第83話 クマちゃんからのお土産

 湖岸に到着した四人と一匹とゴリラちゃん。

 クマちゃんの可愛い船から一番最後に降り、何気なく湖の方へ振り返ったリオが、


「何かあの魚ついてきてんだけど」

 

とかすれた声で言う。

 湖の真ん中でクマちゃんが〝邪悪なもの〟を調査するため魔法を掛けた、お水の中で遊べるお魚のおもちゃが、船を追いかけついてきてしまっていた。水面から半分顔を出し、こちらを見ている――ような気がする。

 水音がしなかったのは水中にいたからだろう。クマちゃんが作ったものはもこもこの癒しの気配がするため気付けなかったようだ。

 ――森の魔王のような男ルークは気付いていたのだろうが。


「あの魚を置いて帰るのは少し可哀相だね……」 

 

 南国の鳥のような男ウィルは、魚が特別好きというわけではないが、クマちゃんの気配がするものを公園の湖に置いて行くことに抵抗を感じた。

 幼く愛らしいもこもこは寂しがり屋だ。そして、現在森の上空で縄張りを見張っている猫顔のクマ太陽も、おそらく寂しがり屋だろう。夜になると冒険者の皆が湖へ帰ってしまって寂しいのか、巨大クッションで眠る彼らが眩しくないように明るさを抑え、湖の上空にいるらしい。

 製作者に似るのだろうか。

 寂しがり屋かもしれない魚のおもちゃが黒くて丸い可愛い目でこちらを見ている。 


「では私が預かってやろう」


 リオの腕の中にいるゴリラちゃんが、もこもこという程ではない毛足の短い手を翳すと、巨大なお魚のおもちゃと可愛い船のある場所に大きな闇色の球体が現れ、そこにあったものを飲み込むようにして、一瞬で消えた。


「何いまの」


 若干早口のリオがかすれた声で言う。

 古代のアイテムの中には、たくさんの物を仕舞っておける鞄もあるが、現代でそれを作れるものはいない。

 それに、今のは鞄などではない。あれは魔法――なのだろうか。闇色のそれは嫌な気配はなく、ただの力の塊のように感じた。


 不思議な魔法に興味があるウィルも、チラリとゴリラちゃんに視線をやったが、残念なことに彼は答える気がないらしい。

 言いたくないのか、面倒なのか――なんとなく後者な気がするが、取り合えず今は、あの魚が置いて行かれなかったことを喜ぶべきだろう。


「ありがとうゴリラちゃん。これであの魚がひとりで寂しくしているのではないかと心配せずに済むよ」

 

