7.「ヒト」の世界で、「異形」に遭う。⑥ ~イツキの話~

はたして、雨は止まなかった。

いや、小康になることはたびたびあった。雨音が落ち着いて雨足が弱くなる、そんなことなら幾度かあったのだ。

けれど、よし、これなら行けるぞ、と勇んで立ち上がると、また、どっと大降りになる。

早朝から正午あたりまでずっとその繰り返しで、さすがになんだか薄気味が悪くなって、おれは結局、上がり框から腰を上げ、居室に引き籠もってしまった。

この不気味な天気のせいなのか、それとも心の持ちようか、もしくはただの疲労と睡眠不足が祟ったせいか、理由はわからないけれど、ひどい寒気にまで襲われて滅入ってしまう。

子どもたちのことが案じられてゆったりくつろぐ気にはなれないものの、春の雨は存外に冷えるものだ。

四月半ばの陽気にようよう慣らされた躰には、この雨はとくに堪えた。昨日の衝撃的な出来事が、まだ尾を引いているのかもしれない。

無人の寺では誰もおれを労ってはくれないから、自分で自分を労るしかなく、おれは押入れから掛け布団を引っ張り出してきて、ころりと包まった。

あー、ぬくい、ぬくいなあ。あったまるなあ。

ぬくぬくと丸まっているうちに、いつのまにか眠っていたらしい。

短い夢が、いくつもいくつも流れていった。不思議なことに、そのすべてにあの男が現れた。

男は、美しく紅い眼でおれを見つめながら少しだけ微笑んだ。あまりにも美しいから、おれがじいっと見つめ返すと、照れたように瞬きをする。

彼が瞬くたびに艶やかな火花が散って、おれは繰り返しそれに見惚れた。そんな夢ばかりを、みた。

見たというより、魅入ったというべきかもしれない。そうやってすっかり魅了されているくせに、眠っているおれの意識はやけに冷静で、この夢をあの男がみせていることにもちゃんと気がついているのが妙に可笑しい。

これは、おれを誑かすために、鬼さまがみせている夢だ。

嫁であり贄であるおれが恐れをなして逃げてしまわないように、心まで陥落させるべくみせている、夢幻の世界。

それがわかっていても、夢の世界のおれは、彼の紅々しい瞳から目を離せない。

誘われるまま、望まれるまま、その美しい眼と視線を絡ませ、吐息を交じらせ、肌を合わせる。甘やかで、蠱惑的な夢。

そんなことをしなくても、と、冷静なおれは意識の片隅で思った。

こんな夢なんかみせなくても、おれはもうすでにおとこに惹かれているのに、と。

――目を覚ますと、雨はすっかり上がっていた。かわりに、日はとっぷりと暮れてしまっている。

縁側の雨戸の隙間から空を覗くと、澄んだ藍色にくっきりとした星が浮かんでいた。

昼の大雨など、何処へやらだ。なるほど、つまりはあの滝のような雨も、鬼さまの仕業だったってわけか。そういえば、胡乱な寒気も治まっている。

おれはいろいろと深く考えるのを止めて、のそのそと厨房で晩飯を作った。

肉や魚はさすがにないけれど、米やら味噌やら山の菜やらは思ったより置いてあって、腹を膨らませるには十分だ。ただ、子どもたちが心配で食がすすまないうえに、ひとりでもそもそ食う飯はどうにも味気なくて、なかなか元気が出ない。

よし。明日こそ、道場に行こう。雨が降ろうが槍が降ろうが、絶対に行こう。

そう決めて、おれはまた、布団に包まった。 

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