第264話 桜花ちゃんと十勝川

 トカチドーターは忘れな草賞を出走後、関係者が心配した通りコズミが発生し放牧する事となった。


「ベレディーも1レース毎にコズミを発生していたが、ドーターは回復にも時間が掛かるな」


「レース毎の間隔を空けないとですね。やはり本格化するのは4歳に入ってからになりそうです」


 獣医師とも相談をして、トカチドーターのコズミの状態が緩和するのを待って放牧する事に決める。馬見厩舎としては次走を7月末に札幌競馬場で行われるGⅢクイーンSへと定め、そして今日、北川牧場へとトカチドーターを送り出したのだった。


「あっちにはベレディーがいるからな。ドーターに無茶はさせない範囲で鍛えてくれるだろう」


「テキ、それ洒落になってない所が笑えませんよ」


 馬見調教師と蠣崎調教助手は、そんな言葉の遣り取りをしながらトカチドーターの乗る馬運車を見送る。北川牧場にお伺いを立てた際に話題になったのが、暇を持て余したミナミベレディーが1歳馬達にせっせと走り方を教えているという話なのだ。


「まあ、ベレディーだからな」


「ベレディーですからね」


 その話を聞いた二人は、思わずそう呟く。


 そんなトカチドーターを受け入れる北川牧場では、今もミナミベレディーが1歳牝馬を追い立てている真最中だった。


「ブヒヒヒヒン」(勝てないとお肉にされちゃいますよ~)


「キュフフフン」


 1歳馬用の放牧地に作られた丘を、ミナミベレディーは1頭ずつ追い立てる。1頭を集中的に指導し、疲れて来たであろうタイミングで次の一頭へ切り替える。追い立てられていない残り3頭も恐らく遊びだと思っているのか、疲れが取れるとミナミベレディーを追いかけて丘を上り下りしていた。


「うわあ、今日も頑張ってるね。トッコ全然休めて無いよね」


「あら、流石ね。引退したばかりだから当たり前なのかしら? 1歳馬だと全然相手になっていないわね」


 1歳馬の仔達を追い立てていると、桜花ちゃんの声が聞こえました。声のした方を見ると、桜花ちゃんが知らない女の人といました。私は耳をピクピクさせて挨拶をして、取り敢えず走り切っちゃう事にします。今止めたら中途半端になっちゃいますからね。


 そんな感じで1歳馬の姪っ子達と走り回ってから桜花ちゃんの所へと戻ります。ここ最近は、姪っ子達と走る様になって良い運動になっています。元々、走るのは嫌いじゃ無いですからね。これで現役復帰アピールも出来ないかな?


「トッコ、お疲れ様。うわあ、鼻息が凄いね」


「ブフフフフン」(楽しいけど疲れるの~)


 桜花ちゃんはそう言いますが、お馬さんはお口で息が出来ませんから仕方が無いんですよ? 流石にレースを走った時程では無いと思うんですけど、運動量としてはこっちの方が多い気がします。


「凄いわねぇ、本当に仔馬に走り方を教えているわ。賢い仔ね」


 桜花ちゃんと一緒に居るのは、知らないおばさんでした。どっかで見た事あるかな? そう思ってみるんですが、駄目ですね。記憶に全然無いですよ。


「トッコにとっては、遊びの延長みたいな所があるんだと思うんです。ただ、まだ若い1歳馬としたら結構な運動量ですよね。御蔭で1歳馬も良い感じに鍛えられてて」


「そうね、普通は此処まで走らないわ。1歳からこれだけ走っているのね。道理で北川牧場産駒は持久力が高いわけね」


 桜花ちゃんとおばさんは、まだ駆けっこしている姪っ子達を眺めています。でも、そうですよね? 姪っ子達も良い感じになって来てますよね?


 自分が1歳の時って覚えて無いのと、自分自身を眺められないので判らないです。それでも、その時の自分くらいには鍛えられているといいな。何と言っても、まずは勝たないと始まらないですからね。


「うちの馬が勝ちだしたのは、トッコからの印象が強いです。2歳で1勝するとは全然思ってなくて、3歳で何とか1勝出来る様に祈ってました。ですから、最近は夢のようです。

 それまでは4歳後半からと言われてましたし、桜花賞に勝つなんて夢でも思っていなかったです。ただ、フィナーレは真面目に走らないんですけどね。良く桜花賞を勝てたなって思うんですよね。あと牡馬は当歳の頃だけですし、その所為か何とか1勝は出来てもって感じなんです」


 うん、フィナーレは昔から要領が良かったですよね。御蔭でヒヨリが苦労していた記憶があります。私はどうしてもフィナーレには甘めになっちゃいますからね。


「キュフフフン」


「ブフフン」


 桜花ちゃん達のお話を聞いていると、他の仔達が駆けっこにお誘いに来ました。でもですね、流石に私は走り通しなのです。


「ブルルルルン」(貴方達で走っておいで)


