第124話 クマ派と猫派な学園と、全面的にクマ派な森の彼ら

 もこもこ教室前、まるでクマちゃんの尻尾のような丸くて可愛い灯りがフワリと浮かぶ、古城のような学園の廊下。


 会計を拉致した犯人、目つきと態度の悪い副会長は神秘的な胸元から魔道具を取り出し、


「……馬鹿な……レモンで鈴だと……? ――駄目だ。これは初心者には刺激が強すぎる。最初からこんなやべぇ映像を見せたら会計が――死ぬかもしれねぇ」


と深刻な表情で言った後、無言で魔道具を操作し「これも刺激がつえーが、少し隠れてっからな……」と無理やり被害者と肩を組み、


「これが、いいもん――死ぬほど可愛いクマちゃんだ。……あのクマ狂いに知られたら大変な事になっから、会長にこの話はするな」


声を潜めボソボソと伝えてきた。 


「あの、俺猫派なんでクマは……というか何で俺に見せようとするんですか? 会長と二人で見ればいいじゃないですか――ってさっきもそう言おうとしたんですけど」 


 学園で二番目に面倒臭い男、副会長に絡まれている会計は『猫より可愛い生き物などいないのだから、ちょっと可愛い程度のクマを見せられても……』と全クマ類を見下すような、偏った思想を持っていた。

 彼は魔道具の映像が見たかったわけではない。同じ目的を持って行動しているらしい生徒会長と副会長で情報を共有し、関係のない自分を早く解放して欲しいと思っただけだ。

 しかし、気の短そうな見た目に反して気の長い副会長が、それを見ようとしない彼の頬にぐりぐりと魔道具を押し付けてくる。

 意外と仲間思いな彼らしく、全く痛みのない絶妙な力加減だが、とにかく鬱陶しい。

 会計は副会長に諦めさせることを一旦諦め「そんなに言うなら一応見ますけど」と冷めた口調で前置きをしたあと、


「俺が『可愛いクマちゃんですね』って言わなくても悲しまないでください」


角が当たらないよう、面で頬に押し付けられた菱形の魔道具を、彼の手から抜き取った。




「……そんな…………」


 もこもこ花畑の隅に、会計の愕然とした声が響く。

 青白い、しかし片頬だけ血色の良い妙な顔色の彼は、魔道具の中、とんでもなく可愛い、真っ白なもこもこと見つめ合う。

 黒く潤んだつぶらな瞳が、柱の陰――否、ほとんど全身のもこもこが見えた状態で、彼を見つめ返している。

 その控えめでお上品な愛らし過ぎるもこもこは、つい先程まで、言動の怪しい副会長の『いいもん見せてやる――』に『俺猫派なんで』と冷たく返していたクマ派でない彼に『クマちゃん、だめ?』と、寂しげにそっと尋ねているように見えた。


「……かわ……」


 もこもこのあまりの愛らしさに思わずその言葉を言いそうになった会計だったが、彼の実家の猫を思い出し、ハッとなった。

 シャーに見られている気がする。『お前は猫派だろう』と。

 ぐっと目を瞑った会計は、魔道具の映像をそれ以上見ないように焦点をずらしつつ、それを副会長へ返し震える声で伝えた。


「……俺は……俺は、猫派なんで」と。


 会計の心が激しく揺れているのを感じた副会長はそれ以上言葉を重ねず、魔道具を元の場所へ仕舞うと静かに彼の肩に手をのせた。


 歩いて数歩の花畑中央によろよろと戻った彼は生徒会長に「いいものって何?」と聞かれたが、急に思春期が訪れたような様子のおかしい会計は下を向いたまま「別に……普通のキノコでしたけど」とボソボソと話すだけで、魔道具のことも猫界を震撼させるほど可愛いクマちゃんのことも口に出すことはない。