 ウィルがリオの腕の中のゴリラちゃんへ感謝の言葉を伝えると、


「このくらいであれば造作もない」


という答えが返ってきた。

 ゴリラちゃんの活躍を見たクマちゃんがとても喜んでいる。

 もこもこの両手の肉球を何度も叩き合わせているのは拍手のつもりだろうか。しかし肉球と肉球がぶつかっても、パチパチという音はならなかった。 

 耳を澄ませば、微かにテチテチという音が聞き取れる程度である。


 興奮したクマちゃんが小さな黒い湿った鼻をふんふんし、ルークの腕をキュムッと押したが、今回は下に降りるためではなく、杖が欲しいという合図だったようだ。

 可愛い鼻の上に少し皺を寄せたクマちゃんが、肉球の付いたもこもこの手で杖を振る。



 公園にいたはずの彼らは一瞬で、クマちゃんの別荘と展望台がある湖へ帰ってきていた。

 場所は展望台の隣の、白い家と湖の中間あたりだ。


「ふむ。癒しの力を強く感じるな。それに美しい」


 ご満悦なゴリラちゃんがそう話しながら手を掲げると、前方の湖に先程と同じ闇色の球体が現れる。

 球体は一瞬で消え、その場所には、元からそこにあったかのようにクマちゃんの可愛い船と、巨大なお魚のおもちゃが在った。


 巨大なお魚のおもちゃは安心できる場所に移動したことが解ったらしく、パチャパチャと水音を立て、湖の周りにいる冒険者の方へご挨拶に向かったようだ。

 ――冒険者の叫び声が聞こえる。

 皆への説明が必要だろう。このままではお魚のおもちゃが討伐されてしまうかもしれない。 


「あの子のことは僕が伝えてくるよ。君たちは先にマスターのところへ報告に向かったらいいのではない?」


 ウィルはルーク達へ声を掛けると、シャラ、と装飾品を鳴らし近くで叫んでいた冒険者の方へ優雅に歩いて行った。

 ルークの腕の中の可愛いクマちゃんが、幼く愛らしい声で、


「クマちゃん」


と呟き、もこもこの手に持っていた杖の匂いをふんふんと嗅ぎ齧ろうとしたところで、彼にそれを回収され、肉球を齧る。

 クマちゃんが呟いたそれは『クマちゃん、お魚ちゃん』と聞こえた。


「お魚ちゃん。じゃあ船はお船ちゃん……」


 リオはクマちゃんの言葉を聞き、かなりどうでもいい独り言を呟いたところで思い出す。

 そうだ。お船ちゃんにはやばい金髪の像がついているのだ。

 しかし、可愛いクマちゃんがリオの為に作ってくれた像をもぐわけにもいかない。

 あれを見た冒険者達はなんと言うだろう――。

 船にリオの名前を付けられるか、それともリオが船と呼ばれるようになるか――。


 リオが被害妄想じみたことを考えている間、ルーク達はマスターの所へ行くことにしたらしい。

 

「行くぞ」


 船を見つめ動かないリオへルークが声を掛けた。

 いつもなら放っておくが、今はゴリラのぬいぐるみをマスターのところへ連れて行く必要がある。

 ――しかし二回も声を掛ける気はないらしい。

 ルークは腕の中の可愛いクマちゃんの頬を長い指で擽ると、そのまま展望台の方へ歩き出す。


 クライヴはリオがのろのろと動き出したのを見届け、すぐにルーク達を追った。


◇ 

 

 立入禁止区画を奥まで進んだルーク達が、片方しかない扉をノックもせずに通り抜け、マスターの居る部屋へ入る。


「早かったな」


 仕事中のマスターが書類に視線を向けたまま、声を掛ける。

 そして一向に書類の減らない机から顔を上げた彼は、すぐに疲れたようにこめかみを揉み、椅子の背に体を預けた。

 机の前に荷物の山がある。

 おそらくクマちゃんが買った荷物が届いたのだろう。


「……白いのは何でヘルメットを被っているんだ。――いや、そういうこともあるか」


 愛しのクマちゃんに視線を向けたマスターは、もこもこがヘルメットとよだれかけを装備していることに気が付き、理由を尋ねようとしたが、聞いても解らないだろうと自己完結する。

