第21話 淡い初恋1
コーリーはその夜、くすんだ
まるで雪を降り積もらせたかのように真っ白な大理石の床と壁。
いくつのクリスタルを使っているのかさえ見当がつかない巨大で優美なシャンデリア。
玄関前に集まった使用人の数は優に50人を超えているだろうか。
まさか自分の人生の中で、こんな豪華な光景を目にする機会が巡ってくるなんて……。
文字通り、住む次元が違う世界を前にして、今さらながら足が震えていた。
「ようこそ、我がドミストリ公爵家へ! ユージィン、コーリー、今日からここがあなた達の第二の住処よ!」
そんなコーリーに満面の笑顔を向けるのは、我らがボス・マリアージュ=ドミストリ。
今にも卒倒しそうなコーリーの背中を、ユージィンが無表情のまま「しっかりしろよ……」と支えている。
――いやいやいやいやいや。
この状況に動揺するなっていう方が無理な話です!
コーリーは眼鏡の奥の瞳をくるくるさせながら、数時間前の会話を思い出していた。
× × ×
魔法学園ファムファロスを無事卒業したユージィンとコーリーは、すぐに王立医術院メメーリヤ分院を訪ね、就職希望願を出した。
幸い究極の人員不足であったため、二人は諸手を挙げて歓迎され、魔道解析士として雇われることになった。
「そう言えばあなた達、これから通勤はどうするつもりなの?」
就職が決まった後、ふと何気なく投げかけられたマリアージュからの質問に、コーリーは苦笑しつつ答える。
「それはもちろん自宅から通わせてもらうつもりです」
「でも確かあなた達の実家って、パーム区のさらに西の方だったわよね?」
「よくご存じで」
コーリーは驚いた。マリアージュがそこまで詳しい自分達の個人情報を知っているとは思わなかったからだ。
ちなみにパーム区と言うのは首都の西のはずれにある庶民街のこと。
貴族の豪邸が立ち並ぶミリデシア中央区と比べたら、天地のごとき落差。
パーム市場を中心に立ち並ぶアパートはどれも古くて密集しており、迷路のように入り組んだ路地は坂道も多く猥雑だ。いわゆる貧民層を多く抱えているため治安もお世辞にもいいとは言えなかった。
それでもコーリーとユージィンにとっては長年育った場所であり、ファムファロスを卒業した後に戻る場所と言えば、この下町しかない。
「でもあそこからここまで通勤するとなると、徒歩で2時間はかかるでしょう? 毎日それだけの時間を無駄にするのはいただけないわね」
「す、すいません。でもファムファロスを卒業したばかりの私達に、分院の近くに部屋を借りる余裕はなくて……。もしかしたらユージィンだけなら、何とかなるかもしれませんが……」
コーリーは申し訳なさそうに頭を下げつつ、無表情で横に立つユージィンに視線を送った。
元々王立第一魔道士団にスカウトされていたほどの実力者であるユージィンなら、もしかして医術院があるミリデシア南区に部屋を借りることはできるかもしれない。でも落ちこぼれ中の落ちこぼれであるコーリーには、とても無理な話だ。なんだか自分が幼馴染の足を引っ張っているかのようで落ち込んでしまう。
「ああ、別にあなた達に給料面での心配をかけるつもりはないですわ。この辺りのアパートの一部屋や二部屋、余裕で借りれるくらいの報酬は出す予定よ」
「それはそれは頼もしいお言葉。さすがドミストリ公爵家のお嬢様」
今までほとんど口を利かなかったくせに、金の話になった途端にユージィンは目を輝かせた。コーリーは思わずそんな幼馴染に肘鉄を食らわせる。
「いてっ!」
「ユージィンは現金すぎ!」
いつものようにじゃれつく二人を見て、マリアージュは軽く肩を揺らして笑った。さらに彼女の口から思わぬ提案が飛び出す。
「そうねぇ、この近くのアパートを借りるのも一つの手だけど、事件や解剖は時に真夜中だったり、時には早朝だったり、急を要することがあるの。だからあなた達には、いつでもこの分院に駆け付けられるようにしてもらいたいのよね」
「は、はぁ……」
「――ということで」
――にっこり。
次の瞬間、マリアージュの口から出た言葉は、コーリーにとってはまさに青天の霹靂。
「あなた達二人、今日から私の屋敷に住みなさい。毎日私と一緒に通勤すれば、諸問題はクリアされるわ」
× × ×
こうして有無を言わさず、コーリーとユージィンはドミストリ家に連行された。
ドミストリ家はミリデシア中央区のそのまた中央に位置し、王宮と見紛うほど広大なお屋敷だった。
今まで庶民街の狭いアパートと、ファムファロスの寄宿舎しか知らなかったコーリーは、あまりに豪奢すぎる邸宅に案内されて本気でビビっている。表情には出さないものの、ユージィンもまた、どこか落ち着かない雰囲気だった。
「ヨハン。今日からこの二人が私の部下としてメメーリヤ分院で働くことになったコーリーとユージィンよ。二人のために急いで客間を二つ、用意してちょうだい」
「畏まりました、お嬢様」
屋敷に帰るなり、マリアージュは家令と思わしき壮年の男性に命令した。だが慌ててコーリーがその言葉を遮る。
「いえいえいえいえ、客間だなんてとんでもない! 人には分相応というものがあります。私ならそこら辺の物置かなんかで充分です。何なら馬小屋とかでも……」
「え、俺、さすがに馬小屋はいやだな……」
「物の例えよ! ユージィンは黙ってて!」
コーリーは「メッ!」と視線でユージィンを制し、マリアージュに過分な対応をしないでくれるように頼んだ。
何せ玄関だけでもこのスケールだ。豪華絢爛な客間など用意されたら、今度こそ自分は卒倒してしまう。それに客間に何か貴重な家具や壺など置いてあって、手違いでそれを壊してしまったら、どれだけの損害賠償になるか。
何事も悪い方へ、悪い方へと考えてしまうのは、コーリーの性分でもあった。
「あら、そう? 別に遠慮なんてしなくてもいいのに……」
「お嬢様、ならば使用人室とサロンの間にある控えの間はいかがでしょうか。あそこならば質素過ぎず、豪華すぎず、魔道士様方のご希望にも適うと思うのですが」
「いいわね。そうしてちょうだい」
こうして何とかコーリーの願いは聞き届けられ、二人はメインフロアからやや離れた位置にある控えの間へと通された。
しかし控えの間と言えどさすがに貴族の邸宅。個室の広さは優に寄宿舎の部屋の倍以上あり、机やベッド、クローゼットといった基本的な家具の他に、魔道技術をを利用した空調設備まで完備されていた。
「今日からここが私の部屋? ……嘘でしょ」
使い古しのキャンピングバスケットを手に、一人呆然と立ち尽くすコーリー。
備え付けのドレッサーの鏡に映る自分の姿があまりにみすぼらしすぎて、本来なら破格の待遇に喜ぶべきなのに、どうしても不安のほうが先に立ってしまう。
「やっぱり来るとこ間違えた……」
と、今さら激しく後悔するものの、全ては後の祭り。
ちょうどその時刻、月が流れる雲の影に隠れたために、今まで闇に埋もれていた星々が、天空上で鮮やかに輝き始めていた。
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