第84話 確認するクマちゃんと視線が気になるリオ
「……リオ、後で話がある」
マスターが視線をゴリラちゃんへ向けたまま、それを抱えているリオに渋い声で言う。
出来ることなら今聞きたい。
通信でのへたくそな演技や、その経緯も。――そっちは大体予想がつくが。
リオの腕の中のそれから強い力を感じていたが、誰も何も言わなかったのは隠していたからではないのか。生き物ではない、ゴリラのぬいぐるみが言葉を話し、おもちゃで遊んでいるのはどういうことなのか。
――まさか、問題を解決するために何かを召喚したのだろうか。
召喚したのだとして、それを隠さないのであれば、誰かがそれとなく話題に出すなり――。
マスターは少し考えてみたが、目の前のクソガキ共がそれとなく話題に出すなど、出来るわけがなかった。
奴らには〝それとなく〟や〝遠回しに〟など、一生縁のない言葉だろう。
可愛いもこもこのことは気遣えるのに、何故人間が相手だと繊細さや心遣い、優しさを失うのか。
――悩みのある人間にこいつらを近付けたら、深刻な悩みが更に増えそうだ。
すぐに思ったことを口に出す金髪あたりは、落ち込み俯く冒険者が相手でも『あいつ首の角度おかしくね?』などと悪気なく言うだろう。
しかし、人間相手には大体無神経なこいつらでも、幼く愛らしいもこもこのことは傷つけたくないと思っているようだ。
この場で『あのゴリラの中にいるのは何だ』と聞いたところで、皆口を揃え『ゴリラちゃん』と言うに決まっている。
目の前のリオがぼーっとした顔で「えぇ……」と言っているのは、無意識なのだろうか。
何も考えずに口から否定的な声が出るというのはどうなのか。悩みなど無さそうな顔をしているが、そうでないなら先にそれを聞いたほうがいいだろう。
――面倒見が良いマスターは今後の予定に、悩みがあるのかもしれないリオの面倒を見ることを加えた。
マスターが愛らしいクマちゃんの頬を撫で、考え事をしていると、片方が無い扉から派手な髪色の男が入って来る。
「――おや。この部屋は随分と可愛らしくなったようだね」
南国の青い鳥のような男ウィルは、マスターの机の上でクルクルと回り音楽を奏でる、赤ちゃん用のおもちゃを見て言った。
彼は自分が選んだおもちゃのせいでこの部屋が異様な雰囲気になってしまったことなど、全く気にしていない。
「お前だけ別行動なんて珍しいな。何かあったか」
マスターが天井の飾りの話にはふれずに答える。
せめてオルゴールを止めたいが、腕の中の可愛いクマちゃんがもこもこの手の先をくわえ、つぶらな瞳で天井を眺めているためそうすることが出来ない。
愛らしいもこもこは、自分のことを大人だと思っている節がある。
しかし赤ちゃん用のおもちゃに囲まれ安心しているところを見ると、やはり見た目通り赤ん坊なのだろう。
「湖の大きな魚のおもちゃはモンスターでは無いから攻撃しないようにと、他の冒険者達に伝えていたのだけれど――」
ウィルはマスターの質問に答え、チラとルーク達に視線をやり「まだマスターには話していなかったようだね」と付け加えた。
話していないなら一体何をやっていたのか、と聞かずとも天井や机の上、ゴリラちゃんの手元の見覚えのあるおもちゃを見ればわかる。
――動物のおもちゃの舌の動きが攻撃的になっていても、大雑把な彼が気にすることはない。たとえあのおもちゃが舌で壁に穴を開けても、彼は気にしないだろう。
「――わかった。後で確認に行く」
〝大きな魚のおもちゃ〟という聞き覚えのない謎のアイテムに、また頭が痛くなったマスターだったが、それも可愛いもこもこが作った何か、なのだろう。
マスターの腕の中にいるもこもこがルークを見つめ、それに視線を返した森の魔王のような男が、机の上におもちゃと魔石を並べている。
――心優しいもこもこは全員分のおもちゃを改造してくれるようだ。
マスターが止める間もなく、愛らしいクマちゃんが杖を受け取りおもちゃの改造を終わらせた。
魚のおもちゃとアヒルのおもちゃもある。気のせいでなければ、魚が六、アヒルが七つ。
――もこもこが深く頷いている。納得の出来のようだ。
