第265話 サクラフィナーレと福島牝馬ステークス

 中山牝馬ステークスで2着となったサクラフィナーレではあるが、武藤厩舎としてはGⅢであれば勝負になるとの手応えを感じていた。それもありサクラフィナーレは、4月に行われる福島牝馬ステークスへの出走となった。


「トップハンデで無ければ、前走も勝ち切っていたんだろうが」


「フィナーレに必要なのは、出走馬のメンツと、少しばかりの運ですか?」


 そんな会話をする武藤調教師と調教助手の視線の先では、パドックを回るサクラフィナーレの姿がある。


「状態は悪くない。福島での開催という事で、関西所属馬が出走を控えるのも丁度良い」


「長内騎手の気合も入っていました。頑張って欲しいですね」


 元々開催地が福島競馬場という事も有り、出走馬は関東所属馬に偏る傾向があった。それ故に美浦所属のサクラフィナーレとしては狙い目のレースであり、騎乗する長内騎手も日々の調教を含め頑張ってサクラフィナーレを鍛えている。


 その効果もあってか、それとも馬の成長なのか、サクラフィナーレの馬体も4歳になり漸く完成して来たように思える。


『ゲートに収まりまして、今スタート! ややバラけたスタートになりました。此処で好スタートを切ったのは6番サクラフィナーレ、そのまま先頭に立ちます。12番ハナワミジカシ、やや出遅れたか。今日は後方からのレース。


 1コーナーに入って先頭は6番サクラフィナーレ、その後方2番手に1番アナタハピカピカ、そのすぐ後ろに9番キセツノウツロイ……。


 最後の直線、各馬一斉に鞭が入る! 依然先頭はサクラフィナーレ! 4コーナーを回って、後方を3馬身から4馬身突き放して独走! しかし、後方の馬達も一気に差を詰めて来た! 内側より一気に上がって来たのはウインドセイバー、外寄りにカリスマルビー、前を捉えきれるのか!


 先頭は依然としてサクラフィナーレ、その前に高低差1.2mの坂が立ち塞がる。ここで捉えきれるかウインドセイバー、カリスマルビー! その差は1馬身まで詰まって来た! サクラフィナーレ必死に粘る! ウインドセイバー、カリスマルビーは必死に追いすがる!


 サクラフィナーレか! サクラフィナーレだ! 勝ったのはサクラフィナーレ! 半馬身後方にカリスマルビー、更に頭差でウインドセイバー、サクラフィナーレ懸命に粘って1着! 桜花賞馬の意地を見せました! 勝ったのはサクラフィナーレ! 約1年ぶりの重賞制覇! 2着にはカリスマルビー、3着には……』


「よし! 勝ったぞ!」


「勝ちましたね! いやあ、勝てて良かった。ホッとしました」


「メンバーを見て勝ち負けは行けると思っていたが、それでも勝ててホッとしたな」


 武藤調教師と、調教助手は二人でがっしりと握手を交わす。アップダウンの多い福島競馬場という事で、サクラフィナーレは器用に走法を切り替えて無駄なく1800mを走り切ってくれた。


 併せて最後の直線が短く、高低差も1.2mという事も有り脚を止める事無く坂を上り切ったのも大きいだろう。


 勝因は色々と考えられるが、何よりも重賞2勝目、GⅢとはいえ無事にここを勝ち切ってくれた事で、武藤厩舎としては少し肩の荷が軽くなった様な気持ちになる。


「桜川さんが来られなかったのは残念ですね」


「ああ、ぜひフィナーレの重賞2勝目を祝って貰いたかったが」


 仕事の関係で、残念な事に桜川はここ福島競馬場へ来ることが出来なかった。生産牧場である北川牧場の代表者も不在となり、ちょっと寂しい表彰式となるだろうか。


 サクラフィナーレの重賞2勝目。


 武藤厩舎は勿論であるが、やはり馬主である桜川もこの勝利を待ち望んでいたのだ。馬であるサクラフィナーレは気にもしないであろうが、その関係者達にとっては待望の勝利である。


 そんな事を思いながら武藤調教師達が表彰式会場へと向かうと、表彰式では如何にも関係者ですと言った表情で細川美佳が待ち構えていた。


「武藤調教師、お久しぶりです! サクラフィナーレの重賞勝利おめでとうございます!」


「あ、ああ、ありがとう。あ~~、細川嬢は、やはり北川牧場の代理かな?」


 ミナミベレディーの表彰式などで、北川牧場の代理としてお馴染みの細川である。それ故に、武藤調教師はとっさに細川がこの場に居る理由に思いつく。しかし、本来であれば競馬番組のMCになっているはずなので、なぜ此処にいるのか驚いていた。


「はい! あと、桜川さんの代理でもあります! 前走の中山牝馬ステークスを見て、今日は絶対にサクラフィナーレが来てくれると思ってたんです。グリグリの二重丸にしていました! 勝ってくれて良かったですよ! これでまだ番組のMC寿命が延びました!」