 流石の私もちょっと疲れて来ちゃいました。一度休憩しちゃうと、何か疲れがどっとやって来ますよね? 仔馬達は名残惜しそうでしたが、直ぐに4頭で遊び始めました。


 4頭共に駆けっこするのが当たり前になったのか、直ぐに4頭で追いかけっこが始まります。


「ブヒヒヒン」(でも、それぞれ特徴がありますね)


 走り回る4頭を見ていても、積極的に走る子、みんなが走るから一緒に走る子など、それぞれの性格が出ます。それでも、4頭みんな良い子ですけどね。


 おチビ達が駆けっこを始めたので、私はとりあえず桜花ちゃんをフンフンします。桜花ちゃんの事ですから、きっと何か持って来てくれているはず。


 疲れたから、出来たら氷砂糖か角砂糖が希望ですよ!


「トッコが休憩モードに入っちゃいましたね。ほら、ちょっと待って」


 桜花ちゃんはそう言うと、氷砂糖を取り出します。


「ブヒヒヒン」(わ~い、氷砂糖だ~)


 お口の中で貰った氷砂糖をコロコロさせます。ジワジワと溶けて来る甘みを楽しんでいると、桜花ちゃん達は走っている仔馬達を見ていました。


「いいわねぇ。仔馬達が元気に走っているのを見ると、こっちも嬉しくなって来るわ」


「はい、私もです。それに、何となく1勝はしてくれるかなって気持ちにもなりますから。それだけでも気持ちが楽になります」


「そうね、その気持ちは良く判るわ」


 うんうん、お馬さんはやっぱり勝たないとですからね。その気持ちは良く判ります。私もおチビ達に頑張らないとお肉ですよって言い聞かせるんですが、どれくらい伝わっているか不安になるんです。


「ねえ、桜花さん。うちにいる当歳牝馬が乳離れしたら、2頭ほど預かって貰えないかしら? 牝馬を2頭お願いしたいのだけど、そのうち1頭はサクラハキレイ血統の仔なの。ほら、モコモコは昨年間に合ったでしょ? 秋頃になると思うのだけど、勿論、育成費は出しますわ。あと、前から修繕するか悩んでいらした3番目の馬房は此方で修繕させていただくわ。私の我儘でのお願いですし」


「えええ? 十勝川ファームの産駒をですか! で、でも、うちは厩務員も少ないですから」


 ん? 何か仔馬が増えるんですか? 私は今いる4頭でいっぱいいっぱいですよ? 仔馬達が仲良く走っててくれると楽なんです。でも中々そうはならなくて、結局私が走らせることになるんですよ?


 何やら不穏な気配が漂ってきました。そもそも、おチビ達をハムハムする時間も結構かかるんです。みんなハムハムが好きですからね。


 私がそんな事を思っていると、またおばさんが何か話を始めます。


「秋頃になれば、1歳馬は育成牧場へ行くでしょ? 当歳馬だけになるから、ミナミベレディーの運動量は減ると思うの。お試しでも良いのでお願いできると嬉しいわ。もっとも、ミナミベレディーが受胎してたら話は変わりますけど」


「あ、そうですね。そっか、1歳馬は育成牧場へ行っちゃいますよね。う~ん、判りました。その状況に依りますけど、検討しますね。トッコも今年は無理でも10月くらいから調整に入ると思いますし、まずはお試しで良ければいいと思います。一応、お母さんの承諾しだいですけど」


 私はお耳をピクピクさせてお話を聞いています。でも、そっかあ、この子達も秋頃には育成牧場に行っちゃうんですね。言われてみると、私も春頃には桜花ちゃんの牧場には居ませんでした。


「ブルルルルン」(頑張って皆を鍛えるね~)


 今更ですが、残り時間があんまり無いのです。せめてタンポポチャさん走りは出来るようにしないと、レースで後から来るお馬さんに抜かれちゃいますよ。


「トッコもやる気になったみたいです」


「あら、それなら嬉しいわ。でも、本当に人の話が分かるみたい」


 桜花ちゃん達が、私を見て話を続けていました。


「今年の当歳にトカチマジックの半妹がいるの。母馬はさっき言ってたモコモコよ。見た感じ結構期待しているの、中々いい感じじゃないかしらって。うちの牧場はあまり牝馬は活躍してくれないので、ぜひ頑張ってGⅢくらいは獲ってくれないかしら」


「え? モコモコですか? でも、トカチマジックの半妹です? それって凄い血統なんじゃ」


 お話を聞いていいますけど、良く判らないです。そろそろお話を聞いているのにも飽きてきたし、桜花ちゃんも遊んでくれないので仔馬達を構ってあげる事にします。


「ブフフフン」(遊んでくる~)


 桜花ちゃんにちゃんと一言断ってから、駆けっこしている仔馬達へと走って行きました。

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