ける。


 逃げないでくれ。向き合ってくれ。


「――」


 直観に従った。


 ピッチャーの手から放たれて、ボールが内を狙って走る。


 躊躇わず、バットを動かした。


 大丈夫。曲がらないのなら当たる。


 力一杯、バットを振り抜いた。


「……まじかよ」


 誰かがこぼした。


 手に残る感触が、結果を教えてくれた。我慢できずに、口元がほころぶ。


 打球がレフトのネットを揺らす。


「「「……――」」」


 神宮先輩のときとは違い、場が静まり返っていた。


 しかし、興奮で気にならない。ホームランだ。


 ダイヤモンドを一周してから、神宮先輩を見た。


 力強い目は何も変わらない。期待に応えられただろうか。心底安堵した。


「楽しいでしょ」


「はい!」


 それから、神宮先輩の活躍によって指導生会チームが勝利した。


 二打席連続ホームラン、ノーヒットノーラン。それが神宮先輩の記録だ。


「先生、今年も優勝狙えそうですね」


「神宮がそう思うなら自信が出るな」


「応援しています。それでは、次の活動に向かうので失礼します」


「いい刺激になった。指導生会も頑張ってくれ」


「ありがとうございました。失礼します」


「……失礼します」


 神宮先輩を追って、グラウンドを後にする。


 野球部チームが負けて悔しそうな先生だったが、神宮先輩の感想を受けて気分を良くしていた。


「……山宮君、凄かったね」


「神宮会長があんなに凄いなんて、びっくりだったよ」


「会長も凄いけど、山宮君も凄かった」


「ありがとう。神宮会長が期待してくれてるから、必死だよ……」


 次は、サッカー部とミニゲームの予定だ。男女両チームからそれぞれ、代表を出した混合戦になる。


 その次にはテニス部、またその次には、と、今日は屋外競技が続く。


 今日だけで、どれだけの活動を回るだろうか。


「二人とも、早く行くよ」


 この先も、神宮先輩の目に映り続ける。


 この先のミニゲームが不安で、楽しみでしかたなかった。

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