 ルークの腕の中のクマちゃんが、幼く愛らしい声で、


「クマちゃん、クマちゃん」


と言った。

『マスター、おもちゃ』と言っているようだ。

 何故遊んでいないのか、という意味だろうか。 

 この年の男が一人だけの仕事部屋で、赤ちゃん用のおもちゃを出して遊んでいたら、そちらの方が危険だと思うが。


「……あー。おもちゃは……一緒に開封したほうがいいだろう」


 マスターは何とか答えを捻り出す。可愛いもこもこに人間の常識など通用しないのだ。

 もこもこの常識では、素晴らしいおもちゃを手にいれたら、大人の男でもすぐに一人で遊ぶべき、なのだろう。


 クマちゃんはマスターの言い分『一緒に開封――』に納得したらしい。

 ピンク色の肉球を上に向け、もこもこの手をスッとマスターの方へ伸ばす。

 どうぞ、という意味だ。


「そうだな。……一緒に開けよう」


 マスターは可愛いクマちゃんに答えた。

 もこもこが自分のために一生懸命選んでくれたそれらを、このまま開けないで置いておくわけにはいかない。

 彼は椅子から立ち上がると、机の前の袋の山まで移動し、それに手を掛ける。

 静かな部屋にガサガサという音が響く。

 かすれた声で「おもちゃ開けるマスターやべぇ」と言った誰かは、ルークからのコツンを警戒し黙ったようだ。


「――ありがとうな。たくさん選んでくれて」


 三種類のお土産を一つずつ机に載せたマスターが可愛いクマちゃんに礼を言う。

 手を伸ばした彼が、ふんふんしているクマちゃんの頬を優しく撫でると、幼く愛らしい声が、


「クマちゃん、クマちゃん」


と言い、ルークから杖を受け取った。『マスター、待ってて』と聞こえたような気がする。

 今から何かをするらしい。

 あまり良い予感がしないのは何故なのだろうか。


 まずはルークが天井に飾るオルゴールのおもちゃを操作し、マスターの机の上に浮かべた。

 マスターは思った。せめて机から離れた場所でやれ、と。

 やっかいなことに、天井にくっつけられる仕組みのおもちゃのようだ。まだ回っていないが、執務机の上にそれが浮かんでいる様子を見るだけで、疲労が蓄積した気がする。

 ルークが机の上に魔石を並べると、ヘルメットを被った可愛いクマちゃんが頷いている。

 肉球が付いたもこもこの愛らしい手が、スッと書類に隠れていたそれを指す。


 ――ペンだ。


 あれをどうする気だ。

 ルークがクマちゃんの希望通りに、ペンを取り、ウサギの形のおもちゃの横に置いた。

 無表情で余計なことをする男だ。

 クマちゃんが頷いている。

 スッと杖を構えると、愛らしい黒い鼻の上に皺を寄せ、もこもこの可愛い手がそれを振る。

 魔石と、ウサギの形のおもちゃと、いつもマスターが仕事に使っている手になじんだペンが光った。


 ――光が消えた場所から魔石とペンが無くなり、そこに残ったのはウサギの形のおもちゃ。――――布が巻かれた棒の先からは微かに、ペン先が――。


 マスターは慄いた。

 まさかこのもこもこは、ペンというよりも、ほぼウサギのおもちゃになったそれで彼に仕事をしろと言うのだろうか。

 ――持ちにくそうだ。

 いや、問題はそこではない。

 動揺を隠せないマスターの前で、可愛いもこもこが再び杖を振ってしまった。

 今度は魔石と動物のおもちゃが光る。

 動物のおもちゃは、何も変化がないように見えた。

 ルークの腕の中のもこもこが彼の腕から机の上に降ろされ、動物のおもちゃを肉球が付いたもこもこの手で持ち上げる。


「クマちゃん何する気?」


 ゴリラちゃんを抱えもこもこの動きを観察していたリオが警戒した声を出した。

   

 つぶらな瞳の可愛いクマちゃんが、動物の形の可愛いおもちゃを持っている。

 非常に愛らしい。しかし何故か和めない。

 もこもこが机の上、書類の影に置かれたインク瓶に、肉球が付いたもこもこの手を向けた。

 可愛いクマちゃんのお願いをなんでも聞いてしまう問題のある飼い主ルークが、机の上に居る無害な顔をした獣の前へそれを置く。

 ヘルメットを被ったクマちゃんが頷いている。


 もこもこが両手で持っている動物のおもちゃを、ぶにぶにの肉球で、ムニッと押した。


 動物のおもちゃの口から何かが鋭くビュッ!! と飛び出す。

 