可愛いクマちゃんは幼く愛らしい声で、
「クマちゃん、クマちゃん……」
と言った。
『みんなの、クマちゃんの……』と聞こえるが『クマちゃんの……』のところだけ何故か少し元気がない。
愛らしいもこもこが何故落ち込んだのか気が付いたウィルが、優しくクマちゃんに尋ねる。
「僕はあの大きなお魚のおもちゃがとても気に入ったから、クマちゃんはこちらの小さな方で遊んだらいいのではない?」
クマちゃんは、おそらくお風呂で遊ぶためにこれらのおもちゃを買ったのだ。
しかし、皆の安全の方が重要だと考えた心優しいクマちゃんは、自分の大事なおもちゃを、公園に在る邪悪の調査に使ってしまった。
大きくなったお魚さんは湖にいるが、あのお魚さんとお風呂で遊ぶのは難しいだろう。
皆のためにそれを使ったことに後悔がないもこもこは、クマちゃんのお風呂のお魚さんが無くなって悲しい、とは言えないのだろう。
もこもこがウィルへ肉球が付いた手を伸ばし、幼く愛らしい声で、
「クマちゃ……」
と控えめに呟く。
それは『ウィル、クマちゃん……』と聞こえた。おそらく『クマちゃんも一緒に遊んでいい……?』という意味だろう。
「――そうだね。一緒にあそぼう。クマちゃんは、いつも優しいね。…………では、これから皆でお風呂で遊んだらいいのではない?」
マスターから愛らしいクマちゃんを受け取り、顔が見えるよう抱き上げ、装飾品で飾られた指でもこもこの頬をくすぐる。
ウィルの腕の中のクマちゃんが鼻をふんふんさせている。
喜んでいるようだ。
「あー。じゃあ他の荷物はこのままここで預かっておく。必要なもんだけ持って行け」
可愛いもこもこが腕の中から居なくなり寂しいマスターが、少し机に寄りかかり、そこにあるものを一つ掴んで言った。
動物のおもちゃからビュッ!! と舌が飛び出す。
中々いい手触りだが、毎日手入れされ、つやつやな毛並みのもこもこクマちゃんには敵わない。
クライヴも心優しいクマちゃんが自分のために改造してくれたおもちゃをさわっている。
彼は冷たい表情で何かを確かめ、頷いた。
黒い革の手袋越しでも、滑らかさが違う。
「んじゃさっき買ったやつも置いてく」
マスターに対して遠慮することを知らないリオが、足元に置いていた荷物をマスターの机に寄せる。
書類の山と合わせ、執務用の机がただの荷物置き場のように見える。
適当に必要な物を選別した彼らは、可愛いクマちゃんと露天風呂へ入るため、マスターの部屋を後にした。
◇
幻想的な透き通った蝶の舞う、絨毯のように白い花が敷き詰められた湖畔。
鏡のように景色を映す湖は、今日も変わらず美しい。
背が高く体のがっしりとした冒険者が、ゆったりと寝そべることのできる巨大なクッションと、それをのせるための大きな敷物が、白い花畑のあちこちに置かれている。
そしてそこには、円形の布の中心を摘まみ上に引き上げたような形の日除けが、ふわふわと宙に浮かんでいた。
今の時間帯は森から戻って来た冒険者と、休憩中のギルド職員がそれらを利用し寛いでいるようだ。
「遊ぶなら大きい風呂のがいいと思うんだけど」
フワリと舞う光の蝶にふれ「良く出来ている」と頷くゴリラちゃんを抱え歩いているリオは、かすれた声で言う。
「そちらの方にはまだ入ったことがないね。せっかくだから、皆で行ってみよう」
シャラシャラと装飾品の音を鳴らし隣を歩くウィルがリオに答える。
ウィルの腕の中にいた可愛いクマちゃんは、彼の固い指輪を嚙もうとした時に、もこもこの小さな歯を心配したルークに奪われてしまった。
指輪は傷ついても構わないが、可愛いクマちゃんの小さな歯は、固いそれに負けてしまうだろう。
「ああ」
ルークはいつも通り腕の中へ戻って来た愛しのもこもこの頬を長い指の背で撫で、低く色気のある声で雑に返す。
愛しのクマちゃんが風呂で遊ぶおもちゃが入った袋を持っているクライヴは、無言でクマちゃんのヘルメットともこもこの毛の境界を見つめていた。
ゴリラちゃんを抱えたリオが大きな露天風呂の入り口――左右から伸びた枝とそれに付いた葉が露天風呂の目隠しになっている――をガサ、と片方の腕で除け、後ろの仲間を通らせると、クマちゃんがつくった広場へ進む。
