第4話 一目惚れ ~黒江佐紀~
「ごめん、佐紀のことは好きだけど、本当に悪いと思ってる」
黒江佐紀の前に座っている彼女の目には、涙が浮かんでいる。悪いと思っているのは、本当の事なんだろうと思う。
「先に結婚している妹にこの前子供が産まれて、それで妹が赤ちゃん抱っこしたり、ミルクあげたりしてるのを見て、自分も子供が欲しいって羨ましくなって、そうなると年齢的なものもあるから・・・」
彼女が涙ぐみながら、言い訳のように別れる理由を話し始めた。SNSで知り合って付き合い始めて2年。最近、連絡の頻度が減ったり、デートの約束をドタキャンされたりと怪しんでいたが案の定、男ができたみたいだ。
「わかったよ。わかったから、泣かないでよ。私が悪いことしているみたいじゃない。幸せになるんでしょ。笑ってよ。笑顔で終わろう」
「ありがとう」
その言葉にようやく泣き止み笑顔を見せた。八重歯がちょっと見えている。その笑顔が好きだったが、これで見納めだ。
「じゃ、先に行くね」
そう言って彼女は、せめてもの贖罪にと伝票を持って席を立った。一人残された佐紀は彼女との思い出に浸りながら、「いつもこうなんだよな」と思わず独り言が漏れてしまった。
初めて女性同士の恋を教えてもらった女子高の先輩も、5年前に付き合った年下の女子大生の彼女も、みんな最後は「男ができたと」言って佐紀のもとから去って行った。
佐紀自身も大学時代に試しにと男性とも付き合ったことがあるが、すぐに佐紀の体を求めてくるのが嫌で数か月で別れた。
正直、男との恋愛のどこが良いのか分からない。女性同士なら、もちろん体を重ねることもあるが、それよりも心のつながりを大事にする。佐紀はそんな恋愛が好きだった。
◇ ◇ ◇
コーヒーを飲み終わりお店を出たところで、このまま帰る気分にもなれなかったので、駅前のデパートに入ることにした。
冬物の衣料品が早くも並んでいて、それを見て回るうちに次第に失恋のショックも和らいでいった。
フロアを目的もなく巡っていっていると、顔なじみの店員から声をかけられた。冬物新作が入荷したから見てと誘ってくるので、店内に入ってみてみることにした。こちらの好みを把握しているようで、新作のスカートはたしかに自分の好みに合っていた。
「今年人気で、先週入荷したけど、色違いはもう売り切れて、この色もあとわずかなんですよ」
好みにも合っているし欲しいけど、もうすぐ待てばセールが始まるしと躊躇している様子を見かねた店員さんが、常套句のセールストークを始めた。
どう断ろうかと考えていると、試着室のカーテンが開く音がした。反射的に音がしたほうを振り向き、試着室からでてきた女性をみると違和感があった。
動きが女性っぽくないし、肩幅も広いし、ひょっとして男?LGBTの時代とはいえ、実際に見るのは初めてだ。興味本位で顔に視線を移すと、なんとなく見覚えのある顔だった。
誰だろうと記憶を探っていると、その男性と店員の会話が聞こえてきた。この声は、朝日君?
知ってはいけない秘密を知ってしまったと思い、彼が再び試着室に入ったのを見てお店を出た。それでも一瞬だけ見えた彼の顔が、脳裏に焼き付いている。
やっぱりもう一度会いたい。でも、彼の秘密をそっとしてあげたい気持ちもある。悩んだ末、会うと決めてお店に戻った時には、もうすでに朝日君の姿はなかった。
まだそう遠くには行っていないはずと、フロア中を歩き回って朝日君の姿を探した。見た時はお店の服を試着していたので、今の服装が分からずなかなか見つからない。
それでも探し回っていると、エレベータを待つ人の中に、あのお店の紙袋が見えた。ひょっとしてと、速足で近寄ってみる。その距離が近づくにつれ、朝日君であると確信してくる。
「朝日さん」
今の姿に配慮してさん付けで呼んでみた。振り向いた顔は驚いていたが、やっぱり朝日君だった。
「課長、あの、この、これは・・・」
改めてよく朝日君の顔を見てみた。男だから当たり前だろうけど、宝塚の男役みたいにキレイでカッコいい。正直私のタイプだ。恥ずかしがりながらも必死で弁明をしている、その姿は可愛くすら感じる。
朝日君みたいな女装趣味の男性なら、女性同性愛者の自分でも受け入れられるかも。そんな思いが浮かんできた。このチャンスを逃すわけにはいかない。ひとまずランチに誘って、ゆっくり話を聞いてみよ。
◇ ◇ ◇
何回か行ったことのあるデパート近くのカフェに入った。ここのなら客席の距離が離れているうえに、観葉植物が視界を遮って半個室のような感じになっているので、朝日君と話すにはちょうど良いだろう。
間近で見てみるとメイクに改良の余地があったが、逆にそれでも良いと思えた。女性らしい仕草も含めてこれから教えていって、理想の女性に育てていく楽しみがある。
朝日君の話を聞いていくと、女装は趣味で、トランスジェンダーではないみたいだ。恋愛対象が男性って言われたら困るところだったが、ますますちょうどいい。
私も本音を言えば、ひとなみに結婚、出産に憧れがないと言えば嘘になる。朝日君となら、夢が叶えられる。
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