 インク瓶が吹き飛ぶ。


 飛んで行った瓶は激しい音を立て壁に当たり、床に落ち、ゴロ――と一度だけ転がり、止まった。


「いやいやいやクマちゃんそういうの良くないと思うよ」


 リオは悪い子が持っていそうなおもちゃでインク瓶を吹き飛ばした悪いクマちゃんに言った。

 元のおもちゃよりも舌が長く、動きが早くなっている。

 良くない。

 あれは良くないおもちゃだ。

 瓶の蓋がしまっていて良かった。そうでなければ今頃大変なことになっていただろう。


 マスターが壁の下に転がったインク瓶を拾いながら、フッと影のある表情で笑った。

 ――哀愁が漂っている。 


「悪くはねぇだろ」


 何でも肯定する悪い飼い主ルークが、またおもちゃを押してビュッ!! としている悪い子クマちゃんを抱き上げながらリオに言う。

 ――このくらい悪いことではないと思っていそうな彼の子供時代はどうだったのだろうか。


 悪い子クマちゃんが動物のおもちゃをビュッ!! として、


「クマちゃん、クマちゃん」


と言った。

『クマちゃん、ペン』と言ったように聞こえる。

 ルークがもう一度悪い子クマちゃんを机へ降ろすと、舌が出るおもちゃを一度机に置き、彼が用意した白い紙にウサギさんのおもちゃで文字を書こうとした。

 ――非常に持ちにくそうである。

 頷いたクマちゃんは、座ってから書くことにしたようだ。

 ぬいぐるみのように机に座ったクマちゃんが、肉球が付いた手に握ったウサギさんのおもちゃを動かす。

 ウサギさんから音が鳴る。

 愛らしいもこもこは、ガラガラ、ピピピ、と様々な音を鳴らしながら、紙に何かを書いている。

 座ったままだと手が届かないらしく、紙の手前だけ使い文字らしきものが綴られていく。

 クマちゃんが頷くたびにルークが紙をずらし、一つの文字になるように調整される。――今回は六枚で一文字のようだ。二十枚で足りるのだろうか。

 もこもこの手の中のウサギさん、もといウサギさんペンからはまだピー、リンリン、と音が鳴っている。

 音が止まり、クマちゃんが頷く。

 ――完成したらしい。

 

「き……た……? きた? 北? どういうこと?」


 リオが二つだけの文字を読んでみたが、全く意味が解らない。


 クライヴが頷き「……なるほど」と言っている。

 彼はその文字の意味が解ったのではなく、何か深い意味がありそうな、クマちゃんの書いたそれを見て、


(人間の自分には解らない深い意味があるのだろう)


という納得をしていた。



 クマちゃんは少ない紙で表現したその文字に大体満足していた。

 紙が足りないわりには上手く書けた気がする。

 

 クマちゃん参上。


 本当は全部書きたかったが、クマちゃん、も、さんじょう、も文字数が多い。

 名前を省き、きた、と書くしかなかった。 

 少しだけ残念である。

 


 クマちゃんがガラガラと音を鳴らし、マスターの方へウサギさんペンを差し出す。

 どうぞ、という意味だ。 


「そうだな……使ってみるか……」


 マスターが色々な感情を抑え、優しい声でクマちゃんに答える。

 可愛いクマちゃんがせっかく自分のために作ってくれた可愛らしすぎるペンを、いらないということなど出来ない。

 

 無表情で余計なことをするルークが袋からスイッチを探し出し、天井のクルクル回るオルゴールを鳴らした。

 ――マスターの机の上でシャンデリアのようにぶら下がった動物たちが回っている。

 ――そして天井からは赤ちゃんを眠らせるための音楽が鳴り響く。


 クマちゃんがとても喜んでいる。

 可愛い肉球を何度もテチテチと叩き合わせているということは、きっと拍手のつもりなのだろう。

 お部屋が可愛くなって良かったね、ということだろうか。


 苦く笑ったマスターが、もこもこから受け取ったウサギさんペンで文字を書く。

 ――ウサギさんペンからガラガラ、ピピピと音が鳴る。極力動かさないように注意しても、この音からは逃れられないようだ。

 サッと文字を書いたマスターは、机にそっとペンを置く。

 そして、拍手している可愛いクマちゃんの前へ、その紙を置いた。


 そこには、ありがとう、という感謝の言葉が綴られている。


 もこもこはピンク色の肉球が付いたもこもこの両手をサッともふもふした口元に当てた。

 感動しているようだ。

 隠された口元から「クマちゃん、クマちゃ……」と幼く愛らしい声が、微かに聞こえてくる。

『マスター、クマちゃんも、ありがと……』と言ったようだ。


 頭上から赤ちゃん用のオルゴールが鳴り響くなか、マスターは愛らしすぎるクマちゃんを抱え頬を撫でた。

 降り注ぐ曲がリンゴンリンゴンという鐘のような音に変わる。

 一人と一匹が感動的に見つめ合う。


「いや俺いま何見せられてんの」


 リオがクマちゃんに改造されたビュッ!! と舌が出るおもちゃで遊びながらかすれた声で呟く。

(やばいちょっと楽しい)と思ったことは内緒である。  

 ゴリラちゃんがリオの手からそれを奪い、ビュッ!! とした。

 それから低い、頭に響く不思議な声で、


「悪くない」


と言った。

 おもちゃが気に入ったようだ。


 愛しのクマちゃんと見つめ合っていたマスターは、リオの腕の中のそれへスッと視線を動かした――。

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