 次の授業が終わった後、副会長は会計を呼びに行かなかったが、彼の予想通り会計はもこもこ花畑へやってきて「……俺は猫派ですが……他の映像も一応見てもいいですか」と俯き気味に言い、彼は「ああ、やべぇのが届いたから見るなら覚悟したほうがいい」と凶悪な目つきで告げ、究極の愛らしさを知ってしまった会計が「……そんな……何故……猫じゃなくてクマなのに……駄目だ……あの映像は……猫より可愛いクマに見えるように加工されてる。本物はあんなに可愛くないはずだ」と何かをこじらせた。



 テーブルの下を覗き込んだまま動かない、様子のおかしいリオに、南国の青い鳥のような男が涼やかな声を掛ける。


「リオ。君はそんなところで何をしているの? クマちゃんはどうしたの?」

 

 ウィルに声を掛けられたリオは、すぐに返事をしようと思ったが、それよりもどうしてもやりたいことがあった。

 ――目の前の世界一可愛い荷物を抱えたい。

 何故、目の前の緑の袋に書かれた文字は『リ』じゃないのだろうか。

 自分だってこの可愛い荷物が欲しい。

 ――あの氷のような男に直接袋を渡せばいいのでは。

 可愛すぎるもこもこ袋の誘惑に負けたリオが、クライヴの荷物に成りすましている愛らしいもこもこへ手を伸ばす。


 クマちゃんはつぶらな瞳でリオを見つめたまま、袋の縁を握るもこもこの手にキュッと力を入れ、幼く愛らしい声で「クマちゃん!」と盗みを働こうとする悪漢を叱り、ピンク色の肉球でもこもこクマパンチを繰り出す。


 もこもこ袋を掴もうとした金髪の手に、猫パンチよりも威力の低い、癒しの肉球クマパンチがテチッっと当たる。


「いて」


 全く痛くない上にぷにっとした肉球ともこもこのお手々が当たり、幸せな気持ちになったリオだったが、テチッという可愛い音を聞き、なんとなく痛いと言ってしまった。

 


 悪い事をするリオを叱ろうとしたクマちゃんは、リオの悲痛な叫びに驚いた。

 大変だ!

 リオのどこかのホネをやってしまったかもしれない。

 クマちゃんの凄いパンチが効きすぎたようだ。

 手首がぷらぷらしていないか見てみるが、見ただけではよくわからない。

 重症患者の手の甲を肉球で押してみる。「クマちゃんの肉球めっちゃぷにぷにしてる。やべー」ホネだらけだ。

 大変だ。硬くてよくわからない。風のささやきも『やべー』と言っている。確かにホネが折れたら『やべー』のだろう。

 クマちゃんが真剣に怪我人のホネを心配している間に、リオは犯行を終え、現在クライヴの荷物であるクマちゃんをその手に抱えた。


 クマちゃんは、荷物になったばかりでもう置き引きにあってしまったのだ。



 犯人のリオは腕の中の愛らしい荷物ちゃんを見つめ「何この生暖かい袋めっちゃもこもこしてる」と呟いたあと、犯行現場を抜け出し、皆の前に姿を現す。


「見てこの荷物めっちゃやばいんだけど」


 置き引き犯が堂々と皆に盗んだ荷物を見せ、その愛らしさを自慢する。

 彼は腕の中の愛らしい荷物がストレスを溜め込んだ獣のような荷物ちゃんになっていることに気付いていない。


「君が見つけた荷物は世界一愛らしいね。テーブルの下にあったのかい? 僕も欲しいけれど……残念ながらその荷物に書かれた名前は僕たちのものではないようだね」


 袋に書かれた『ク』の文字を見ただけで事情を察したウィルが、悪ガキのようなことをしている犯人に『元の持ち主に返しなさい』と遠回しに告げる。

 リオの気持ちは痛いほど解るが、残念ながらその可愛い荷物はクライヴの物なのだ。

 クマちゃんが愛らしいもこもこのお手々で一生懸命クライヴの名前を書いたのだから、自分達が邪魔をするわけにはいかない。

 あの荷物を抱っこしたいなら持ち主である男に『君の愛らしい荷物を少しのあいだ預かりたいのだけれど』と許可を得る必要があるだろう。


「おい、クライヴ……お前本当に大丈夫か?」


 愛らしい荷物の持ち主と同じテーブルに着いていたマスターが、呼吸を止め一点を見つめるクライヴに声を掛ける。

 しかし、マスターにもクライヴの気持ちが理解できる。

 あんなに可愛い荷物は見たことが無い。

 その姿だけでも可愛いのに、更に『クマちゃん、クライヴの』と名前まで書いてもらったのだから、普段から呼吸が止まりそうなほどもこもこを愛している彼がこうなってしまうのも仕方のないことだ。