 そう告げる細川の両腕には、自作であろうが馬主代理、生産牧場代理の文字が書かれた腕章が付けられている。


 本当かどうかは判らないが、ミナミベレディーの引退で現在の競馬番組MC降板の噂が流れたりもした細川である。もっとも、いまだ現役で活躍しているサクラヒヨリやサクラフィナーレ、更には先日重賞を勝利したプリンセスミカミなどが居る為に、降板は無いだろうと言う反論もつく。


 実際の所、競馬番組MCとして細川の人気は結構高く、今の所は降板の予定は全く無いのだが。


 しかし、若しかすると細川の競馬番組MCの地位も、ミナミベレディーや北川牧場産駒が支えているのかもしれない。


「今日の番組は大丈夫なんですか?」


「はい、此方から実況も兼ねて放送しています。今は勝利騎手インタビューを放送していると思います」


 そう告げる細川の視線の先では、長内騎手がカメラの前でインタビューを受けているのが見えた。


「長内騎手も勝てて良かったですね。ヒヨリが香織ちゃんに乗り替わって、落ち込んでいましたよね。桜花賞後に中々勝ちきれなくて追い詰められていたと思うんですが、これで一息つけますね」


 細川が言うようにGⅢ勝利という内容以上に、インタビューを受けている長内騎手の表情には明るさが感じられる。


「ああ、ありがとう。長内君もだが、うちもホッとしたよ。強敵揃いと言い訳をしても、まあ、実際にその通りなんだが、やはり勝てないと厳しいからな。桜花賞の後の重賞で勝てないにしても、良い所が今一つ無いレースが続いたと言われてたからな」


「サクラハキレイ産駒という事で、晩成血統と言われているだけに来るものがありましたね。まあ、うちはヒヨリが昨年GⅠを2勝してくれていますから、まだ良かったんですけどね」


「長内騎手は、勝たないと何ともならないですからね」


 厩舎の評価と、騎手が受ける評価は同じようでいて違う。それ故に勝てると思われる馬に騎乗する事は、騎手にとっても諸刃の刃かもしれない。


 長内騎手は武藤厩舎が感じるプレッシャー以上の物を感じていただろう。今、インタビューを受けている長内騎手の表情からは、紛れもなく嬉しさと共に安堵の感情を見ることが出来た。


「あ、呼ばれてますよ! あと、表彰式と口取り式のあとで別途インタビューさせてくださいね!」


 細川はそう告げると、早々と表彰台へと向かうのだった。


◆◆◆


 福島競馬場は芝コースの1周が1600mと非常に短く、その分独特の起伏を設けてレースが楽しめるよう工夫のされた競馬場だった。それ故に1800mのコースとなると、上がって下り、更に上がって下り、最後にやはり上がると言ったアップダウンが他の競馬場と比較しても多く設定されている。

 しかし、そのアップダウンがサクラフィナーレのストライド走法とピッチ走法を切り替える走法で有利に働くと武藤厩舎も長内騎手は考えていた。


 そして、今日のレースにおいて長内騎手が想定していたようにレースは展開し、無事にサクラフィナーレを勝利に導く事が出来た。その事がとにかく長内騎手には嬉しかった。


「はい、無事に勝てて本当にホッとしています。サクラフィナーレは自分に初めてのGⅠ勝利を齎してくれた大事な馬です。そのサクラフィナーレに、その後のレースでは不甲斐ない結果しか残してあげる事が出来なくて、ただそれだけが悔しかったです。

 まだまだ馬自体が若く、馬体もようやく完成してきたところです。未完成な状態で桜花賞を勝つことが出来たサクラフィナーレは、まだまだ此れから強くなると信じています。


 どうか、これからもサクラフィナーレの応援を、宜しくお願い致します」


 深々と頭を下げた長内騎手は、晴れ晴れとした表情でインタビューを終え表彰式へと向かう。


「勝てた、勝てたよな」


 最後の直線で、頭を上げる事無くしっかりと残してくれた。前走から次第にサクラフィナーレに勝ち負けへの意識が芽生えて来たように感じる。


 切っ掛けは何だったのか? これと言った出来事に思い至らないながら、馬自体の成長を感じ長内騎手は拳を握りしめて手応えを感じる。


「まだ4歳の春だ。勝負は此処からだよな」


 最近では忘れがちになるが、本来サクラハキレイの血統は晩成のはずだ。サクラハキレイ然り、サクラハヒカリ然り、5歳でGⅢを勝利している。2歳で1勝をあげる馬は稀であり、殆どが3歳になって漸く1勝をあげていた血統だ。


 もっとも、牝馬はその通りであるが、牡馬においては1勝をあげる事無く終わる馬もいるのであるが。


 サクラフィナーレは此れからに期待できる。そう呟きながら長内騎手は表彰式の演台に登る。ただ、その中心に堂々と立つ細川の姿に首を傾げながら。

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