第58話 天才と英雄

 ……ドットの代わりに異世界へとやってきた(戻ってきた?)俺……、オリジナルである『トンマ』こと東雲真だが、現在、大ピンチだ。


 大ピンチというか絶体絶命……いいや、致命傷かもしれないな――だって。


「――あなたは早くこの中へ!!」

「……テトラ……、お前は、どうするんだよ……ッ!!」


 食人鬼に噛まれた俺たちは、血だらけだった。

 傷口から出血が止まらない……。

 麻痺しているせいか、痛みが感じられなかった……それが怖い。


 右腕が動かないし、感覚がない……、自分の足で立ち上がることもできずに――捕食されるだけだった俺を助けたのは、テトラだった。


 体はオリジナルだけど、魂は分身の――テトラである。

 彼女は人間大の箱の中身を取り出し、空っぽになった空間へ、俺を押し込めた――そして。


「……他の、みんな、は……」

「死んだわよ」


 ルルウォンも、ターミナルも。

 リノスも、ハチミツ姫も――みんな。

 そして、テトラも……きっとそうなるのだ。


 魂は分身だから気にしない、わけじゃない。

 分身であるというだけで、彼女はテトラである。オリジナルの外側を利用し、魂はオリジナルのものをコピーしたわけだ……、今、新しい経験を得たオリジナルとは変わってしまったが、しかしそれまでのオリジナルとはまったく同一なのだ。


 分身だから死んでもいい命とは、思えなかった――。

 こうして接してしまえば。

 変わらない、人間だ。


 彼女がこのまま、食人鬼の餌になるのは、見ていられない……。

 そう言っている俺も、危ないんだけどな……。

 意識が朦朧としてきた。テトラを止める手も、声も、もう届かない……。


「どうせ、遅かれ早かれこうなることは分かっていたのよ。でも、あなただけは、生きなさい……だってあなたは、分身でなければこっちの世界の人間でもないのだから……。大丈夫よ、『なんとかなる』と思うわ」


 なんとかなる。

 そう思ってこっちの世界へ犠牲者としてやってきたけど……勝算なんてなかった。行き当たりばったりで、やっぱり俺は、失敗したのだ――こうして致命傷を受けているのが証拠だ。


 俺は天才じゃないから。

 ……生きて戻ることも、できない――。

 アキバの隣には、結局、最後まで立てなかったな……。



「バカね」


 テトラが言った。


「とっくのとうに、あなたはあの『アキバ』よりも多くの功績を立てているわ……、救った人だってたくさんいる。そろそろ、自分のことを認めて、がまんを強いていた自分を、救ってあげてもいいんじゃない? それに、あなたは自分以外の誰かの中で、たった一人、未だに助けていない人がいるでしょ? あの子のことを、そろそろ救ってあげてもいいんじゃないの? ……ま、あなたの自由だから強制はしないけどね――とにかく」


 空き箱の中に押し込められた俺――その箱の蓋が、持ち上げられた。

 この箱は……覚えがある。

 ものすごく昔のようにも思えるけど……、遠い昔ってわけではない。

 この箱は――、全ての発端の――


「あなたは天才ではないわ。でもね、じゃあ、天才ではないあなたが天才を越えられないのかと言えば、それは違うわよ」


 蓋が閉められる。

 だけど声が、聞こえる……。


『天才ではないけれど、あなたを凡人と言う人は、いないんだから――』



『非凡は天才を越える』

『天才に近い者を凡人と呼んだのかもしれないわね――』

『天才と呼んで区別をしない方がいいわ……天才も凡人も同じ線の上よ――人間よ』

『中でも非凡が、天才とは種類が違う、天才の名を使わない……そうね、別の「天才」なのかもしれないわね――』



 そして俺は――――意識を失った。







 次に目を覚ました時、俺は蓋の隙間から差し込む日の光に目を細めた…………生きている?

