2、我が家はゼクセン公爵家の派閥に属している


「……はぁっ、はぁ……はぁ」


 ディリートは、寝台の中にいた。


「……?」


 生きている。

 生きている?


「私、さっき処刑されたはず……」


 ここは、生まれ育った実家の屋根裏部屋ではないか? 嫁ぐ前の自分の部屋ではないか?

 夢と現実の狭間を彷徨さまようように呟いたディリートは、身を起こして鏡を見た。


「お嬢様、いかがなさいましたか?」


 メイドのエマがやってきて、ディリートは驚いた。

 元々が母ユーディト付きのメイドだったエマは、母亡き後もディリートの味方だった。しかし、エマは流行病で亡くなったのだ。


「エマ、あなた……生きているの?」

「何を仰るのです、お嬢様?」


 エマは眉を寄せ、ディリートに「悪い夢でもご覧になられたのですか」と問いかける。


 確認すると、この日は帝国暦527年。

 

 ディリートは5年前に戻っていた。

 ディリートは自分の指を見た。ランヴェール公爵と揃いの結婚指輪も母の形見の特別な指輪も、ない。


「お母様……」

 ゼクセン公爵の娘である亡き母ユーディトには、皇族の血が混ざっていた。世に二つとない国宝級の魔法の指輪なのだ、と幼い頃にこっそりと教えてくれた母の声を思い出す。


『条件をいくつかクリアすると、願いを叶えてくれる』

 条件は不明、使えるのは一度のみ。お守りみたいな存在だった。


「私の願いを叶えてくれた?」


 ディリートは震える手で羽ペンを握り、紙に思い出せる限りの『一度目の人生の記憶』をつづった。


 皇帝の甥、赤毛のグレイスフォン公爵イゼキウスには強い野心がある。

 彼は手段を選ばない男で、流行病に乗じて政敵を排除していった。

 ディリートの実家、現在身を置いているカッセル伯爵家はイゼキウスと共謀していた。ディリートの父、カッセル伯爵は毒を使っての暗殺を得手としている。病死といわれたディリートの母も、毒殺だった。


 思い出せば思い出すほど、それは恐ろしい記憶だった。

 ぶるぶると震える手で書かれた歪んだ文字を見直し、ディリートは大切な情報をつけたした。

 

「イゼキウスには、継承権保持の条件である水属性の魔力が欠けている……会ったことのないゼクセン公爵は私の味方になってくれるかもしれない……」


 ゼクセン公爵は、ディリートの母方の祖父にあたる。しかし一度も会ったことがない。過去のディリートには遠い存在だった。

 公爵には子供がたくさんいて、母は末娘だった。

 母は派閥の繋がりを強固にするためにカッセル伯爵家に嫁いだが、父とは最低限の義務を果たすのみの冷たい夫婦仲だった。母が亡くなり父は後妻を迎えたが、後妻とは深く愛し合うようになり、すぐに妹フレイヤが生まれたのだ。


「これから病が流行る……」

 ……治療薬の材料は、開発する薬剤師は。


 思考を整理するように紙面を見つめて、ディリートは羽ペンを置いた。エマに手伝ってもらい身支度を済ませて向かう先は、家族と過ごす食卓だ。

 


「私には、情報がある。知識がある。未来を変えられる」


 

 使用人が扉を開けてくれる。

 開かれた先の長いテーブルの上にはすでに豪勢な料理が並んでおり、家族が食卓を囲んで座っていた。


 彼らの姿を見た瞬間に、ディリートの胸の中にチリチリとくすぶり焦げるような熱い思いが感じられる。

 

 寂寥。

 悲哀。

 絶望。

 怒り。

 憎しみ。

 

「遅かったじゃないか、ディリート」

 父であるブラントは、一見善良で気弱そうな中年貴族だ。しかし、母を毒殺したのはこの父なのだ。

 

(お母様。見守っていて。私が仇を討ちますわ。復讐を遂げてみせます)

 

 ディリートは亡き母に誓い、深呼吸をして笑顔をつくった。

「申し訳ありません、お父様」

 

 その声を受けて、義理の母ビビエラがおっとりとした声を寂しげに響かせる。


「ディリートの目にはお父様しか映らないようね。わたくしなりに母として愛情を注いだつもりだったけれど、やはり血の繋がりがないと認めてもらえないのかしら……寂しいけれど、わたくしの努力が足りないのよね。わたくしがいけないのだわ」

 

「失礼いたしました、お母様、……フレイヤも。お待たせして申し訳ありませんでした」

 ディリートが言葉を付け足すと、今度は「言わせてしまったみたい。わたくし、悪い継母ね」などと言い出すのだ。


 父ブラントはそんな妻に「まあまあ、今日は大切な話もあるのだ。聞きなさい」と優しい家長の表情で語りかけ、本題を切り出した。


「ゼクセン公爵が我が家の娘にぜひ、と縁談を勧めてくれた。お前たちも知っての通り、我が家はゼクセン公爵家の派閥に属している」

 

 家族の視線が自然と集まる先は、この中で唯一ゼクセン公爵の血を引くディリートであった。

 一度体験している過去の時間が再現されるのは、不思議な感覚だ。


(ふうむ。この頃、私は父がゼクセン公爵に忠実だと思っていたけれど、本当はゼクセン公爵家に頭が上がらない我が家の立ち位置が不満だったのかしら。以前の私は父の発言の裏側や真意を読み取ろうともしなかったものだけど)

 

 父ブラントは真面目な顔で言葉を続ける。

 

「ゼクセン公爵は第一皇子派だ。ゆえに、我が家も第一皇子派だ」

 

 しかし、この父は第一皇子と玉座を争う皇甥イゼキウスを支援したのだ。ディリートはドキドキした。

 

 いつから?

 もう、この時点で父は皇甥派と手を結んでいたのだろうか?


 父の話が続いている。

 

「さて、我々ゼクセン派には、何代にもわたって敵対してきた派閥がある。ランヴェール公爵家を中心とする派閥だ。こちらの筆頭ゼクセン公爵家が水属性の家柄、あちらのランヴェール公爵家は火属性の家柄。まさに相いれないという相性の悪さで、二派は何かにつけて争ってきた」


 父の言葉に、フレイヤが「政治のお話はつまらないわ」と首をかしげる。愛娘の薔薇色の髪がその動きに合わせてフワリと揺れてアクアマリンの瞳がパチパチと瞬くと、父はまた困ったような笑みを浮かべた。


「政治の話はフレイヤには難しいか。しかし、我が家の立ち位置は把握しておくように」


 父の手がフレイヤの頭を優しく撫でるのを、ディリートは絵画を鑑賞するような目で見つめた。

 

 自分は、あんな風に父に撫でてもらったことがない。それを一度目の人生では寂しく感じていたのだ。

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