「リオ、返してやれ」


 普段は黙っていることの多いルークが切れ長の美しい瞳をリオに向け、色気のある低い声で警告する。

 声に抑揚が少なく、感情を乱すことも無い魔王のような男は怒ってはいないようだが、このまま時間が経過し、もこもこした荷物がキュオーと悲し気に泣き出せば、悪ガキを叱る大人のように、世界最強の男はリオの頭をコツンとするだろう。


「リーダーこえー、やべー」


 悪ガキのようなことをしている犯人が悪ガキのような返事をする。

 もう少しこの生暖かい荷物を抱いていたかったが、残念ながら時間切れのようだ。

 リオは愛らしいもこもこの、丸くて可愛い手触りの良すぎる頭をもこもこと優しく撫で、荷物ちゃんの湿った鼻の上に寄っている皺を減らしたあと、息を止めている男の方へ歩みより「ハイ荷物」と全く渡したくなさそうな態度のまま、もこもこ袋を差し出した。

 

 息をしていない氷の男は、黒い革の手袋に包まれた手ですぐに最高に愛らしい荷物を受け取ったが、動けるようになるまでに少しの時間を要した。


「愛らし過ぎて街に持って行くのは危険だが――この愛らしい荷物の願いを叶えるためなら、この身がどうなっても構わない」


 瀕死の状態から復活し、愛する荷物のために命を懸け、街へ向かおうとするクライヴ。

 しかし彼が死地へ赴く前に、腕の中から幼く愛らしい「クマちゃん、クマちゃん」という、もこもこした荷物ちゃんの声が聞こえてきた。


『クマちゃん、会長』と。


「うーん。もしかしたらその愛らしい荷物ちゃんはお出掛けの前に手紙の返事を貰いに行きたいのかもしれないね」


 もこもこが便箋を貰える時間になったことに気が付いたウィルは、愛らしい荷物ちゃんの文通相手のことを思い出す。

 確かに、クマちゃんの愛らしさに夢中になっていたあの人物であれば、すでに返事を用意していてもおかしくはない。



 昼食を取り廊下のもこもこ花畑へ戻って来た生徒会長達。


「ここに置いてあったはずの私の手紙と花束が……ない」


 もこもこ教室前、綿毛の花畑を見つめ生徒会長が呟く。


「クマちゃんが持ってったんじゃないんすか」

 

 自分達の居ない間に愛らしさの権化クマちゃんが来たのかと思うと、内心全く穏やかではいられないが、副会長はそれを隠し会長へ答えた。

 クマちゃんが元気ならばそれでいい――もこもこした天使はこんな陰気な森のある学園よりも、楽園にいたほうがいいだろう。

 いつか実物に会ってみたいとは思うが、残念ながら今回は運がなかったようだ。


「……そんな……」


 猫より可愛いかもしれないクマちゃんに会いたくない会計は、副会長の言葉に落胆した自分に気が付き、激しく動揺した。 

 まさか自分は、クマちゃんに会いたいと思っているのだろうか。

 映像ほど可愛くないことを確かめたいのか、それとも――。


「私の可愛いクマちゃんは、絶対私に『クマちゃん』と言ってから持って行くはず……もしかすると、落とし物と間違われたのかもしれない」


 思い込みの激しい会長はクマちゃんが自分に会わずに帰ったことを認めず「届けがないか聞いてくる」と言い職員室へ走っていった。


 生徒会長の後ろ姿を目で追っていた副会長が「クソ……俺だって会いてぇよ」と顔を顰めていると、


「クマちゃん、クマちゃん」


脳内で何度も再生した、死ぬほど愛らしい声が、彼の背後から聞こえた。     

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