「おー。やっぱ広い」
リオがゴリラちゃんを入り口から少し離れた場所に置き、雑に服を脱ぎながら言う。
今のところ脱衣所などは無い。脱いだらその場所に放るだけの乱暴なやり方だが、冒険者は皆大雑把なので誰も気にしていない。
中で数人の冒険者が温泉につかっている。出来たばかりの大きな露天風呂だが、新しい事や楽しいことが好きな冒険者達はすでに何度もここを利用していた。
彼らは入って来たルーク達を見て話し出す。
「うお。ルークさん達がこっちにくるの珍しくね?」
「やばい何か緊張する」
「わかる。俺の体が『比べられたくない!』と言って逃げ出そうとしている」
「何かあの人たちって居るだけで光ってる感じする……」
「見るなよ……見たって傷つくだけだぞ……」
「何かぬいぐるみ増えてね? いやクマちゃんはぬいぐるみじゃねーけど」
「ゴリラか……可愛くはねぇな」
「クマちゃんの可愛さは脳を溶かすほどだからな。あのもこもこと比べたら可哀相だろ」
「つーかぬいぐるみって普通動かなくね? 何かあのぬいぐるみ動いてんだけど」
「バカ俺らだって動いてんだからぬいぐるみだって動いて良いに決まってんだろ」
「そうだな。差別はよくねぇ」
「――誰にだって動く権利はあるよな……俺が悪かった」
「お前だって『何で動いてんだよテメェ』って言われたら嫌だろ。今度から気をつけろよ」
冒険者達は簡単に話し合い、ゴリラちゃんだって動きたいときに動いて良い、という結論に至った。
今後、何が動いても彼らがそれを悪く思うことはないだろう。
クマちゃんはいつものように、ルークの大きな手でもこもこに洗われながら考えていた。
うむ。とてもいい香りである。
過酷な訓練で汗を流し、それをいい香りの泡で洗う。――素晴らしい。
網でチクチクし、負傷した肉球も、甘くて美味しい牛乳で癒され、いつものように健康的なピンク色である。うむ。異常なし。
お友達のゴリラちゃんはリオが洗っているようだ。
――泡立ちが悪い気がする。
もしかしてリオは洗うのが上手くないのだろうか。
クマちゃんのお手入れのプロ、ルークと比べられた可哀相なリオは少々困っていた。
泡立たない――というか、もこもこじゃない。表面に結界を張られている気がする。
困惑したリオは小声でゴリラちゃんに尋ねる。
「ゴリラちゃん結界解いてくれないと洗えないんだけど」
リオだって別にゴリラちゃんをどうしても洗いたい、というわけではないのだが、クマちゃんがこちらをじっと見つめているのである。
あのもこもこは何を気にしているのだろう。結界に覆われたゴリラちゃんが実は全く濡れていないことだろうか。
「解いたら中身が水を吸うだろう。――まぁいい。そんなにこれを洗いたいというなら、好きにしろ」
人間の作るものの事など詳しくないゴリラちゃんは、一応気を使ったつもりだったが、リオの希望を聞き結界を解いた。
――ゴリラのぬいぐるみがどんどん水を吸っていく。
「なんかやばい感じがする……」
ぐっしょりと重くなっていくゴリラちゃんを抱えたリオが呟く。
店員から洗うなと言われていないのだから、濡れても問題はないのだろうが、ぐっしょりとしたこれはどうやって乾かすのだろう。
すぐに乾くのだろうか。
それより見た目が良くない。
薄い灰色だった顔の部分が水に濡れ、色が暗くなり、だらりとした体からぼたぼたと水が落ちている。
「だから言っただろう」
ゴリラちゃんが言葉を返す。
今さら結界を張り直したところで、もうぐしょぐしょになってしまっている。
風呂から出るまでは、このままにしておくしかないだろう。
水を吸い重くなったゴリラちゃんを抱えたリオを、濡れてほっそりとしたクマちゃんがつぶらな瞳でじっと見つめている。
リオが真面目な顔でびしゃびしゃなそれを、誰かの石鹼でもう一度泡立てると、今度こそゴリラちゃんは泡だらけになった。
ほっそりとしたクマちゃんが、何かに納得したように、深く頷いた。
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