22. 出発




 『あの……騎士様! いったいどこへ向かうのですか?』

 『もうすぐ着きます。もうしばらくお待ち下さい』


 “彼がフィーナ姫を連れ出した先は、満月に照らされた城下町の波止場だった。幾多の船がいかりを下ろして立ち並び、水面には大きな月影が映り込んで、空と海の両面から彼らを照らしていた。”


 『……綺麗ですね』

 『ええ。世界はこんなにも美しく、素晴らしい。貴女あなたの瞳と同じように、美しく輝くものはこの世界に満ち満ちている。私は貴女に、この素晴らしい世界を見て頂きたいのです』

 『わたしも、もっともっと世界を知りたいです。貴方あなたと、一緒に……』


 “夜がとばりを下ろす中、二人は月の光に淡く照らし出されたお互いの顔を見つめ合う。二人の顔は近づいていき、そして───”




 「───はい、ここまで。こっから先は、未来の旦那のために取っときな」

 「なっ!? ここまでしておいて、横暴ですっ!!」


 パチンと目の前で手を叩き、俺はシャロンを現実へと引き戻す。ここは波止場でも何でもなく、東街区にある列車の停車地、東レヴェンス駅の屋根の上だった。レヴェンスの街は内陸にあり、街の外に出ないと川岸の港も無い。

 今のは戯曲化もされた恋愛劇『木蓮の騎士』の一幕ワンシーンだ。最初は「夜の街を歩きたい」というシャロンに従って短い夜の散歩していただけだった。だが、かの小説に似たシチュエーションを感じてその場のノリでシーンを再現し始めたは良いものの、彼女が思った以上にのめり込むものだからつい演技にも熱が入り過ぎてしまっていた。


 「む~……あとちょっとだったのに……」

 「何がだよ」

 「ふんだ、知りませんっ!」


 ぷんすかとご立腹な様子のシャロン。心底残念そうな彼女を見るに、強制的にぶった切っておいて正解だった気がする。仮にも相手は大貴族の娘、万が一にも間違いがあってはいけない。見てのとおり男っ気の無さそうなお嬢様のクセして見た目に反して大胆さでは大の大人に引けを取らない彼女だけに、余計な火遊びは文字通り死に直結しそうな予感がする。




 「それはそうと、ここは……」

 「ふふ……あいにく波止場じゃあないが、旅立ちには相応しい場所だろう?」


 この駅は、南と東に二か所あるレヴェンスの街の停車駅のひとつ。レンテラント帝国を東西に貫く帝国横断鉄道の終着点であり、帝国東部の各都市を結ぶ鉄道路線も含めた、多くの列車がその車体を休める車両基地だ。全ての列車が南レヴェンス駅を経由してこの駅に来る関係上、人間の利用者はみな南駅を使うため、この東駅で積み降ろしされるのはもっぱら貨物が主体。南駅に比べると人の出入りもそう多くなく、ちょっとばかり屋上にお邪魔しても気付く者はいない。


 「東レヴェンス駅……屋敷からもある程度は見えていましたけど、こうして見ると改めて凄い場所ですね」

 「帝国中を駆け巡る列車が、こうしてここに集まっているわけだからな」


 数えるだけでも億劫になるほどの数の列車がここに集まり、日夜点検と補修を受けている。それだけに線路レールや車庫の数も半端じゃなく、広さだけならオースティンの屋敷が2、3件はすっぽり収まるだろう。


 「海とは違ってロマンチックさには欠けますけど……それでも、一緒に来れてよかったです」

 「ロマンに欠けるかと言えば、そうでもないぜ? 最近では鉄道の巨大さと機能美に魅せられた一部の愛好家マニアたちの間で、この駅が聖地とまで呼ばれてるらしいし。あの手の連中に鉄道の歴史とロマンについて語らせたら、それこそ一晩でも二晩でも」