 怪我が治ったわけではない。

 鈍いけど、微かに、痛みはある。致命傷に感じたけど、深い傷ではなかったみたいだ。

 それでも早急な手当てが必要だとは思うが……。


 光が膨らんでいく。

 蓋が開けられ、太陽の光を遮るように顔を出したのは、アキバだ。

 隣には、テトラも、俺も――いや、ドットか……。懐かしく感じる面々が顔を揃えていた。


「…………え、」

「ほら、なんとかなったでしょ」


「魂はトンマだよな? 肉体は『ドット』の体だけど……、これ、ややこしくないか? オレがトンマの体で、トンマがオレの体に入ってて――」


「そういうのは後で考えようよ。とにかく今は、異世界へ勝手にいったトンマが、本当に犠牲にならなくて良かったってことよ――ねっ、おかえり、トンマ」


 三人の腕が伸び、俺の体を抱くように引っ張る。

 箱の外に出された俺は、すぐに担架に乗せられた。

 ここは……夢でなければ、元の世界だ……。

 食人鬼がいない、俺が生まれ、育った世界――。

 現実世界。


「あなたも、よくトレジャーボックスの中に入ろうと思ったわね……、爆弾が詰まっていたはずだけど……」

「……あっちの世界の、テトラが、助けてくれて……だから……」

「そうなのね……向こうの私は、どうなったの?」

「……死んだよ」

「あらそう」


 聞いたテトラのリアクションは、軽いものだった。

 死んだのは分身だから、重くは捉えていないのかもしれない……。


「あなたを助けて死んだのなら、立派なものね」

「…………」

「ありがとう、もう一人の私」


 そう言ってくれるなら。

 犠牲になったテトラも、浮かばれるだろう。


「トンマ、大丈夫? 痛みは? 苦しくない? 担架、ちょっと揺れるかもしれないけど、がまんして、」

「――アキバ」


 動かないはずの手が動き、俺は気づけば、アキバの腕を掴んでいた。


「どうしたの!? なにか伝えたいことが、」

「俺、は、さ……、頑張ったよな……? たくさんの人を、救ってきたよな……? 俺は、凄いことを、したんだよな……?」


「…………うん、そうだよ、トンマはっ! 凄いことをしてるよっ、偉業だよ! 私にはできないことばっかり――トンマは、誇れることをしたんだから!!」


「なら、」


 俺は、怖かったけど……でも、聞きたかった。

 調子に乗るなと言われるかもしれない。言われると思って、これまでは謙虚に生きてきた……まだ足りないと思って、ひたすら努力をしてきた……――それでもまだ足りないと何度も何度も、それを呪文のように唱えて、自分に言い聞かせて――


 彼女に追いつけるように――それだけが動機だったから。


 原動力、だったのだから。


 ……そろそろ、答え合わせがしたい。

 もういいんじゃないか――もう。

 俺にも、欲しいものがある。

 他人を蔑ろにしてでも手を伸ばし、掴み取りたい大切なものがあるんだ――。


 俺が報われるのは……今なのか?

 それとも――、まだまだ、先のことなのか?

 その答えが、欲しかった。


「俺は…………、アキバの隣に、立てるのかな……?」


 それを聞いたアキバは、はぁ、と、溜息のような、呆れたような――

 肩を落として、くだらないと言いたげな目を見せた。

 ……やっぱり、俺はまだ、褒美を貰える時じゃ、ないんだ――


「バカ。そんなの、とっくのとうに――私の隣どころか前に進んでいるわよ」

「アキバ……?」


「私の隣に立てる、ですって? ――立てるわよ。……ねえ、そろそろ、いいんじゃない? いつまで私を待たせるの?」


 待ってて、くれたのか……?

 俺が、功績を、立てるまで――。


「功績じゃないわ。トンマが気づくまでよ。大きな功績なんてなくても、私と釣り合う、釣り合わないを考えるところに、トンマは立っていないんだから」


 行動を見るのは、人となりが分からないから。

 だけど、俺とアキバは、そこまで他人行儀な仲じゃない。


 もう充分に知っている――

『アキバ』、『トンマ』、というだけで。

 俺たちはいつでも、お互いに受け止めることができるのだから。


 気持ちを。

 感情を。

 好きを――愛してるを。


 言葉一つで、俺たちは前へ進める。



「好きだアキバ――って、え?」


「もう、遅いのよ、バカ……っ」


 返事が告白を飛び越えた。

 待たせ過ぎてしまった俺への、アキバからの最後の仕返しなのかもな……。



 こうして、俺たちは進展する。


 きっと、世界はしばらく停滞するだろうし、もしかしたら後退するかもしれないけど……でも、関係だけは、前へ進んでいく。



 …了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る