 「そういう意味じゃないですっ!! もうっ、さっきから雰囲気を台無しにするようなことばかり……」

 「だって、なあ。大貴族様から大事な娘さんを“お預かり”しているわけだし、締めるところは締めておかないと」

 「ミティオさんの意地悪。わたし、夜の街を出歩くのなんて初めてなんですよ? 少しくらい、素敵な思い出を作らせてくれてもいいのに」


 どうにも、年頃の少女というのは歯止めが効かないらしい。可愛らしく甘えるような仕草でシャロンはこちらに翠色の瞳を向けてくる。


 「もう日付も変わったし…………実はわたし、今日が14歳の誕生日なんですよ? もうちょっとだけ、我が儘を聞いてくれてもいいじゃないですか。ねえ、ミティオさん……いいえ、“騎士様”……?」

 「うっ……」


 蠱惑的にすら思える声で、上目遣いのまま腕に擦り寄ってくるシャロンについ心が揺らいでしまう。この目に逆らえる男など、この世にそう多くはいないだろう。この子は本当に14歳なのだろうか?




 「───こーら。一体何をしているんだい、キミたちは!」


 一瞬、その瞳に吸い込まれそうになった所を、突然背後に現れた人物の声が割って入った。


 「おっと、お目付け役が登場か」

 「えっ、えっえっ……?」


 ニヤリと口元をゆがめて振り返った俺がに目くばせをする中、目を瞑っていたシャロンが状況に追いつけずにあたふたと慌てている。


 「え、エレっ!?!? どうしてここにっ……!」

 「どうしてもこうしても無いよっ! ミティオっ!! 今シェリーに何をしようとしてたんだいっ?」

 「いやあ、大胆なお嬢様に乗せられてつい、な。もちろん本気じゃないから安心しな」

 「当たり前だよっ!! あーもうっ、やっぱり男なんかにシェリーを任せるんじゃなかった!」


 シャロンの護衛騎士であり姉貴分でもあるエレノアは、俺が早速シャロンに手を出していたと見ていきり立っている。対するシャロンは、いるはずのない相手がそこにいたことに目を白黒させて驚いていた。


 「ど……どうしてエレがここにいるの~っ!!」

 「それは勿論、俺がそう伝えていたからさ。上手くシャロンの“誘拐”に成功したら、広場かこの駅で落ち合おうってね」

 「『紫の煙なら広場、黄色の煙なら駅舎の裏手』。そう聞いてたから広場に向かったのに、さてはワザと逆を指示したね……?」

 「いいや? 最初はちゃんと広場に飛んださ。だがこのお嬢様が、少しでいいから夜の街を歩きたいって言ったんだ。エスコートする側としては、ご婦人の希望に応えない訳にはいかないだろう? なぁ“姫様”」

 「それはっ……その……はい……」


 顔を真っ赤にして伏せながら、消え入りそうな声でシャロンは答えた。


 「シェリー、こんな男のことを信用しちゃダメだよっ! 絶対他の女にも同じようなこと言ってるに決まってるんだから」

 「おいおい、人聞きの悪いことを言うな。俺はこれでも硬派で通ってるんだぜ?」

 「いーやウソだね! 自分からそういうことを言う人間が、誠実だった試しがないから!」

 「ほう、ということは君はそう判断できるほどに男性の経験も豊富だと。流石は親衛騎士隊のエース、《風の剣姫》ともてはやされるだけはあるねぇ」

 「なっ!? 騎士団にいたらそんな話をよく聞くだけで、ボクはまだそういうのは……って、なんてことを言わせるんだよっ!!」


 わんわん吠えながら突っかかってくるエレノアの姿は子犬のようで微笑ましい。そんな彼女を見ながら、今度はシャロンがエレノアへ詰め寄る。


 「むー……エレ、ミティオさんに対して態度が砕けすぎじゃない? わたしに対して、そんな風に怒ったことないよね?」

 「な、なにを言ってるのさ。ボクはただ、シェリーのことを心配して……」

 「わたし、別に変なことはされてないもん! わたしの知らないところで知り合ってたみたいだし、いきなり現れたのになんか通じ合ってる気がするし……エレだけ、ズルい!」

 「それはただ、シェリーに近づく男のことは調べておかないといけなかったからで……!」

 「ううん、絶対それだけじゃない気がする! 詳しい説明を要求します!!」


 きゃいきゃい、まるでじゃれ合うように口論する二人を見ていると、本当に姉妹のようだと改めて思う。エレノアは溌溂とした騎士らしい普段とは違い奔放な妹分を前に形無しになっているし、生粋のお嬢様であるシャロンがこんな顔を見せる相手というのもエレノアだけなのだろう。血は繋がらなくても、家族は家族。両親や実の姉弟しまいとの関係がどのようなものかは分からないが、それらと比べてもきっと見劣りしないだけの絆が、二人の間にはあるのだろう。




 「全く、やかましいわね」


 ふと下の方から声が聞こえて、俺は屋根から身を乗り出して階下を覗いた。


 「よう、お前も無事間に合ったか」

 「当たり前でしょ。置いてかれるわけにはいかないもの」


 喧嘩に夢中で気付いていない二人を置いて、駅舎の入口にやって来ていたモニカの元へ飛び降りた。


 「あの二人が、今回手懐けた女の子たちってわけね?」

 「何とでも言え。そもそも最初にけしかけたのはお前の方だろう」

 「あたしは、火の魔法が手に入ればいいって言っただけよ。普通、それで女の子を誘拐してくるなんてこと、ある?」

 「簡単に言ってくれるがな。魔法を手に入れるのも大変なんだぜ? 無理矢理奪ってくるより、色々と術者に教えてもらう方がよっぽど確実だ」

 「分かってる。だからあたしも協力するために来たんじゃない。『もしかするとウチも危険になるかもしれない』なんて言われたら、どのみち選択肢なんて無いようなものだけど」

 「悪いな、お前に仕事場を引き払わせることになって」

 「いいわよ。今度は、一緒に連れて行ってくれるんでしょ?」

 「……ああ」


 今回の狂言誘拐劇を実行するにあたって、万が一失敗した時のリスクのことも考えていた。連れ出すことにしくじる可能性は勿論、最悪の場合は実行犯が俺だとバレること、そして俺の素性や身辺にまで捜査の手が及ぶことも十分考えられた。俺が一番恐れたのが、モニカに危害が及ぶこと。相手は帝国でも指折りの大貴族、その影響力や情報収集能力は決して軽く見て良いものではない。俺は最初から、彼女も一緒に連れていくことを考えていた。


 「あたしは、アンタの家族。アンタが危ない目に遭ってるのなら、あたしにも背負わせて。それに、あたしを巻き込むかもしれないってなったら、アンタもあえて危険な真似をしたりはしないでしょ?」

 「敵わねえなぁ……」


 なんだかんだ言って、モニカにはしっかり手綱を握られてしまっている。俺が何を考えてどう動くか、大抵のことはお見通しのようだ。


 「……ミティオさん? その方は?」


 ひょっこりと屋根の上からシャロンとエレノアが顔を覗かせる。


 「ああ───二人とも、降りてきてくれ。こいつはモニカ。魔法具の製作や修理をやってる技師で、俺の妹みたいなもんだ」

 「血が繋がってはないけどね。モニカ・ラヴランドよ。適当によろしくしてちょうだい」


 エレノアに抱えられて屋根から降りてきたシャロンたちを、モニカは砕けた調子の挨拶で迎えた。


 「お前、貴族様を相手になかなか度胸のある物言いだな」

 「へぇ、アンタがそれを言う? 育ちの良さそうなお嬢様方を相手に、ずいぶん馴れ馴れしい口の利き方だったけど。あたしにはそこまで仲の良い話し方は出来ないわ。それに、夜のこんな時間に、しかもこんな場所で貴族のお嬢様に会うはずがないわよ。ねえ、お二人さん?」


 水を向けられたお嬢様二人は一瞬呆けた顔をしたが、途端にシャロンは目を輝かせ、エレノアは不服そうに口を尖らせた。


 「はい、問題ありませんっ! ミティオさんとは、もっと仲の良い話し方をしたいですっ!」

 「ボクは許さないよっ! これ以上シェリーに近づくのは禁止っ、きんしっ!!」


 どうやら速攻で懐いたらしい。流石、孤児院でも子供たちに好かれているだけはある。




 「じゃれ合っているところを悪いが、そろそろ最終便が出る時間だ。乗り遅れるわけにはいかないから、行くとしよう」

 「最終便……って、列車に乗るんですか?」

 「一体何のためにわざわざ駅まで来たと思ってるんだ。今回の作戦の主たる目的は、シャロンを連れ出すこと。せっかく屋敷を抜け出したところで、連れ戻しに来られちゃ意味がない。なら、簡単には追って来られない場所まで逃げる必要があるだろう?」

 「そのための手段が鉄道というわけだね。でも、こんな時間に走ってる夜行列車なんてほとんど無いんじゃないか? 一体どこに連れて行こうというんだい?」

 「言ったろ、“実家”を頼るのも手だって。───南東部辺境地域を通って南部まで伸ばされた、細々と使われている貨物路線。検問が敷かれるであろう南駅を唯一通らずに街から出られる路線だ。コレを使って、クレメントスの旦那の所まで一気に行く。東部とはいえ一晩かかるからな。さっさと乗り込むぞ」

 「アンタを三男として無理矢理引き入れた男爵のお膝元ね。あたしも行くのは初めてだわ。……せいぜい楽しみにさせてもらおうかしらね」


 モニカが目つきを変えながら怪しげな笑みを浮かべる。どうもこいつは俺を勝手に身内にしたクレメントス家の面々を快く思っていないらしい。向こうで変ないざこざを起こさないでくれると良いのだが。

 モニカに持ってくるよう頼んでいた安物の掛け布を二人に纏わせて軽く擬装し、俺たちは最終便の貨物列車に乗り込んだ。乗務員には前もって話を通してある。ここの駅長には貸しもあるし、少しばかりの心付けさえあれば貨物車両への“乗り合わせ”に文句を言う人間はいない。


 「ふむふむ、こんな方法が」

 「またシェリーが悪い影響を……」


 しきりに感心するシャロンと、それを見てまた頭を抱えるエレノア。だが彼女が心配するまでもなく、シャロンは街の物売りを買い物ついでに買収して口止めをするくらいの悪知恵は自前で身に付けてしまっているのだ。ちなみにその時の“戦果”こそが、現在二人の髪に留められた髪飾り。シャロンは花、エレノアは羽根。俺とモニカの爺さんが手掛けた芸術品でもある。


 「もしかして、あれもアンタが?」

 「いいや。街の露店で見つけた彼女が自分で買ったものだよ。中々見る目があるだろう?」

 「ふぅん…………ちなみに、なんでアンタがそれを知ってるのよ」

 「そりゃ、その場にいたからに決まって……いてて! 何故いきなりつねるっ!?」

 「別に~? あたしとはロクに買い物も行かない癖にお嬢様とは二人でお楽しみだったからって、別に怒ってなんかないわよ?」


 割と根に持っているらしい。確かに再会してからこの方、モニカと一緒に出歩くようなことはしていなかったからな。


 「はぁ、そういうのがしたかったのなら言ってくれればよかったのに。ずっと作業場に籠りきりで忙しそうにしてたから、てっきり興味ないものかと思ってたよ」

 「そ、そこまでしたかったわけじゃないわよ? ただ、そうね……。向こうに着いたら色々案内しなさいよ? 楽しみなのも本当なんだから」

 「へっ、仕方ねえな」


 上機嫌に笑うモニカを見ていると、昔を思い出してつい頬がゆるむ。なんだかんだ言っても、お互い昔から変わっていないのだろう。




 「むむむ、二人だけの空間が……強敵、です……!」

 「やっぱり他の子にも手を出してるじゃないか……」


 お嬢様二人がこちらを窺いながらヒソヒソやっている。


 「聞こえてるぞ、そこ。貨物列車なんだから下手に余所見すると落っこちても知らねえからな」


 慌てて明後日の方向へ目を逸らすシャロンとエレノア。こういう所だけは年頃の娘らしいな。



 貨物列車が、汽笛を鳴らして夜を引き裂き走り出す。





 後に起きた、この国を変え、やがてはこの世界の未来さえ変えたと言われるあの動乱。

 ───思えばこの日、俺が彼女たちを連れ出していなかったら。あの時、火の魔法の秘密を手に入れようと動き始めていなかったら。この国の歴史が辿り着いた先は、全く違った場所になっていたかもしれない。もしそれを運命と呼ぶのならば。あの時の俺たちは、そのようなことに微塵も気付きもせずに、大きな運命の流れに巻き込まれていたのだろう。

 あの時の、俺の願いはただ一つ。ただそのためだけに、俺は───


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る